大学生活④ 勝負のとき
今回は数字と現実の話です。
派手な展開はありませんが、主人公が「覚悟」を決める回になります。
1983年(昭和58年)4月
任天堂からの入金があってからは、劇的に環境が変化した。手持ち資金となる貴重な1700万円。これを使って次のステップに進むのだ。
まずは拠点として自宅近くで安いアパートを借り、共同の作業場とした。家賃は月5万円。半年で30万円だ。
賃貸契約に関する諸費用に加え、中古の机や椅子といった最低限必要なものを購入し、事務所兼開発場所としての体裁を整えるのに要した費用が30万円。
電話も引いた。もちろん固定電話だが、これの契約料と権利金が異常に高くて10万円。
未来の話となるが、結局固定電話を解約しても返してくれないお金となる。
それと、竹中重治個人が使っているパソコンに頼るという、これまでのやり方ではダメで、会社として動かねばならない。
よって、ファミコンソフト開発に必要となる、新たなパソコンを購入することにした。
まずは、NECのPC-8801を導入した。周辺機器としてディスプレイ・キーボード・FDDも購入した。
あっ、これわかりにくいだろうか。FDDとはフロッピーディスクドライブの略だ。
ついにカセットから脱却して、フロッピーへと進化したのだ!「だから何?」とか言わないでほしい。これでも現在の最先端なのだから。これら費用は60万円程度。
あとは特殊なツールとしては、ソフトのROMに書き込むためのEPROMライタと呼ばれる装置と、その周辺機器一式で60万円。
さっきのパソコン・周辺機器など合わせて120万円なり。
アセンブラは自作、デバッガは手作業。
作業に失敗すればROMを焼き直し、夜が明けるまで原因を追う。
ここは解説が必要だろうか。『アセンブラ』とは任天堂公式の開発ツールが手に入らないため自作しているという意味で、専門用語になってしまうが、任天堂ファミコン用の『MOS 6502系』CPU向け言語に対応する簡易言語を、機械語に変換するプログラムを自分たちで作っているという話なのだ。
そしてデバッガとは、簡単に言えばプログラムのバグを手作業で潰しているという、気の遠くなるような作業を指す。
要するに、任天堂が便利な道具をくれる時代ではないから、ゲームを動かすための命令を翻訳する道具すら、自分たちで作るしかなかったというのが実態なのだ。
そんな原始的な体制で、私たちはファミコンソフト開発に挑んでいた。
我が社は任天堂とサードパーティとしての契約を結んだが、令和と違ってライセンス契約は冷淡というか素っ気ない。
任天堂と交わした契約内容は、ファミコン本体仕様の概要と、ROMカートリッジの製造・検査・販売といった範囲に限られており、簡単に表現すると『作り方は教えるが、道具は自分で用意しろ』ということになるだろう。
まあそれは会社が違う以上、当たり前の話ではあるのだが。
それと忘れてはいけないのが人件費だ。
3人が開発に携わり、給与が月に12万円として、開発期間は半年と見込んだとする。
そうすると3×12×6で216万円が必要経費となる。
製造原価はもっとシビアだ。
概算だが、ROMチップ、基板、プラスチック筐体、箱・説明書といったものの製造原価は、1本あたり 約800円~980円といったところか。
イニシャルコストと呼ばれるものは、製造本数によって変わってくるが原価に含んでいる。
今回の目標は5000本だったから、原価の合計は以下の通りだ。
5000本 × 900円 = 約450万円。
史実は知らないが、この感じだと多くのサードパーティーは、3000本〜5000本スタートが標準だったのではないだろうか?我々としても最低ラインは5000本だと判断した。
まだある。
ここまでの出費に加えて、任天堂への支払いも忘れてはいけないのだ。
この時代では条件はまだ流動的で、わが社は契約第1号だから優遇されてはいるだろうが、ライセンス料が必要で、その金額は1本あたり300円だった。
つまり5000本×300円=150万円。
組み立てや梱包といった、製造そのものは任天堂主導だから心配しなくて良いが、人件費、製造原価、ライセンス料を含めた開発・製造コストを合計すると、おおよそ1000万円を超える。
それに水道光熱費や電話代などの諸経費を計算すると、半年で1200万円程度を見ておかなくてはいけない。
だから最初から複数のソフト開発はできない。次作は、売上金が入金された後に本格化させるしかないだろう。歩みは遅々としているが、着実に進んでいる実感もまた得られる内容だろう。欲張ってはいけない。着実に進むのだ。
とはいえ…
帳簿を閉じた瞬間、部屋が妙に静かになった。
計算そのものは単純だ。小学生でもできる。
だが、その数字が意味するものは、途端に重くのしかかってくる。
「……これ、失敗したら終わりだな」
誰に言うでもなく私は呟いたが、竹中も寧音さんも否定しなかった。
ほんの数日前まで、この数字は「未来への切符」だと思っていた。
だが、何やかんやで必要となる資金は1200万円以上。
まだ手元に残る現金はあるとはいえ、その大半は「今回の製品が売れる」という前提に立っている。
売れなければ、会社は1年も保たない。
銀行は助けてくれないしアテにもできない。
実績のない学生ベンチャーに、新規融資などあり得ないからだ。
メインバンクとして登録した銀行に挨拶に行ったが、担当者は私に全く興味がなさそうだったし、時間がないから帰ってくれとまで言われたのだ。
「数年後には100億の市場を作るアルゴリズムを、我がピクセルジョイトロンは持っています」と言っても無駄だった。
無駄なのは最初からわかってはいたが。
任天堂も救済措置など用意していない。売れなければ、ただ消えるだけだ。
「5000本……多すぎないか?」
竹中が、珍しく弱気な声を出した。彼はいつも数字に強い。
だからこそ、その口から出た疑問が重い。
「いや、これ以上減らすと単価が跳ね上がる」
「そうだな……3000本じゃ、逆に詰む」
寧音さんは何も言わなかったが、表情は明らかに暗い。理屈では分かっている。だが理屈と覚悟は別物だ。
私は思考を切り替えることにした。
社員に弱気なところを見せれば、それは士気の低下に直結する。
戦国武将は、いかなる場合でも平常を装うことに腐心したらしい。大将が慌てれば部下も慌てる。だから不動心が必要で、風林火山の『山』が大切なのだと。
そういう話を、いつだったか何かの本で読んだ記憶がある。
ここは冷静になろう。なるべきだ。
「ま、まあ、成功した場合を中心に考えよう。
俺の予想だが、ファミコンは売れる。それも世界的な大ヒットになるのじゃないかな。俺たちの作ったものもそれと同時に売れていくはずだから、気持ちを強く持とう」
「そ、そうだな!」と竹中。
無理をしているのは明らかだが、こいつのこういう部分が好きだ。
寧音さんの表情も少し引き締まってきた。
「こう考えよう。5000本が完売するとする。いや、初回ロットについては、任天堂側が卸への引き取りを保証してくれる契約を結んだことを忘れるなよ?」
「あ、そうだったな」と竹中。
肝心なことを忘れるのも彼のお茶目なところだ。
この保証がなければ、私たちは最初から5000本など作れなかった。
「ソフトの販売価格が3800円でスタートしているから、卸売業者への納入が60%として単価は2280円。これがわが社の売り上げとなるから、5000本納入すれば?」
「1140万円ね」と寧音さん。
暗算が速いな。
「そうだ。それが手元に残るから、次のソフト開発に繋がるだろう。
だから1作目は低コスト、短期で開発できて確実に売れるものが欲しい」
そう。ソフトであればなんでも良いのではなく、内容が肝心なのだ。
「クソゲー」と呼ばれやすいものではいけない。攻略難易度が高かったり、ルールが難解なものはNGだ。
だから最初のシューティングゲームはシンプルに、わかりやすいものにしなくてはいけない。
まあこの辺りは竹中の得意分野だ。
最後に三人で話し合ったのは、資産の有効活用方法だった。
せっかく手にした資金だ。眠らせておくのはもったいない。株式取引に回せば、次のソフト開発資金にもなるし、うまくいけば人員を増やす余地も生まれる。
とは言っても、注意すべきは法律や定款との整合性だ。
剰余資金で株を買うこと自体は違法ではない。だが一歩踏み外せば、「ゲーム会社」ではなく、「よく分からない投機屋」になってしまう。
税務署から目を付けられる恐れもあるし、あの公証人から「定款のどこにも記載がない!」と大目玉を食らう羽目になるかもしれない。
だからこそ、これは投資ではない。
次の勝負まで、資金を眠らせないための“待避”。そう言い訳できる範囲に、きっちり収める必要があった。
三人で話し合った末、結論はすぐに出た。
「短期で増やそうとするな。減らさないことを最優先にしよう」
最初にそう言ったのは、意外にも竹中だった。
彼は数字の人間だが、博打を打つタイプではない。だからこそ、この判断は重い。
「株は確かに魅力的だ。でも信用取引とか、仕手株みたいなのは論外だな。あれは完全に投機だ」
「同意。現物のみ、しかも出来高のある大企業に限定だな」
私はそう答えながら、頭の中で条件を整理していく。
今は1983年で、まだバブル前夜。
だが、兆しは確実にある。
史実で言えば日本の多くの会社は『財テク』という名の安易な金儲けに走って、最後は大火傷をした。
ここで派手に動く必要はない。
むしろ、何もしないリスクを避けるために、最低限のことだけをやる。それが今回の方針だ。
「定款上は問題ないとしても、事業目的と無関係な株を大量に買うのは避けたいわね」
寧音さんが、珍しく慎重な口調で言った。
ここは耳を傾ける場面だろう。
「例えば?」
「例えば…自社と関係のある分野。電子部品、半導体、玩具、家電。そういうところが良いのではないかしら?」
なるほど。
それは理屈としても、説明としても強い。
「取引先の動向を把握するため」、「業界研究の一環」
そう言い張れる余地がある。
「じゃあ、銀行株とか不動産株は後回しだな」
私はそう言って、心の中で別の名前をそっと封印した。今はまだ、早すぎる。
結局、決めたルールはこうだ。
・信用取引はしない
・短期売買はしない
・現物のみ
・業界関連株に限定
・投下額は、手元資金の3割まで
「3割なら、仮に全部吹き飛んでも会社は即死しない」
竹中のその一言で、全員が黙って頷いた。
そして最後に、私は念を押した。
「いいか。これは儲けるためじゃない。時間を買うためだ。
次のソフトが出るまで、会社が少しでも楽に呼吸できるようにする。そのための保険だ」
誰も反論しなかった。
こうして、私たちは初めて経営者としての投資をすることになった。
学生がゲームを作っている、そんな生易しい立場はもう終わりだ。
金を動かすということは、世界と直接、殴り合いを始めるということなのだから。
私は帳簿を閉じ、深く息を吐いた。
次に開くとき、どうかこの数字が味方であることを、ただ、祈るしかなかった。




