290.シメの流儀
「ラルフさまぁ! シメに焼きおにぎりをくれんかぁ」
カウンターの端、米酒を飲み干したらしい髭面のドワーフが、熱気に上気した顔を上げて声を上げた。その声には、一日の締めくくりへの期待と、慣れ親しんだ味への渇望が滲んでいる。
「はいよ〜。味噌ダレで、ネギ多め、あと出汁だよね?」
領主でありながらこの賑わいの中心、居酒屋の店主でもあるラルフは、手際よく注文を復唱する。常連の好み、その機微までを完璧に記憶していることに、ドワーフは瞳を細めて喜びを噛みしめる。
「そうそう! それよそれ!」
そのドワーフの満足げな声に被せるように、明るく高らかな声が響いた。
「はいはーい! 私達は、シメにフルーツの盛り合わせ下さーい!」
声の主は聖女トーヴァ・レイヨン。いつになったら聖教国へ帰還するのか、もはやこの領地最大の謎となっている彼女だが、毎晩のようにこの居酒屋領主館を訪れ、豪快に酒をかっ食らう姿は、ロートシュタイン領の日常風景として完全に溶け込んでいた。
「ウ~ン……。イチゴに、ブドウ、キュウイ。柿もまだあるか……」
ラルフは店の奥の保冷庫を覗き込む。
この領主館の裏に根を張る、あの謎の樹、――リグドラシル。
その恩恵により、季節を問わず様々な新鮮な果物がもたらされる。領主としての政務の傍ら、ラルフはリグドラシルに関する古文書や魔導書を調査しているが、未だその詳細は霧の中だ。しかし、これほどの豊かな恵みを享受できているのだ、メンドクセーし、深くは考えないという実利的な割り切りが、彼の生活を支えていた。
「ラルフ様ぁ! ケーキとか、できないんですかぁ?」
カウンター席で果実酒を楽しんでいた、最近この地に流れ着いたばかりの若い魔導士の女の子が、期待を込めて手を挙げた。
「ケーキは勘弁してくれ〜。ヘンリエッタがいれば出せたんだが……。あ! ハルが作ったプリンならあるから、クリームと果物を合わせて、プリンアラモードみたいなのなら作れるか……」
ラルフにも得手不得手がある。特に甘味、スイーツの類は苦手分野だ。彼の前世の料理知識は、あくまで素人料理、趣味として再現した居酒屋メニューの域を出ないからだ。
「儂は、シメにお茶漬けをくれ。シャケで、ワサビもつけてな……」
カウンター席で米酒を楽しんでいたヴラドおじさん、つまり国王陛下も、遠慮なくお気に入りのシメを注文する。
「はいよー。よければ、一つどうぞ」
ラルフは小皿に大粒の苺を載せ、国王に差し出した。いわゆる、店主からのサービスだ。それをガブリと頬張る国王。熱燗で火照った身体に、冷やされた苺の瑞々しい甘みが染み渡り、心地よい飲酒の余韻を洗い流していく。
余談だが、飲酒後の果物は健康上の理に適っている。アルコールを分解する肝臓のエネルギー源としてフルーツの果糖[フルクトース]が作用し、ビタミンは二日酔いの原因物質の分解を促進すると期待される。加えて水分やカリウムの補給にもなるのだ。
「美味いな。もういくつか貰ってもいいか?」
ヴラドおじさんは、素直におかわりを所望した。
「どうぞー」
「こっちにはラーメンをくれー!」
「俺はトンコツだー!」
店の奥のテーブル席から、冒険者たちがシメの定番、――ラーメンを所望する声が上がる。
まさに、そういう時間帯なのだろう。酒を飲み終え、理性が明日の仕事への差し障りを考慮する時間。こうしてシメの注文が堰を切ったように殺到するのだ。
この居酒屋領主館には明確な営業時間は存在しない。店主が酔いつぶれても常連客だけで明け方まで飲んでいることもあれば、悪天候の日には早々に客足が途絶えることもある。すべては適当、臨機応変という名の、領主ラルフの気分と客の勢いに委ねられている。
「こっちはカレーライスくれー! むっ? そういえば、エリカ嬢は?」
聖教国の司祭が、いつもの騒がしい看板娘の不在に気づき声を上げた。
「あいつなら、もうすでに"おねむ"で、夢の中へ旅立ったよ。今日は狼達を引き連れて、海まで行ってたらしい。疲れたんだろ……」
ラルフは、二階の客間で寝息を立てているであろう、チンチクリン令嬢に思いを馳せる。彼女は酒を飲めないが、やはりと言うか、エリカの本日のシメもカレーライスだった。三杯おかわりし、満足気にフルーツ牛乳を飲み干していたという。
「ラルフ、俺もそろそろ、シメだ」
ビールと焼鳥というお気に入りの組み合わせを堪能し尽くしたファウスティン公爵が、その端正な顔を上げて手を挙げた。
「ファウストさんは、どうする? お茶漬け、ラーメン?」
「俺は、牛丼をくれ」
公爵は、迷いなくそう言い放った。
「なんか、重め、なんすね……」
ラルフは一瞬たじろぐ。シメとしては異例の重厚さだ。
「酒飲んだ後に、妙に食いたくなる時があるんだよ……」
その言葉に、ラルフは、
(ちょっと……わかる)
と、思わず心の中で呟いた。
前世、飲み会帰り、最寄り駅前に燦然と輝くあの牛丼チェーンに、フラフラと立ち寄ってしまった記憶が蘇る。腹は満たされているはずなのに、あとほんの少し、胃の容量に何かを納めたい、この夜が終わってしまうことへの口寂しさからなのか、シメの一品という儀式めいた食事が欲しくなってしまうのだ。
このシメのオーダーを捌ききれば、ようやく本日は閉店となる。そう感じたラルフは、
「そんじゃ、そろそろ僕も、飲みながらやらせて貰おうかな……」
そう宣言し、本日の一杯目、キンキンに冷えたジョッキを保冷庫から取り出し、樽の栓を開き、黄金色のビールを注ぎ込んだ。
すると、
「あれ? ラルフ様も、飲むの? じゃあ、私ももう少し飲もうかなぁ」
と、聖女が言い出す。
「ラルフさまー! こっちに来て一緒に飲まんかぁ?」
と、ドワーフ達がテーブルへ誘う。
ラルフは、呆れと、目の前の現実への軽い絶望を感じながら、思わずツッコミを入れた。
「いや! お前ら、シメたんたろ?! シメたなら、帰れよ!」
その言葉を一笑に付すかのように、梅干し茶漬けを平らげたばかりの冒険者の女の子が、すっきりとした顔で言う。
「なんか、シメたらすっきりして、今度はハイボールが飲みたいような?」
「わかる! なんか、味の濃い、酒精の強い酒が飲みたくなってきた!」
「というか、ファウストさんのギュードン? あれ、美味そうだなぁ」
どうやら、シメは終わりではなく、第二ラウンドの始まりを告げる合図だったらしい。
居酒屋領主館の夜は、まだ続く。




