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グリムがいるらしい2

 冷たい人だわ――イレーヌは震えそうになる手を握りしめた。


 友人の茶会から帰ったイレーヌは、休む暇もなく訪問してきたセドリックと会っていた。レティシアの婚約者が自分に会いに来るだけでも意味がわからないのに、感情のこもらない瞳で自分を見下ろしてくるものだから、すっかり気持ちが沈んでしまっている。


「グリムの鱗が付着したのは、いつ頃か覚えてる?」


 セドリックの口調だけは柔らかい。表情も微笑んでいるように見えるが、瞳の奥は笑っていなかった。


 イレーヌはセドリックの態度が冷たい理由に、おぼろげながら見当がつき始めていた。彼がここへ来たのは、きっとイレーヌを尋問するため。友人達――特にレティシアに被害が及ぶところだったのだ。厳しい態度になるのも無理はない。


 友人のジョゼが招待してくれた茶会に参加したイレーヌだったが、途中で体調を崩して帰ってきた。表向きはそうなっていた。


 イレーヌは自分がグリムの鱗に侵食されていたことを覚えている。自分の中にいる何かが、自分の口を使ってレティシアを問い詰めていた。私の意思じゃないと叫びたくても、体は思い通りに動いてくれない。誰も気付いてくれず、このまま操られるのかと諦めていた。


 危機を救ってくれたのは、レティシアが連れてきた魔術師だった。彼女がイレーヌの肩に埋まっていたグリムの鱗を取り除いてくれた。あの黒くて薄気味悪い鱗が自分から剥がれたとき、ようやく体の主導権が自分へ戻ってきたのだ。


「分かりません……気が付いた時には、もう自分の意思で体を動かせなくなっていたんです」

「じゃあ質問を変えようか。最近、悲しいことはあった?」

「悲しいこと、ですか?」


 質問の意図が汲み取れず、イレーヌは聞き返してしまった。


「そう。落ち込んで普段通りの生活が難しくなるほどの、悲しい出来事」

「……鳥が……飼っていた鳥が死んでしまったこと、でしょうか」

「そのまま続けて」

「幼い頃から一緒にいたんです。元はお父様の鳥だったんですけど、私が譲り受けて、お世話をしていました……」


 イレーヌは一旦、言葉を詰まらせた。


「もうかなり高齢だったから、いつか死んでしまうと分かっていました。でも、お茶会の一週間前に、お別れが来てしまって」


 ペットの死を話していると、鳥が死んでしまった日のことが蘇ってくる。なぜ初対面のセドリックに個人的なことを打ち明けているのかと思ったが、記憶を言葉に変換しているうちに気持ちの整理がついてきた。


 同時に、自分の行動を客観的に思い出せるようになっていた。


「サリィを――ごめんなさい、鳥の名前です。庭の端にお墓を作っていた時かな。肩に虫が止まったような気がしたんです。でも何もいなくて。その頃からでしょうか。何となく、体に違和感がありました。サリィが死んでしまった悲しさのせいかと思ったんですけど……」

「その違和感は、茶会で現れた?」

「そう、そうです。レティにロザリーのことを言わなきゃいけないって思いました。噂しか知らないのに。でもレティの声を聞いていたら、口が勝手に動くようになって、あんなことを」


「レティは君がグリムの鱗に侵食されていたことを知っているよ。君の本心から出た言葉じゃないと思っているんじゃないかな? 何を言ったのかは知らないけれど、レティが君を非難することはないだろうね」

「良かった……」


 レティシアの気持ちを揺さぶるようなことを言ってしまった。自分の言葉がきっかけで、レティシアとセドリックが仲違いしてしまったら、どうやって償えばいいのか。ずっと不安だった。


「グリムの影響は残っていないね。でも油断しないように」

「は、はい。でも、またグリムに侵食されたら、どうすればいいのですか?」

「グリムが失敗した人を再び使う可能性は低い。侵食された時の感覚は覚えているよね? また違和感を感じたら、魔術塔へ連絡するといいよ」


 セドリックに連絡方法が書かれた紙を渡されたイレーヌは、それを丁寧に畳んだ。



 ***



 イレーヌの屋敷を出たセドリックは、歩きながら情報を整理していた。


 フルールからグリムの鱗を回収したと連絡を受けた後、セドリックは対象の令嬢を確認しに来た。イレーヌが聖女の力を秘めているなら特別な保護が必要だ。ところが彼女から力の気配は微塵も感じられず、半ば空振りに終わった。


 ――これでイレーヌ嬢を足掛かりにした侵食経路は潰した。レティ以外の令嬢たちにもグリムの鱗は付着していない。今回は隔離しなくても済みそうだな。


 フルールを派遣したのは正解だった。兄ばかりが注目されて目立たないが、彼女もまた優秀な魔術師であることに変わりはない。研究で成果を出して一人前だと考えている魔術塔と相性が悪いだけだ。フルールは実戦でこそ能力を発揮できる。


 ――やはりグリムの鱗が活性化する起点はレティか。護衛と本人の努力だけで、いつまで誤魔化せる?


 グリムの鱗は人から人へ移動することがあった。取り憑いている人間よりも、さらに都合がいい人間を見つけた時、体から抜け出てくる。まるで餌にたかる虫のような動きをしていることから、セドリックは活性化と呼んでいた。


 屋敷から離れたところに、二頭の馬と待つ部下の姿が見えた。部下は近付いてくるセドリックを発見すると、軽く会釈をする。


「補佐たちの訓練は順調かな?」

「芳しくありません。今週末の目標に到達できるかどうか……設定した目標が高いのでは、と魔術師達から意見が上がっております」


 セドリックは部下が連れてきてくれた馬に乗り、並んで魔術塔を目指した。


「いや、高くないよ。彼女達は出会ったばかりで、お互いを協力者だと思っていない。成功体験を積ませよう。聖女と同じ能力を持っていることを自覚してもらわないと」


 魔術塔は王都の郊外にある。セドリックと部下は明るい林を抜けて門の前に到着した。見上げるほど大きな金属製の大門の前に立つと、誰かに見られているような気配がした。部外者が侵入しないように施された結界の効果だ。


 大門の隣には通常の出入りに使う小門がある。荷物の搬入もここから行うため、名前の割には十分な間口があった。


 セドリックは馬から降りて、正式に発行された通行許可証を小門に押し当てた。小門から鈴の音が鳴り、ひとりでに開く。小門はセドリックと部下が通り過ぎると、静かに閉まった。


 ここグランタリス王国魔術研究所は、広い森と幾つかの建物で構成されている。建物内のほとんどは魔術師が研究に使っているので、セドリックが持っている許可証では入れない。森の中も実験の観測装置があるらしく、立ち入りを制限されている区画があった。


 建物群から一際高い塔は、この場所の前身となった古代の研究施設だ。このグランタリス王国が誕生したばかりの頃、勝手に塔を建てて住み着いた魔術師が残したものらしい。世捨て人だった魔術師を保護し、研究結果を活用したことで、王国は発展していった。魔術塔という俗称は、ここからきている。現在では周辺に建物が増え、研究している分野も多岐にわたる。


 門の正面にある建物を迂回し、目的の場所まで来た。農家の一軒家ほどの大きさしかない別棟だ。棟のすぐ側にある厩に馬を繋ぎ、乗馬後の世話を部下に任せた。


 別棟の中に入ると、聖女の補佐達の会話が聞こえてきた。


「――だから、もう少し頑張ってみようよ」

「あなたは見えるからいいじゃない! 見えないものを察して結界を使えなんて無理よ!」

「ドロシーが教えているのに、従わないのが悪いんじゃないの?」

「そのドロシーの指示が遅いから、こうなっているのよ! 私のせいにしないで!」

「ご、ごめんなさい。早く見つけようとしているんですけど……」


 面倒な場面に出くわした。教官役の魔術師が四人の補佐達を仲裁しようとしていたが、聞き流されている。

 セドリックは冷めた目で騒ぎの中心へ入っていった。


「随分と賑やかだね」

「セドリック様! い、いつからいらしたんですか?」


 長い金髪の女性が焦った様子で振り返った。神官の娘のアネットはグリムの鱗に効果がある結界が使えるので連れてきたが、プライドが高い性格が災いしてか、他の補佐と馴染めないでいる。


「あれだけ叫んでいたら、気が付かなくても無理ないわよ」


 下級貴族のガブリエルが呆れたように言った。物怖じせず自分の意見を言う性格なので、アネットと正面からぶつかることが多い。浄化とグリムの鱗を見つける目を持っている。


「もう。ガブリエルってば。そういうことをハッキリ言っちゃうから喧嘩になるんだよ……」


 教官と一緒に言い争う二人を宥めているのは、ロザリーだ。ガブリエルと同じく下級貴族の出身で、歴代の聖女と同じ数の能力が使える。


 二人から少し離れたところに、話題になっていたドロシーが狼狽えた様子で立っていた。本人の性格と下町出身の平民という身分から、アネット達に萎縮してしまうところがあった。隠れて沈黙しているグリムの鱗すら見つけられるほど有能なのに、活躍できる機会を自ら逃してしまっている。


「言い争うのは自由だけど、決められた課題をこなした上でやっているんだよね?」

「私はやってますよ。でも、他の子が……」


 アネットがセドリックを潤んだ瞳で見上げて言うと、ガブリエルが冷たい視線を寄越した。


「どこが? 自分勝手に動いて、迷惑をかけているじゃない」

「だからそれは、見えているあなた達だけで行動しているからでしょ? 最初に言ったじゃない! 私は『見えない』って!」

「見えなければドロシーに何を言ってもいいわけ? 無駄に怖がらせるから、必要なことも言えなくなるのよ」

「二人とも落ち着いて」


 ロザリーは言い合う二人の間に割り込んだ。


「初日の私達に比べたら、連携できてると思わない? グリムの鱗を追い詰められたんだから。次は上手くいくよ!」

「……ロザリーがそう言うなら」

「仕方ないわね……」


 言い争っていた二人は、渋々といった様子で離れた。そんな二人を見て、ロザリーは疲れた顔でため息をつく。仲裁役になったこと以外にも、疲労の原因があるように見えた。


「君達の問題点は理解した。欠けているのは協調性と能力の底上げだね」


 セドリックはアネットのほうへ目を向けた。急に注目されたアネットの頬が赤く染まる。


「グリムの鱗は、見えなくても感じることはできるよ。君はグリムを拒む結界を使える。聖女の護衛になれる人材だね。当然ながら、グリムは護衛も狙っている。見えないからといって警戒を怠ると、侵食されるよ」

「え……」


 夢見がちな瞳になっていたアネットが、セドリックの言葉で現実に戻ってきた。狼狽してロザリー達がいる辺りに視線を彷徨わせる。


「常に仲間が助けてくれるとは限らない。魔術塔は比較的安全だけど、絶対にグリムの鱗から守ってくれる保証はないよ」


 続いてガブリエルを見ると、彼女はある程度の叱責を覚悟していたらしい。強張った表情でセドリックに対面している。


「結界は動く要塞だよ。正しく展開すれば、グリムの鱗は侵入できない。その使い手を積極的に守らないと。聖女は見えない大衆を見捨たりなんかしない」

「そうですね……はい」


 ドロシーはセドリックに見られただけで肩を震わせ、下を向いてしまった。


「……君はまず、身分に囚われず意見を言えるようになるのが先かな」


 平民のドロシーにしてみれば、聖女と同じ能力を持っていると告げられただけでも衝撃的だったのに、いきなり貴族の前に放り出されたのだ。同じ能力者同士、仲良くしろと言われても、急には無理だろう。


「君達が仲良くなれるきっかけがあるといいんだけど」

「あの! セドリック様!」


 ロザリーが嬉しそうに手を挙げた。


「みんなで遊びに行くのはどうですか? 同じ経験をすれば仲良くなれる気がするんです。もちろんセドリック様も一緒に」

「なるほど」


 つまり共通の目的があれば、団結してくれるらしい――そう解釈したセドリックは、腰から下げている剣を軽く叩いた。


「じゃあ今から俺が仮想グリムになって君達を追い詰めるから、連携して戦うように」

「え?」


 ロザリーが笑顔のまま首を傾げた。


「同じ経験をすれば絆が深まるんだよね? 実戦を想定した訓練なんて、うってつけだよ」

「えっ? ちょっ、待って」

「ほ、本気ですか!?」

「俺が冗談を言うとでも? 他に質問が無いなら始めるよ。行動範囲は森の中。時間は日没まで。ゼロまで数えたら追いかけるからね。十、九――」

「ひっ……」

「い、行くわよドロシー! 早くしなさい!」


 あんなにドロシーを非難していたアネットが、動けないドロシーの腕を掴んで扉へ向かって走り出した。


「セドリック様って、こんな厳しい性格だったの……?」

「何してるのよロザリー! 置いていくわよ!」


 セドリックのことを見た目で判断していたのか、ロザリーは混乱している。ガブリエルに背中を押されて我に返り、一緒に外へ出ていった。


 この調子なら早々に連携も覚えてくれそうだ。

 セドリックは放置された形の魔術師を振り返った。


「厩に俺の部下がいるから、森へ行ったって伝えてくれる? あと、治療ができる魔術師を手配しておいてね」

「は、はい。行ってらっしゃいませ……」


 人が良さそうな女性の魔術師は、引きつった顔で頷いた。

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