291.冒険者になろう
聖教国との交流が活発化するにつれ、ロートシュタイン領は賑わいを増していった。特に目立つのは、これまで聖教国で農業に従事していた若者たち、すなわち"冒険者"の卵だ。
聖教国に存在する七つのダンジョンは解放されたものの、その内部は未だ未知の領域が多く、本格的な調査探索が冒険者ギルドによって始まったばかり。このため、実績のないルーキーたちは、冒険者の聖地と謳われるロートシュタイン領へ、一攫千金を夢見て出稼ぎに来るようになっていた。
そして、この日。
聖教国の西の辺境にある鄙びた村から、三人の幼い若者が、冒険者ギルド・ロートシュタイン支部の重厚な門をくぐった。
「い、いいか? 行くぞ! こういうのは、勢いとハッタリが大事だって、父ちゃんが言ってたんだ。ナメられないように、堂々とだぞ!」
鼓舞するように息巻くのは、十四歳になったばかりのスヴェン。金髪を短く刈り込み、まだ幼さを色濃く残すが、瞳には無鉄砲なヤンチャさが宿る。
「う、うん……。わかったよ。でも、お兄ちゃんこそ、足が震えてるじゃん……」
その妹、十二歳のポラリスは、不安に揺れる兄の背中を、そっと追いかける。彼女の小さな体には、故郷で培った健気さと、未知への恐怖が同居していた。
そして、もう一人。
「本当に、大丈夫なのかなぁ。王国の人たちは、獣人族には優しいって聞いたけど……」
と、黒い猫耳と黒髪を持つ猫耳獣人族のセリナは、十一歳。スヴェンとポラリスとは、同じ村で兄妹のように育った農奴であった。
幼い冒険者たちは、未知の世界に足を踏み入れた恐怖と、胸の奥で燃える希望という、矛盾した感情を抱え、重い一歩を、前へ、前へと踏み出す。農奴の身分であっても、自由に稼ぎ、己の意志で物を買えるようになった。この、革命にも等しい出来事が、彼らを故郷から飛び出させたのだ。
両親と村人たちは案じていたが、「目的地が、ロートシュタインならば……」と、何故か安堵した表情で三人を送り出してくれた。彼らが胸に抱くのは、この地で懸命に働き、両親へ仕送りをしたいという、幼いながらも健気な願い。
しかし、新米パーティーに、早速冒険者特有の"試練"が降りかかる。
「ケーッケッケッケ! ここは、ガキの来る所じゃねえよ? 坊っちゃんに、お嬢ちゃんたち」
立ちはだかったのは、柄の悪い、しかしどこか見覚えのある、長身の細身な男。
「ふっふっふ……。そうよ。家に帰って、ママのおっぱいでも、しゃぶってなさいな……」
と、小柄な女性が、悪役然とした凶悪な笑みを浮かべ、三人を見下ろす。
三人は、ガクガクと体を震わせた。やはり冒険者とは荒くれ者ばかり。このままでは、子供だと侮られ、酷い目に遭うのだと、瞬く間に絶望に駆られる。
だが、その時。
ギルドの奥、階段から、長髪の冒険者が慌てた様子で駆け下りてきた。
「何してんだ?! お前らっああああ!!!」
一喝と共に、彼が振り下ろしたのは、巨大なハリセン。その一閃は、風を切り裂き、立ちはだかったラルフとスズの頭を、「スパコーン! スパコーン!」と、音も鋭く二連撃で打ち据えた。その剣閃の鋭さは、流石は歴戦の冒険者を経た、ギルドマスターであった。
頭を叩かれた領主ラルフ・ドーソンは、目を回しながらも、
「いや〜。なんか、ここの冒険者の皆って、結構、優しいからさぁ? こういう定番の"お約束イベント"、一度も見たことないなぁ、と思って……」
と、いつものように頓珍漢なことを言い出す。
それに続いたスズは、
「そう……。"お約束"が足りないのよ」
と、ラルフと全く同じ問題意識を口にした。
ギルドマスターのヒューズは、もはや頭を抱えるしかない。
「あのですねぇ! こうして、万年人手不足のロートシュタインの冒険者に、新たな加入者が来てくれたのですよ?! それを、追い返すような真似をして、どうするんですか!」
彼にしては珍しく激昂して領主を叱責する。
ラルフが始めた、居酒屋領主館を中心とした"美味しい革命"は、経済規模の拡大に伴い、食糧供給源である冒険者の、慢性的な人材不足を引き起こしていた。
それなのに、この領主は……。
他国からせっかく来てくれた貴重な労働力をイジメてどうするつもりか?! と、さすがに怒りが込み上げてきたのだ。
「いや、これもさ。『人生経験』っていうか?」
ヘラヘラと笑う領主に対し、ヒューズは、ふと妙案を思いつく。
「ラルフ様、厨房に入ってください。この将来有望な冒険者たちに、何かご馳走してあげましょうか?」
「えっ! な、なんで、僕が?!」
と慌てふためくラルフ。
「なんでって、怖い思いをさせたんですから、"心優しき領主様"としての振る舞いを見せてあげるんです。ほら、お前たち、腹は減ってるか? 美味い物を食べさせてやるぞ」
まるで引率の保育士のように、ヒューズは怯える三人の若者をカウンターに導いた。
なんだか、悪ノリをしてしまったことに、今さらながら羞恥心を覚えたラルフは、おとなしくギルマスの指示に従い、巨大な鉄板の前に立った。
共犯であるスズが、しれっとカウンターの椅子に腰掛けているのを見て、ラルフは複雑な心境になる。
そのスズは、隣に座る黒猫獣人族のセリナに向かって、
「貴女、絶対に大剣が似合う! 私が、いつか"自立思考型AI搭載の神剣"を造ってあげる。貴女はそれを、『師匠』と呼びなさい!」
と、前世のファンタジー作品への異常なこだわりを押し付ける。当のセリナは、
「えっ? あ、あの、私、剣なんて使えなくて。薬草採集で稼ごうかなぁ、と……」
とおどおどと答えるが、
「いいから、一度私の言うとおりにして。そして、貴女は"フラン"と名乗りなさい!」
「えー! なんでぇぇぇぇ?!」
この謎のやり取りに、またしてもヒューズのハリセンが、スズの頭頂部に「ポムッ!」と、控えめに振り下ろされた。
そんな騒動を横目に、ラルフは素早く厨房を見渡す。冒険者ギルドの食堂だが、慣れた居酒屋領主館の厨房と大差はない。そこに用意された具材から、手早く作れるメニューを瞬時に導き出す。ロートシュタイン製麺所の木箱、セスの農家から運ばれたであろう、艶やかな卵、そして、大量の肉塊。さらに、色鮮やかなトマトや、清涼な生姜もある。
「よし! オムそば! トマトソース仕立てはどうだ?」
ラルフが両手を広げて提案すると、それを聞いた人々は、ゴクリと唾を飲んだ。
彼の前世、新潟県のローカルB級グルメに"イタリアン"というものがある。塩気控えめの太め焼きそばに、特製トマトベースのミートソースをかけ、白生姜を添える、という奇抜な一品だ。ラルフが思いついたのは、その「イタリアン」をさらに進化させた、オムそばにすることだった。
早速、太めの麺を熱した鉄板に載せる。醤油とソースが絡められ、野菜も合わさると、香ばしくも暴力的な匂いが、冒険者ギルド全体に漂い始めた。
これからダンジョンや密林に分け入ろうとしていた冒険者たちですら、その蠱惑的な匂いと、鉄板の上で炒められる光景に、思わず喉を鳴らした。
ゴクリッ!
カウンターには、クエストに向かおうとしていたが、その仕事を投げ打った冒険者が殺到する。
「ラルフ様! 俺もそれ、食いたい!」
「あーもう! 今日は仕事なんて無理だ! ビールくれぇ!!!」
ソースの焦げる匂いは、あまりに魅惑的すぎた。なんだか色々と諦めた冒険者たちの喧騒が響き始める中、
「お前らは……ちゃんと、仕事はしろよ……」
と呆れながら、ラルフは鉄板の麺を返す。
すると、三人の新米冒険者が、おずおずと立ち上がった。
「あ、あのぅ……。何か、手伝いましょうか?」
と、スヴェンが意を決して言う。
「そ、そうですね。クエストとかは、まだ私たち、できないかもしれませんけど、炊事なら家でもやってましたし……」
と、ポラリス。
「私も、剣は使ったことないですが、包丁なら……」
と、セリナも立ち上がる。
その健気で真剣な提案を目にしたラルフは、キョトンとした後、ニヤリと不敵な笑顔を浮かべた。
「クックック……。これは素晴らしい。どうしてか、ウチの、"新しい従業員"が確保できてしまったようだ……!」
その瞬間、またしてもヒューズから、ハリセンが振り下ろされ、ラルフの頭を軽く「ポンッ!」と叩いた。
「いや、"ウチの冒険者"だ。やらねーよ……」
と、ヒューズに宣言されてしまう。
どうやら、このロートシュタイン領で起きている、深刻な人材不足は、どこも同じらしい。




