作戦に紛れた想い
その日の深夜。リーリーと鳴く虫の音以外は何も聞こえない、そんな夜更け。
髭オヤジことゲラルトは、娘のソアラと2人きりで部屋にいた。
ベッドがひとつだけ備え付けられた、八畳ほどの殺風景な空間。店の2階にある、ゲラルトの私室である。
絨毯の上で胡坐をかき腕を組むゲラルトと、正座して父を見つめるソアラ。
――目的はただ一つ。あの男に、この家に居続けてもらうための作戦会議だ。
今夜の2人は、いつになく沈んだ表情をしていた。
髭を撫でながら、ゲラルトが口を開く。
「どうやら、もう寝たみたいだな」
「こんな時間まで、どこに行ってたんだろう……」
ソアラは、昼間に見かけた“綺麗な女の人”のことを父に話していた。
その最中、ちょうど例の彼が帰ってきて、自室に引っ込んだのだ。
ゲラルトは顎に手をやり、唸るように言った。
「たぶん、その女のところだろうな」
「ここ最近は、あんまり外に出てなかったのに……」
「ああ。なのに、あの女に声をかけられた途端、ふらっと姿を消したんだ。間違いない」
ソアラが“お兄ちゃん”と呼ぶのは、もちろんゲラルトの入れ知恵である。
一人っ子の娘が昔からなぜか異常なほど兄に憧れていたのを知っていたゲラルトは、あの男との距離を縮めるため、兄妹という設定をでっちあげた。
この作戦は、ソアラには大ウケだった。
それに、あの男のほうもまんざらではなかったようだ。
だが今日、親子の前にとてつもない強敵が現れた。
「どうしよう……あんな綺麗な人が相手じゃ、勝てないかも……」
「いや、ソアラ。お前もそう捨てたもんじゃないぞ。若いヤツも年寄りも、この店の客はみんなお前目当てだからな」
「そ、そう……かな?」
エヘヘと照れて笑うソアラ。長めの八重歯がのぞく。
「……とはいえ、あの男がここに来て、もう結構経つ。そろそろ、この暮らしにも飽きてきてもおかしくはない。そこへ、あの女だ」
「お父さん……もし本当に出ていっちゃったら……」
ゲラルトは呻くように頭を抱える。
それだけは、万が一にもあってはならない。ゲラルトは、その時のことを思うと薄暗く、やり切れない絶望に心を覆いつくされそうになるのだった。
「……ソアラ、短刀はちゃんと持ち歩いているな」
言葉の続きは出なかった。だが、言わなくても伝わった。
ソアラは神妙な面持ちで、懐の中に隠した短刀を、服越しにぎゅっと握り締める。
「……でもね、お父さん。私は、信じてるよ。ちゃんと、振り向いてもらえるって」
その言葉に、ゲラルトは頷いた。
そして、いつもの作戦会議に戻る。
「基本はこれまでと同じだ。出ていきたくない、そう思わせればいい。
ただし――今回は相手が悪い。あの女に勝つには、それなりの策がいる」
あの女は、どう見てもただの庶民ではなかった。
華やかで、気品があって、現実離れした美しさだった。
ああいう“綺麗”が好みなら、まだあどけなさの残るソアラでは分が悪いかもしれない。
「でも……どうすればいいの?」
ゲラルトは腕を組み、静かに娘を見据える。
「ソアラ。どんなことでもする覚悟はあるか?
もし彼が出ていったら――良くて自害、悪ければ陵辱と拷問と苦しい死が待っている」
ゴクリ、とソアラは唾を飲み込む。
「……大丈夫。私、なんでもやるよ。ほんとに」
「よし、いい覚悟だ。では教えよう。男という生き物には、絶対に抗えない“女の行為”がある。これをされると、誰であろうと虜になってしまう……」
ソアラは目を輝かせ、前のめりになる。
「お父さん、教えて!いったい何をすればいいの!?」
「それはな……」
「な、なにっ!?」
一呼吸。空気が張り詰める。
そしてゲラルトは、目をカッと見開いて叫んだ。
「――風呂場抱きつきだ!!」
ゲラルトの性癖は、世間と比べて少し偏っていた。




