6 王都の危機
王都エヴァは、混乱に包まれていた。
突如として上空に現れた、緋色の竜。
その竜が口から炎を吐き出す。そして、街を焼いた。
いたるところから悲鳴が上がる。市民たちは竜に恐怖し、逃げ惑った。
我先にと逃げようとする者が、他の人を押しやり、転倒が相次ぐ。
炎の余波で火傷を負った者もいる。
彼らは助けを求めていた。
そして――すがるべき相手を見つけた。
「聖女様! ミレーナ様! うちの子が転んで、怪我をしているの! 助けてください!」
「聖女様! 痛いです……苦しいです……! 祝福をください!」
ミレーナは大勢の市民に詰め寄られていた。
壁際に追いつめられて、逃げ場がない。
彼女は顔を蒼白にしていた。
――どうして、こんなことになるのよ!
――こんなにたくさんの人を、一度に治療できるわけないじゃない!
そんなことは、自分の力では不可能だ。
それなのに市民は次々とやって来て、懇願してくる。
自分を囲む人たちの姿に、ミレーナは焦り、次第に苛立った。
――そんなことより、私だって早く逃げたいのに……!
彼らが邪魔だ。
ミレーナは追いつめられて、逆上した。
「いいから、そこ退きなさいよ! いくらお願いされたって、祝福はしないわ!」
「でも、聖女様……」
「聖女様、お願いします!」
あまりのしつこさに、ミレーナの我慢は限界を迎えた。
ここから逃れたい一心で喚く。
「できないって言ってるでしょう!? 私は一度に複数人に祝福はできないの! わかったら、さっさとそこを退きなさい!」
彼女の言葉に、市民は衝撃を受ける。
「え? でも、前の聖女様は……」
「聖女ならそれくらいできるんじゃないのか?」
「そうだぞ、エリン様ならできていたのに!」
市民たちは追いつめられ、恐怖していた。
そこにミレーナの一言が投下され――彼らの怒りに火をつける。
失望から変換された憤怒は、広がるのも早かった。
「なぜエリン様にできていたことが、お前にはできないんだ!?」
「偽物なのはこいつの方じゃないのか?」
「それじゃあ、エリン様が偽物の聖女というのは、嘘……?」
「まさかお前が、エリン様のことを陥れたんじゃないだろうな!?」
彼女を憎しみの目で捉える者が、1人……また1人と増えていく。
そのことにミレーナは戦慄した。
「ちがう……! ちがう、私じゃない……! だって、司祭様が……!」
目に涙を浮かべながら、訴える。
いつもならミレーナがこういう表情を浮かべれば、必ず助けてくれる人が現れる。
それなのに――今は誰も助けてくれない。
皆はますます苛立った様子で、ミレーナを睨んでいた。
(もう嫌……! 聖女になんて、ならなきゃよかった……!)
ミレーナは心の底から後悔していた。
◇
炎に薙ぎ倒され、壁が倒壊する。
「ひいい……!」
第一王子ロイスダールは、情けない声を上げた。
彼を守るように魔法騎士が立つ。そして、防御を展開した。
瓦礫は防御に阻まれて、落ちてこない。その様子を見て、ロイスダールは安堵の表情を浮かべる。
そして、すがるように声を上げた。
「騎士たちよ! 僕のそばから離れるなよ! 僕を第一に守れ!」
彼1人を守るために3人の騎士がついている。
ロイスダールはミレーナを探すため、護衛を連れて教会を訪れていた。そこで突然、建物が揺れて、壁が崩壊してきたのだ。
ロイスダールはパニックを起こして、壁際で縮こまっていた。
彼のために騎士が防御を展開している。しかし、1人で十分なので、他の2人はやることがない。街からは悲鳴が聞こえてくる。彼らはそちらが気になっている様子だが、ロイスダールが命じるのでこの場から動けないのだ。
騎士たちはあまり顔には出さないように気を遣っているが……それでも、どことなくうんざりとした様子であった。
その時、凛とした声が上がった。
「お前たち、何をしている!」
レオルドだ。
毅然とした立ち姿で、彼らを一喝した。
「優先するべきは市民の安全だ! 彼らを守るために力を振るえ!」
「レオルド殿下!」
「ああ、よかった……! レオルド殿下の方が来てくれた!」
騎士たちは打って変わって、顔を輝かせる。
「ご命令いただき、ありがとうございます! 殿下のご命令だ、市民を守れ!」
「はい!」
目に力強い光を宿して、騎士たちは駆け出していく。……3人とも行ってしまった。
ロイスダールはおろおろとして、声を上げる。
「ひぃい! 僕を置いていくな! 僕は王子だぞ! お前たちは、民ではなく僕を守れ!」
「――兄上」
その声にこめられた冷淡さに気付かず、ロイスダールは彼に食ってかかる。
「レオルド、お前のせいだぞ! お前が余計なことを言ったせいで……!」
「兄上はよほど、今の状況を恐れているようだな」
「なっ……と、当然だろう!? 何が起きているのかは知らぬが、異常事態ではないか!」
「そうか。では、とっておきの秘策を教えてやろう」
レオルドが拳を振りかぶる。
ロイスダールは武術でも勉学でも魔法でも、弟に劣っている。
そのため、その一撃を避けることができないどころか――何が起こったのかすら認識できずに、殴り飛ばされた。
「うひぇっ……!」
ロイスダールは派手に吹き飛び、地面に倒れる。
彼は白目を剥いて失神した。
その上から冷ややかな声がかかる。
「意識をなくしていれば、怖い思いをしなくて済むぞ。――この、馬鹿王子」
◇
レオルドは教会の外へと出た。
王都エヴァは、混乱に包まれていた。
突如として上空に現れた、緋色の竜。その竜が口から炎を吐き出す。そして、街を焼いた。いたるところから悲鳴が上がる。市民たちは竜に恐怖し、逃げ惑った。
火の手が上がっている。レオルドは即座に水の魔法を放って、鎮火に努めた。
街の上空を火竜が飛び回っている。口から小粒の火玉をいくつも吐き出した。
小粒といってもそれは竜の巨体からすればという話であって――人間からすれば、大岩ほどの大きさである。
それが建物に着弾して、弾けた。
教会の向かいにある建物が崩れ落ちる。通りにはまだ避難中の住人が大勢いる。そこに向かって、瓦礫がなだれこんだ。
(しまった……!)
レオルドは防御魔法を展開しようとするが、間に合わない。
魔法は同時に複数を行使することはできないのだ。鎮火のために水を使ったせいで、即座に切り替えが効かない。
その時――。
落下する瓦礫を受け止めるように、闇色の力場が展開する。
誰かがレオルドの脇を、すさまじいスピードで通り抜けた。
その姿を見て、彼は驚愕する。
「ディルベルか!?」
ディルベルの見目が変化している。頭につけていた猫のお面が外れ、代わりに角と翼が生えていた。
彼は宙を軽やかに飛行して、手を掲げる。闇色の力場があちこちで展開し、建物の崩壊から市民を守った。
レオルドも彼の下へと駆けながら、防御魔法を行使する。彼の手が回っていない箇所を補佐した。
「君は、竜だったのだな」
「まあな」
ディルベルはこちらを向いて、ニッと笑う。
「なぜ私たちを助けてくれるんだ?」
「あ?」
「さっきの竜は、君の知己だったのだろう? あの竜を苦しめたのは私たち人間だ」
ディルベルは目を細め、真剣な顔付きをする。
そして、手の向きを変え、別の場所に防御を展開。また市民を守った。
「ミュリエルはな、本当は優しい竜なんだよ」
彼は迷わず、次々と防御の力場を作り出す位置を変えていく。その下を通ろうしていた市民を庇った。
「自分のせいで誰かが傷ついたと知ったら、あいつが悲しむだろうが! だから、そんなことはさせねえ!」
レオルドは目を見張る。そして、穏やかな表情で頷いた。
鎮火活動を再開しながら、声を張り上げる。
「協力に感謝する! 心優しき竜よ」
「おうよ」
2人は共に通りを進んで、住人が無事に避難できるように道を作る。
しかし、これではキリがない。レオルドは焦燥感をにじませ、上空を見上げた。
「大元を絶たねば、この事態は収拾しないぞ」
「あっちはエリンに任せるしかねえよ」
「何!? エリンならあの竜をとめられるのか?」
「エリンなら、じゃねえ。エリンにしかできねえんだ」
ディルベルは確信を得ているのか、たくすような笑みで空を見る。
「エリン、頼んだぜ。俺を救ってくれた時のように、ミュリエルを救ってくれ」
◇
クラトスは私を片腕で抱えたまま、一気に高度を上げる。
ミュリエルとの距離は、あっという間に縮まった。
「マルセル! ミュリエルさんに、こんなことをさせるのはやめて!」
ミュリエルの背に乗ったマルセルがこちらを見る。
そして、驚愕の表情を浮かべた。
「なぜ空を飛んでいる!? ……いや、そうか。わかったぞ! あなたも私の同志なのですね!? はは、あなたはどの幻獣の力を使っているです?」
「お前、ずいぶんと勝手なことを言うね」
クラトスが拳を握りしめて、吐き捨てる。冷静なように見えて、よほど怒っているみたいだ。その証拠に、掌に爪が食いこんで、血がにじんでいた。
マルセルは薄ら笑いを浮かべ、私たちを見据える。
「いいでしょう。エヴァ博士の魔法を超えた、私の奇跡……あなた方にお見せしてあげますよ。ミュリエル、私を浮遊させなさい!」
ミュリエルの目が怪しく光る。
すると、マルセルの体が浮かび上がって、私たちの前に降りてきた。
「ははは! 見ましたか!? 魔法では実現不可能であるとされた、空中飛行! それすらも幻獣の力を借りれば可能となるのです! これこそが技術の進化! この世はエヴァ博士の理想にまた一歩、近付いたのです」
「……魔法書は技術書だから、思想については記していないんだけど」
クラトスが冷淡に告げて、掌をマルセルに向ける。
彼らが話す間にも、ミュリエルは次々と炎を吐き出している。それが眼下に飛んでいって、街に着弾した。
「クラトス、街が……! 早くミュリエルさんを元に戻してあげないと」
「大丈夫。そんなに時間はかからないよ」





