巡り合い
いつもお読みくださいまして、ありがとうございます。
あと数話、お付き合いいただければ幸いです。
◇◇ソフィーリア◇◇
離宮に降り立って驚いた。
上位貴族のお屋敷よりも、いや、実家、辺境伯の屋敷よりも小さいのだ。
だが庭園はさすがに整っている。
吹く風にのって、柔らかな花の香りがする。
騎士と思われる男性に案内されて邸内に入ると、誰かが階上から降りて来る。
人影を取り巻く、陽炎のような気配。
この方が、「炎の王子」だろうか。
長身で、胡桃色の髪を後ろで纏めている、お若い男性だ。
……左の頬は、皮で覆われている。
案内役の騎士に肘でつつかれて、私は慌てて淑女の礼をする。
「マグワイヤ国王太子、クルーガだ」
低頭している私の側まで来たクルーガ殿下は、ふいに私の顎を掴み上を向かせた。
「っ!!」
私は驚き、思わず目を見開いた。
殿下のお顔を、じっと見つめてしまう。
黒い輝石のような殿下の瞳は、微かに赤い熾火のような色が重なっている。
嘘を一目で見破るような、鋭い視線だ。
だが。
決して冷たくはない。
此の瞳、どこかで見た……
「フランシオン家のトリアンティ、か?」
私は唾を飲み込む。
嘘をついてもきっとばれる。
何より。
この方に、嘘をつきたくはない。
「恐れながら、わたくしは、ソフィーリア・フランシオンでございます」
殿下の目の奥の熾火が、一瞬火の粉を吹いた。
私は背中がぞくりとする。
美貌の姉ではなく、地味な妹が来たことで、この方を怒らせてしまったのだろうか。
「殿下。フランシオン伯から、手紙を預かっています」
殿下は手紙を一瞥し、私に向かう。
「君の姉上はご病気とのことで、代わりに君が嫁すと書いてあるが……」
「その通りでございます」
殿下の口元が僅かに弧を描いたように見えた。
「では、後ほど、契約の儀を執り行う。それまでは休息されよ」
踵を返した殿下は、カツカツと足音を響かせて、階上へと向かわれた。
私は傍らの騎士に導かれ、部屋へ入る。騎士はアネムスと名乗った。
なんと、綺麗な部屋なのだろう。
窓には真新しいカーテンがあり、天蓋付きのベッドまで用意されている。
ここは、貴賓室だろうか。
「しばらくは、こちらでお過ごしください。夕食はお持ちいたします」
「ええっ!」
アネムスさんの言葉で、はしたない声を上げた。
「持ってきて、いただけるのですか?」
アネムスさんは、首を傾げ、「何か問題でも?」と逆に聞き返された。
「い、いえ」
身代わりの私に、客人対応してくれるなんて、申し訳ないのだ。
「それより、荷物が少ないですが、あとから届きますか?」
アネムスさんは、黒い髪をかき上げて私に訊いた。
殿下とは違う系統だが、浅黒い肌に黒髪のアネムスさんも、綺麗な顔立ちだ。
見つめられると、私は恥ずかしい。
学園に二年間通ったが、下位貴族と一部平民の、女子ばかりのクラスだった。
姉のトリアンティは、高等部まで上位貴族のクラスにいて、いつも男子に囲まれていると噂で聞いたけれど。
「あ、全部です、これで」
「ええっ!!」
アネムスさんも、大きな声を出す。
「婚姻費用は、あらかじめ渡してあるはずだが」
ぶつぶつと彼は何かを呟いた。
私は持参したカバンから、ワンピースを取り出し、皺を伸ばした。
だいぶ色あせているが、質の良い生地で縫製が丁寧な服は、これを含めて二枚しか持っていない。
それらは、祖父母が買ってくれた物であったり、祖母のお古であったりする。
学園に通っている時は、制服が指定されていたので、サイズは違うが、姉が着なくなったものを縫い直して着ていた。
それが当たり前だと思っていたので、別段なんとも思わなかったが。
フランシオン家においては、複数の侍女たちが姉の身支度の手伝いをしていたが、私につく侍女はいなかった。
それどころか、使用人が休暇を取る時は、私がその代わりをしていた。
掃除も洗濯も料理でも、一通りやれるようになったのは、私が祖父母の屋敷から戻ってきてすぐのことだ。
そもそも、私を産んだ母が産後体を壊したため、まだ幼かった姉と私を育てるのが難しくなった父は、すべて私のせいだと思ったらしい。二番目の子どもなど、ましてや女など、いらなかったと何度も吐き捨てられた。
母が病気になったのも、母が持っていた治癒の力を、私のために使い切ったと言っていた。
母が亡くなると、私は祖父母の屋敷に引き取られた。
引き取られた時、私のあばら骨の浮き出た姿を見て、祖母は泣いた。
私は祖父母に引き取られて、命を吹き返した。
祖父母の屋敷は国境のはずれにひっそりと建っており、周囲は草原と麦畑のみであった。
季節折々の草花は、庭園に咲く観賞用の花ほどの豪華さはなくても、素朴な愛らしさをたたえていた。
空を飛び交う鳥や虫を無心に追いかけながら、私は少しずつ体力をつけた。
祖父母の屋敷の寝床は温かく、食事も毎日三回、提供された。
そこで私は知った。衣服は、毎日洗濯するものだと。
祖父母は高い教養と知性を持っており、私は二人からたくさんのことを学んだ。
貴族としての礼儀やふるまい、王国の歴史と地理的環境、身を守るための体術は祖父から習った。
かつては王国一といわれて祖母の魔術の知識を、実践と共に受け継いだ。
祖父母の屋敷の周囲の草花には、人を救うことのできる種類がたくさんあり、その使用法も覚えた。
「ソフィーリアとは白い花。目立たぬ小さな花なれど、それは人を救う花だ」
この祖父の教えがあったからこそ、後々フランシオン家で存在を否定されたような時でも、私は心を守ることが出来た。
祖父母との生活は、終始穏やかなであった。
そういえば、一度だけ。
不穏な出来事に遭遇した。
血の匂いと、黒く蠢く呪い。
切られた左頬。
渡された王家の紋章。
あれは、まさか。
◇◇炎の王子◇◇
一目で分かった。
間違いない。俺を救ってくれた少女の成長した姿だ。
清純で可憐な瞳をしていた。
髪の色は成長に伴い、変わったのかもしれない。
フランシオン家を調べていた時に、咲き誇るバラのような長女以外にもう一人、使用人と変わらないような、地味な次女がいると分かった。
学園で調べてみたら、フランシオン家の次女は確かに在籍はしていたが、教師も覚えていなかった。
彼女は俺を、覚えているだろうか。
さきほど、つい顔に手を伸ばしたら、彼女がビクッと体を硬直させた。
怖がらせてしまっただろうか。
俺の目付きが悪いからか。
あるいは、傷を隠している、皮当てのせいかもしれない。
とりあえず、契約が済めば安心できる。
「失礼します」
アネムスがやって来た。
「ソフィーリア様、お食事が終わりました」
「そうか。では、そろそろ契約の準備でも……」
「いや、それが」
アネムスが困った顔をしている。
「何か問題でも?」
「はあ。食後、ソフィーリア様は食器をご自分で下げ、それだけでもびっくりしましたが、厨房で料理人とお話されながら、食器を磨いていらっしゃいます」
「何っ?」
俺も驚いた。
「なんでも、フランシオン家では、いつもそうだったからとか。本日の夕食の料理方法などを、料理人に質問されたりして」
フランシオン家は豊かな領地に恵まれ、税収も多いはずだ。また、国境警備費用として王家から高額な予算を受け取っている。使用人に事欠く、金欠貴族ではないだろうに。
「嘘ではないようです、クルーガ様。契約の折、ソフィーリア様の指先をご覧になってください」
俺は無言になる。
今まで、ソフィーリアはどんな生活をしてきたのだろう。
「ところでクルーガ様」
「なんだ」
「本当に『白い結婚』でよろしいのですか?」
「何をいまさら。父の喪が明けて、俺が戴冠するまでは、そのつもりだが」
アネムスは俺と兄弟のように育っているので、二人きりになると口調が変わり、下世話な男同士の話も出来る。
「あなたがそれまで我慢できるかどうか、心配で心配で」
アネムスはニヤっと笑って契約の準備に行った。
俺も、すぐにアネムスに反論できない自分が、心配だった。
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