狐とお風呂
私は気付いた。
燐太郎のふわふわ尻尾が、汚れている……。
こないだは、あちこち駆けまわったからね。
その時、地面をこすって汚れちゃったのだろう。
「りんくん。ちゃんとお風呂に入ってる?」
「風呂!?」
びゃー、と毛を逆立てて、燐太郎は飛び上がる。
「あんな怖い……じゃなかった、オレは、必要ないことはしないんだ」
「でも、お風呂にはちゃんと入らないとだめだよ」
「必要ないって言ってるだろ! 毛づくろいならしてる」
「それってどうやるの?」
猫とかがやるみたいに、舌でぺろぺろ?
私が疑問に思っていると、燐太郎はその場に座りこんだ。両足を前に投げ出す座り方だ。そして、尻尾を自分の前へと持ってくる。
「こうして……」
次に燐太郎は、くしをとり出した。
「こう!」
尻尾をくしくし……。
とかし始める。
か、可愛い……!
尻尾を抱きかかえるような姿勢も、自分でくしを通しているのも、毛が絡まっているところがあるのか、時折、くしが引っかかっちゃってるのも、毛の一部がびろーんと飛び出しちゃってるのも……全部、可愛いんだけど!!
「……毛づくろいって、尻尾だけ?」
「そうだけど」
「なるほど」
私はにっこりと笑って、燐太郎の首根っこを捕まえる。
「よし。お風呂行こっか」
「やっ……やだ~~~!」
施設の2階にはお風呂場がある。
この施設は共同生活を送ることを想定して、作られているみたいなんだよね。だから、お風呂場も広い。
魔導でお湯が出るシャワーは3つあるし、バスタブは丸い形で、5人くらいなら浸かれる広さがある。
燐太郎は子狐の姿に戻って、往生際悪く手足をばたつかせている。
子狐サイズだと、風呂桶の中に入れられるな。私はそこにお湯をためた。
温度は熱すぎないように……。これでよし!
「ほら、気持ちいいよ。入ってみて」
「うぐ~~~…………」
燐太郎は不満そうにうめいている。狐の体を抱っこして、風呂桶に入れる。
燐太郎の毛は黄金色で、足の先だけが黒い。その足を曲げて、お湯から出した。そして、ちゃぷんとまた入れる。
ちゃぷちゃぷ……足踏みしてる。
「…………ん?」
燐太郎が何かに気付いた声を出す。
ゆっくりと腰を下ろした。足を折って、くつろぐポーズだ。顎が風呂桶の縁に乗っている。
そして、燐太郎は気持ちよさそうに目をつぶった。
「それじゃあ、洗っていくよ」
私は風呂桶の中を泡立てる。それで燐太郎の毛を包んだ。
すると、風呂場の外から涼やかな声が響いた。
「失礼する。りんの姿が見当たらないのだけど」
「あ、楓弥さん! りんくんならここだよ。今、洗ってあげてたんだ」
「そうなんだね。開けても大丈夫かい?」
「はい、どうぞ!」
楓弥が扉を開けて、こちらを覗きこむ。泡だらけになっている燐太郎を見て、目を丸くした。
「珍しい。りんは水に濡れるのが嫌いだったのに。エリンさんによほど懐いているようだ」
「別に……そんなんじゃないけど」
燐太郎は照れたように、ぷいっとそっぽを向いた。
その様子に私も楓弥も、ふふっと笑う。
楓弥は私のそばまでやって来て、風呂桶のそばにしゃがみこんだ。首を傾げて私の顔を覗きこむ。白銀色の髪がきらめいて、さらりと揺れた。
「とても気持ちがよさそうだね。……羨ましい。エリンさん。私のことも洗ってくれないか?」
「え?」
「しっぽが9本あるのだけど、人間の姿でも、この姿でも、自分では手の届かないところがあってね」
「あ、なるほど」
「しっぽだけでも洗ってくれたら、助かるよ」
「それなら、もちろん!」
楓弥は、うっすらとほほ笑む。
次の瞬間、狐の姿へと変わっていた。
おお、楓弥の狐バージョン……!
いつ見ても神々しくて、美しい!
楓弥がおすわりすると、立派な9本のしっぽがゆらゆらと揺れた。
そのしっぽに私はおずおずと手を伸ばす。綺麗すぎて、おいそれと触れていいのかわかんないよ。でも、本人が「いい」って言ってるもんね。
「わ……楓弥さんのしっぽ、すごく綺麗……。手触りもいいなあ」
「ふふ……」
私はそのしっぽに泡を絡ませた。
あわあわ、もこもこ!
「エリンさんの手、とても心地いいよ」
「え? あ、……えっと……ありがとう」
うん、あれ?
私、狐を洗っているだけのはずなのに?
楓弥の声が低くて、何だかちょっと怪しげだから、照れる……!
こうして、泡だらけになった狐の兄弟。
次はシャワーをかけていく。
燐太郎はびしょ濡れだ。……ちょっと細くなった?
「うー……毛が重い……」
燐太郎は不満げに言って、ぶるぶる!
わー、水が飛び散った! 私も少し濡れちゃった。
楓弥は全身が濡れていても神々しい! 毛が水を含んで余計にきらめいているように見えるからだろう。
それにしても、びしょびしょだなあ。
これ……乾かすのどうしようか。自然乾燥だと時間がかかるよね。
「あ、そうだ」
魔法がある!
魔法では、火や風を起こせるのだ。
クラトスを呼んで、魔法で乾かしてもらえばいいんだ。
すると、小鳥のシルクが、ふわふわと飛んで来た。興味深そうにこちらを覗きこんでいた。
「シルク! いいところに! 私、燐太郎と楓弥さんとお風呂場にいるの。毛を乾かしてほしいから来て。って、クラトスに伝えてくれる?」
「シルク! シルク! いいところに!」
シルクは私の言葉をくり返す。ふわふわと脱衣所を出て行った。
……うまく伝わるといいんだけど。
「私、楓弥さんとお風呂!」
って、ちがーう!!
シルク、その伝言ゲームは間違ってるよ!?
「ちょっと、待って、シルク~! ああ……行っちゃった……」
何だか、ものすごく変な意味になってません……? いや、でもクラトスはいつも理性的だから、きっと伝言がねじ曲がっていることに気付く……よね?
後ろから楓弥が声をかけてくる。
「エリンさん、気遣いありがとう。でも、大丈夫だよ。私の得意魔法は氷属性だけど、少しなら風も操れるんだ」
そうだったんだ。
それなら、クラトスを呼びに行かなくもよかったね。
振り返ると、さっそく楓弥が自分と燐太郎を風で乾かしていた。おお、さらさらの白銀色の毛並み! そして、燐太郎のふわふわ毛が、風になびいている。
その直後。
どかーん!!!!
すごい音が遠くから響いた。
何の音!? 敵襲!?
脱衣所の扉が勢いよく開かれる。
「エリンが楓弥とお風呂!?」
慌ててやって来たのは、クラトスだった。
いや、何でそこ信じちゃってるの!!?
「待って、クラトス! これはあのね、シルクの伝言が……」
クラトスの視線が私の後ろに向けられる。
すると、その目に殺気が宿った。
え? 後ろにいるのは、狐の2人だよね?
そう思って、私も振り返る。
そこにはなぜか、人化した楓弥だけ(ちゃんと服は着ていた……よかった)。
いつの間に、人の姿に戻ったの!?
燐太郎は……あ、そうか。楓弥のしっぽが9本もあるせいで、燐太郎が隠れて見えないんだ。
「……うん?」
楓弥はにっこりと笑って、首を傾げている。
いや、笑ってないで誤解を解いてよ!?
「……………………」
クラトスの目が極寒に変わった。
全身から殺気を発しながら、手に魔法を集めている。
だから、ちょっと待って~!?
「クラトス! これは誤解なの! 攻撃魔法は撃たないで!」
「エリン……止めても無駄だよ。その狐に、いろいろと聞きたいことがある」
「待って待って、私から説明するから!」
「エリンは今すぐその変態狐から離れて」
ひ、ひええ……っ、どうしよう。
目が! いつもクールなクラトスの目が据わりきっていて、怖いです。
その時、ディルベルが怒鳴りながらやって来た。
「おい、クラトスてめー! 施設の壁を破壊すんじゃねえ! って、ああ?」
ディルベルは中の様子を見て、目を見開く。
「なんだ、この状況」
「さあ……修羅場だろうか?」
楓弥はまるで他人事みたいに笑っている。
すると、彼の後ろから燐太郎がひょっこりと顔を出した。
「兄ちゃん……意地が悪いぞ……」
そうこうしている間に、クラトスが今にも攻撃魔法を放とうとしている!
私は楓弥を守るように立った。
「あのね、クラトス! だから、ちがうってば! りんくんも一緒だったし、2人とも狐の姿……っ」
「問答無用、エリンどいて」
「わああ、ディルベル、止めて~!」
ディルベルが面倒くさそうに顔をしかめるが、すぐに動いてくれた。
クラトスの背後から攻撃魔法をくり出す。
「やめろ、このアホ!」
クラトスは振り返ることもせず、それを防御魔法で防ぐ。手の中の攻撃魔法はそのままだ。
相変わらず、魔法センスがすごい……難なく、2つの魔法を同時起動しているよ。
「ディル……」
クラトスは底冷えする声で言って、ディルベルの方を向いた。
「僕は今、最高に機嫌が悪いんだ」
「はっ、知るかよ!! 勝手に憤死でも何でもしてな!」
クラトスはためらいなく、手に展開させていた魔法を放った。雷だ。それをディルベルは魔法障壁のようなもので防ぐ。
ちょっとちょっと、お2人さん!? 風呂場で魔法バトルはやめてくれない!?
私が慌てふためいていると、背後からこんな声が聞こえてきた。
「ふふ……風呂上りは、やはり氷菓子に限るね。りんも食べるかい?」
「兄ちゃん……楽しんでやってるだろ?」
何で楓弥は1人で、かき氷とか作って食べてるんだろうね……?
それに気付いたらしく、クラトスとディルベルの殺気がそちらにも向かった。
「楓弥……ずいぶんと余裕そうだね」
「おい、そこの元凶らしきクソ狐~! てめえだけ、他人事みたいな顔してんじゃねえ!!」
2人が撃ち出した魔法を、楓弥は涼しい顔で防いでいた。
……楓弥ってもしかして、なかなかにいい性格をしている……?
コミカライズ1巻が発売となりました!
表紙が最高に可愛いので、見てください↓
エリン+クラトス+レオルドで、3人デートする話もやります。





