出られないらしい2
クロード・ノエに会うのは、これで二度目だった。無様に死んだ一週目を勘定に入れてもいいならね。
フルールと同じ濃さの赤毛の間から、黄緑色の瞳が私を見ている。第一印象は生意気そうな少年ね。吊り目気味だから、そう見えるのかしら。口を開けば皮肉が出てきそうだけど、目の前にいるクロードはそんな幼稚なことはしなかった。
まあ、国内最年少の有望な魔術師ですもの。人を馬鹿にする暇があったら、一秒でも長く研究しているほうが有意義だと思っていそうだわ。
彼は大人に囲まれて研究しているだけあって、知らない場所へ連れてこられても落ち着いている。少し緊張している様子なのは、連れてきたセドリックが原因かしら。私に余計なことを言ったら、仕返しされると思っているのかも。だってセドリックの目が全然、笑っていないんですもの。表情は笑顔なのに。
おかしいわね。私まで足が震えてきたわ。
「彼はクロード・ノエ。フルールの兄だよ」
「ええと……初めまして、よね?」
「……そうですね」
ものすごく覇気のない返答だったわ。大丈夫かしら。
「あんなに目が死んでいる兄は初めて見たのです」
同席していたフルールが小声で言った。
「きっとセドリック様と真剣勝負をして、負けたのです。先輩たちと同じ雰囲気だから、間違いないのです」
「もうセドリックが何をしても驚かなくなってきたわ……」
そうでしょうね、という感想しか出てこないわ。
一応、セドリックの擁護をするけれど、無計画に力で捩じ伏せているわけじゃないのよ。魔術師という職業の人は、とにかくプライドが高くて扱いにくいと言われているわ。こちらの魔術に関する知識や実力が足りないと分かると、あからさまに態度が悪くなる人がいるから。頑固な職人に近いわね。そんな気難しい彼らと対等な取引をするには、魔術で議論できるほどの知識を身につけるか、彼らが誇る魔術で勝負に勝つしかないの。
セドリックは手っ取り早く、魔術で捩じ伏せるほうを選んだみたい。彼のことだから魔術議論もできるでしょうけど、時間がかかるから。
「今日はあなた専用の杖を作りに来ました。聖女様が持っている杖を見たことは?」
「あるわ」
封印を修復する時ね。あの杖は歴代の聖女に合わせて作られているみたい。
「杖は魔術師が作っていたの?」
「いえ。本来なら神殿で作られていたのですが……」
クロードは助けを求めるようにセドリックを振り返った。視線に気がついたセドリックは、彼女なら話しても大丈夫と言い、説明を引き継いだ。
「今の神殿は、安全な場所とは言えなくてね。一部の神官がグリムの鱗に侵食されていたんだ。聖女が襲撃されたのは、そのせいだよ」
「神官が? 神殿はグリムとは無縁な場所だと思っていたわ」
「高位の神官でもグリムに抵抗できるかは個人差が大きいからね。レティの友人は神殿でグリムの鱗に侵食された可能性が高い。奉仕活動に参加していた、他の人物からもグリムの鱗が発見されているんだ」
そういえば、一周目の私は神殿が行なっている奉仕活動に参加していたわ。セドリックには全然会えなくて、遊び回るお金もなかった。ずっと家にいるのが嫌で、何かをして気を紛らわせたかったのよ。
今の私は一度も王都の神殿へ行っていない。到着してすぐにセドリックとデートしたり、フルールと訓練していたから。もし何日も予定がない日が続いたら、一周目のように神殿へ行っていたでしょうね。
「私のこと、神殿側は何か言ってる?」
神殿が私のことを次の聖女だと認めているのか、存在すら知らされていないのかは気になる。
「次の聖女が見つかったことは報告したけれど、レティの名前は知らせていないよ。今の神殿は信用できない。グリムのせいでね」
「グリムの鱗に侵食された神官が、まだいるのね」
「そう。まだ全ての神官を調べ終えていないんだ。王家と神殿は聖女を密かに保護する密約を結んでいるよ。グリムの鱗が完全に排除されたと確認できるまでね。だからレティ専用の杖は、神官に頼らずに魔術師に作らせることになったんだ」
「杖の仕組みを分析できたのはいいけどさ……あまり政治的なことに巻き込まないでほしいな」
クロードが不満を口にしたけれど、セドリックは取り合わなかった。
「政治的な取引の末に、君は研究資金を手に入れたじゃないか。俺の依頼以外は、自分の研究を優先できる環境も用意してあげただろう?」
「その依頼が一番、面倒で時間を取られるんだけど……」
クロードの声が徐々に小さくなっていった。不満は言いたいけれど、不興は買いたくないといったところかしら。
「セドリック様は兄へ資金援助をしているのです」
フルールがこっそりと教えてくれた。
なるほど。逆らって不興を買ってしまったら、研究が続けられなくなるのね。敵対したくないわけだわ。
「そろそろ始めようか」
セドリックはクロードに言った。クロードは諦めた顔で、私の目の前に立つ。
「とりあえず、この水晶を握って浄化の力を注いでもらえますか。グリムの鱗を消滅させる時と同じように。細かい調整は僕がやるので」
言われた通りに握った水晶へ浄化の力を注いでいくと、透明だった内側がオレンジ色に染まってきた。
セドリックが結晶に私の魔力を吸い取っていく時と同じ色だわ。でもセドリックと違って、クロードはすぐに作業を止めた。
「もう十分です。これ以上は水晶が砕けるから」
そう言って、クロードは水晶を黒い布で包んだ。上から赤い紐を結びながら、私には聞き取れない呪文を唱えている。
「ねえ、フルール。あの赤い紐は何?」
「あの布と紐で、レティシア様の魔力を隠したのです。グリムに気付かれたら、杖作りを邪魔してくるかもしれません。魔術塔にある兄の研究室なら、グリム対策の結界があるので安全なのです」
私の魔力を込めた水晶を奪われるだけならまだしも、クロードも危険に巻き込まれる可能性があるのね。
グリムが妨害してくるのは当然だわ。自分を妨害してくる相手が武器を作ろうとしているんですもの。
「レティシア様。あの……大丈夫ですか? あまり外へ出られない様子なので……」
フルールはかなり言葉を選んだ質問をしてきた。小声だから聞かれていないと思うけど、雇用主の前で監禁されているなんて言えないわよね。
「満足はしていないけれど、セドリックがこの部屋を用意した理由は理解しているつもりよ。あの日記のお陰でね」
日記はこの後、ジーナから渡してもらうことにしたわ。ジーナがわざわざフルールと連絡を取るのは難しいから。
「あとは魔術塔で残りの作業をします」
作業を終えたクロードは、麻布の袋へ水晶を入れた。
「私も魔術塔へ帰るのです。レティシア様の元気な様子が見られて安心しました」
妹も帰ると聞いたクロードは、いいことを思いついた顔で言った。
「じゃあ杖の製作を手伝ってくれよ」
「いいですけど、報酬は忘れないでほしいのです」
「報酬? 何が欲しいんだよ」
「帰り道にある店に売っているチョコでいいのです。猫の耳という名前の店です」
「分かった分かった」
クロードは気軽に返事をしているけれど、私が知っている限りでは王都の有名菓子店よ。それなりの値段だったはず。大丈夫かしら。
フルールは言質が取れたからか、目が輝いている。今までの言動から、お金を搾り取るような悪どいことはしないと思うけれど。もしくは、高級菓子を買ってもらわないと割が合わないぐらい、大変な作業かもしれないわ。魔術素人の私が口を挟むのは良くないわね。
仲良く部屋を出ていく二人は、普段からあんな風に話しているのでしょうね。険悪じゃなくて良かった。
ふと、領地に残してきた幼い弟を思い出したわ。まだ五歳だから馬車の旅は辛いだろうと、留守番しているのよ。今回はセドリックの家と交流するだけだし、母親は用事が終わればすぐに帰る予定だった。
「レティ? 考え事?」
いつの間にか、セドリックがすぐそばにいた。急に綺麗な顔を見せられると驚くわ。
「う、うん。弟のことを思い出したの。元気にしているかなって……」
「今日、君の母親が領地へ向けて移動したよ。それにね、レティの家族にも護衛をつけているんだ。だから大丈夫」
私が思いつくよりずっと前から、セドリックは家族の安全に気を配ってくれていた。状況に流されることしかできない私とは違う。完璧すぎて、何か裏があると思ってしまうわ。
「あなたは未来が見えているの?」
私が冗談めかして言うと、セドリックは困ったように微笑んだ。
「まさか。未来が見えたら良かったんだけどね。失敗ばかりだよ」
違和感がある言い回しね。セドリックは嘘を言っているように見えないけれど、本当のことを言ってくれない。
私に打ち明けたら、計画が台無しになるの?
「レティ。君の母親から、手紙を預かっているよ。返事を出したい時は教えてね。責任持って届けるから」
「お母様から? ありがとう」
手紙を受け取るときに、セドリックの右手にはめられた指輪が見えた。小さな金色の石がついた、古めかしい指輪ね。
そういえば、一周目の私が殺される直前にも同じものを見たわ。
***
レティシアの魔力を込めた結晶を持って、セドリックは地下へ降りていた。レナルドと聖女、ロザリーの三人も同行している。グリムの封印はオレンジ色の文字で包まれ、毛糸玉のような有様になっていた。
――ここまで包んでしまえば、次の段階へ移行してもいいかな。
すっかり習慣化した作業を終わらせ、地上へ戻ってきた頃には夜中になっていた。
ロザリーは迎えに来たフルールと共に魔術塔へ帰り、聖女も疲労が色濃く現れる顔で泊まっている部屋へと引き上げていく。残されたセドリックはレナルドに声をかけた。
「今日はまだ余裕がありそうだね」
「魔力の総量が増えたからだな。ほぼ毎日、結界の修復をしているせいだ」
「いいことじゃないか。グリムとの戦いは持久戦になるからね。魔力は多ければ多いほうがいい」
レナルドにはセドリックが計画をしていることを打ち明けていた。王太子の立場と権限は、セドリックが自由に動く理由付けには欠かせない。それにレナルドの性格なら、正直に打ち明ければ味方になってくれる確信があった。王太子直属のグリム対策部隊を作ろうと提案してくれたのも、レナルドだった。
グリムに侵食されない者は、味方として頼りになる。
「グリムは、いつ出てくる?」
唐突にレナルドが質問をしてきた。今までにない行動だ。確実に変化が起きている。
「近いうちに。今すぐじゃないけれど、新しく何かを始めるには時間が足りない」
「集めた補助者を各地に配置しておくか……」
レナルドは気怠げに言った。
「セドリック。これまで聞かずにいたが、今は"何周目"なんだ?」
「……覚えてないね」
「グリムを倒した後は知らないということか」
「もう休みなよ。グリムに対抗する方法は、自分が強くなって殴るしかないんだ。聖剣の使い手が寝不足で負けた、なんて格好悪いよ」
セドリックはレナルドと別れて王城を出た。
馬に乗って夜道を進んでいると、花の香りが漂ってきた。どこかの屋敷か街路樹として植えられた常緑樹だろう。グリムのような悪魔に効果があることから、国中に植樹されていた。
あまり好きな香りではない。この花が咲くと、また最初に戻ったと思ってしまう。
セドリックは頭の片隅で、初めてレティシアと会った日のことを思い出していた。




