289.恋する、なんとかクッキー
「ふむふむ……。貴方、今年何か決定的な転機がありましたね?」
水晶玉を覗き込み、透き通るような声でそう告げるのは、一見して清廉な聖女トーヴァ・レイヨンだ。彼女の瞳は、まるで遠い星の光を見つめているかのように神秘的だ。
「おおっ! そうだ、その通りだ! 岩島ダンジョンで"この子"を手に入れて以来、格段に稼ぎが上がってな!」
冒険者の男は、興奮気味に、手入れの行き届いた、変形機構を備えた大鎌のような魔導武器を掲げて見せびらかす。その武器は、彼の誇りの証であるかのようだ。
「なるほど、なるほど……。しかし、これからしばらくは、運勢は深い谷に入ります。あまり、無謀なクエストに挑まず、石橋を叩くような慎重さが大事ですよ」
トーヴァが覗き込む水晶玉が、聖魔法の柔らかな、しかし確かな輝きを放ち、酒場の薄暗い空気を一瞬だけ神聖なものに変える。
「むっ?! そうなのか……。来週から、聖教国の最難関のダンジョンに挑もうかと考えていたが……。一度、計画を見直してみるか……。もしかしたら、聖女さまのおかげで命拾いしたのかもしれんな。助かったぜ!」
冒険者は感謝の意を込めて、銅貨をテーブルに置いた。
「まいどでーす!」
トーヴァはそれを実に手慣れた仕草で懐にしまい込む。その笑顔には、聖女としての威厳と、商売人としてのしたたかさが同居している。
「次は俺だ!」
「あ、わ、私もー!」
聖女さまの怪しげな占いに、客達が我先にと殺到する。
その光景をカウンター越しから見ていたラルフは、思わず深い溜息をつきそうになるのを堪え、呆れた声で問いかけた。
「で? あれは、いったい何をしているんだ?」
すると、カウンターで皿洗いをしていたヘストナ・ヴァールが、なんだかバツが悪そうな、子犬のような顔で答えた。
「トーヴァお姉様、競馬で大負けしたとかで……。ああして、"占い"で、稼ぐことにしたとかで……」
「なるほど。だからって、この……居酒屋の客席でか?」
「やっぱり……、ダメ……ですよねぇ?」
ヘストナの不安そうな声に、ラルフは諦めの吐息を一つ、静かに漏らした。
「……まあ、いいさ……」
悪どい商売を勝手に客席でやられてはたまったものではないが、彼女が取っている料金は一杯の酒にも満たない程度。しかも、客たちは皆、真剣に、そしてどこか楽しげにその占いを受け入れている。これはもう、酒場の一つの活気あるアトラクションと解釈するしかない。
「わ、私、実は、好きな人がいましてー」
「うーん……。その恋、結ばれないかなぁ。その先に進めば、貴女、地獄に堕ちるわよ」
「えぇぇぇぇ!! そんなぁ……」
平和的なんだか恐ろしいんだか、よくわからない恋占いまで繰り広げられている。
トーヴァ自身は、先読みや星詠みといった本格的なスキルを持っているわけではないらしい。
だが、腐っても聖教国の聖女さま。そして、あの水晶玉に宿る聖魔法の輝きは、まがい物には見えない、確かな霊験を醸し出している。
「ま、特に害はなさそうだし。勝手にやらせとこう」
ラルフはそう結論づけ、調理に戻ろうとした。その時、孤児のミンネとハルが、天使のように客席に駆け出した。
「皆さーん。どうぞ! サービスでーす!」
「私達が作りましたー。どうぞー!」
可愛らしい声を響かせ、彼女達はお手製のクッキーを客達に配り始めた。
荒くれ者揃いの屈強な冒険者達ですら、その愛らしさに自然と頬が緩み、小さな手から受け取った不恰好だが心のこもったクッキーを、酒の合間の口直しとして、ポリポリと齧る。
占いに、クッキー……。
その光景を眺めていたラルフに、天啓ともいうべき一つのアイデアが閃いた。
彼の前世にあった、人を喜ばせる、あの文化。
その翌日。
「何? フォーチュン・クッキー?」
知的好奇心旺盛なパトリツィア・スーノが、理知的な首を傾げた。
「はいっ! クッキーの中に、折りたたまれた紙が入っていて。そこに運勢やメッセージが書かれてる、ちょっとしたクジみたいなクッキーです!」
獣人のハルが、猫耳をヒョコヒョコと愛らしく動かしながら説明をする。
「面白そうね。一つ貰おうかしら!」
パトリツィアがそう告げると、ミンネが手持ち籠に積まれた、まるで小さな餃子を折り曲げたような形のクッキーの山を差し出してきた。
「では、この中から一つ選んで下さい!」
「なるほど。では、これにしようかしら……いえ、こっちがいいかなぁ〜」
パトリツィアは、この単純ながらもワクワクする遊戯の面白さをすぐに見抜き、無邪気な少女のように楽しんでいる。
そして、
「これにする!」
その中の一つをつまみ上げ、まるで宝物のように慎重に齧る。
その頃になると、他の客達も興味津々といった好奇の目で、その光景を見ていた。パチリと二つに割れたクッキーの中にあった、折りたたまれた紙。それを広げると、そこには……。
"近いうちに、アナタに小さな幸運が訪れるでしょう"
シンプルで、前向きなメッセージに、パトリツィアの顔は思わず花が綻ぶように緩んだ。心なしか、口の中のクッキーも甘さを増した気がした。
「はい! はい! オラもやる!!」
エルフのミュリエルが、獲物を見定めたハンターのように手を上げる。
「どうぞー!」
ミンネが籠を差し出すと、ミュリエルは極めて真剣な眼差しで、クッキーを吟味する。どれも似たような形をしているが、何やら心の目で運命の糸を見通さんとするかのように。
「コレだ!」
彼女が掴み上げたクッキー。早速齧り、中のメッセージを取り出した。書かれていたのは……。
"戦わなければ、勝てない……"
それを見たミュリエルは、
「なにっ?! なん?! オラ、何かと戦わんきゃいけねーんかっ?!!」
と、騒々しく慌てふためく。
カウンターの中でそれを見ていたラルフは、全身の筋肉を使い必死で笑いを噛み殺していた。それは、彼の前世で愛した、不屈の闘志を持つアニメキャラの名言だった。つまり、完全なる、ラルフの悪ふざけメッセージだ。
すると、その隣の席にいたオルティ・イルも、フォーチュン・クッキーを注文し、ある意味、運命的なメッセージを引き当てた。
"成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない"
「そうか……。やはり、そうなのだっ! もう一度私と勝負しろ! ラルフ・ドーソンっ!!」
オルティの中に、ラルフとの再戦に挑む熱い炎が灯されてしまったらしく、立ち上がり、カウンターの中のラルフを厳かに指差す。
まさか、かの文豪シェイクスピアの一節が、このような形で闘志の導火線になろうとは思わなかったラルフは、そっと頭を抱えるしかない。
「私も、一つ貰おうかしら」
クレア王妃が、優雅に微笑みながら。
「私も下さいな!」
リネア・デューセンバーグが、快活な声で。
二人は、ご婦人方の午餐会のようなテーブル席から声を上げた。
「どうぞー!」
そして、結果は。
クレア王妃は、静かに、丁寧に紙を開いた。そこに書かれていたのは、
"今日、アナタには幸運が訪れます"
と、辿々しく、しかし一生懸命な文字。
それは、クレア王妃の目には一目でハルが書いたものだと理解できた。いつだったか、ハルから送られたプレゼントに添えてあったメッセージカードと酷似しながらも、少しだけ洗練されてきた筆致。その成長の跡と、健気さに、クレア王妃は、凄まじいほどの素早さでハルに抱き着いた。
「ハァ、ハァ……。すぅぅぅぅぅぅ、ハァぁぁぁぁぁぁぁ~」
と、荒々しい息遣いで、"猫吸い"ならぬ、"ハル吸い"をしながら、恍惚の笑みを浮かべる。ハルはちょっと困惑した顔だ。
そして、リネアが引き当てたのは、
"本日のオススメは、カレードリアよ"
と、明らかに娘であるエリカの文字。
占いとかおみくじというより、プロモーションというか、カレー布教活動の一環としか思えないが、リネアはすんなりと受け入れた。
「カレードリアの、甘口を下さいな!」
と、注文を飛ばす。
生来から辛いものが苦手だったが、近頃は娘が熱心に研究を続けている「カレー」という料理を食べられないのは寂しかったらしく、少しずつ挑戦した結果、甘口カレーならば美味しく食べられるようになっていたのだ。
「チーズたっぷりにしておきますよ! お母様!」
エリカはカウンターから身を乗り出し、親指をグッと立てる。
リネアもそれに応えるように、親指を立てた。娘と母の間に、新たな絆が生まれた瞬間だった。
そして、ダンジョン・マスターのスズも、隠しきれない好奇心を抱き、ソワソワと。
「私も、一つちょうだい……」
彼女が引いたメッセージは、
"愛はすべてを混淆せず、渾然となす"
なんだか、哲学的で思想的なワードを引いてしまい、一瞬、面食らってしまう。
しかし、彼女も、そのワードを前向きな独自解釈へと昇華させ、前を向いて生きることに決めた。
「巨大ロボット、モビルスーツに、戦闘機……。この世界だからこそ、私は、つくれる!!」
スズは、ゴーレム造りのスペシャリストとしてのスキルを、この転生先の異世界で与えてくれた何者かに、特大の感謝の心が湧き上がる。
そんな、フォーチュン・クッキーが織りなす、人々の幸福な狂騒は、ラルフの予想以上だった。
彼は、もう、なんだか色々なことを諦め、この喧騒をどこか慈愛に満ちた目で眺める。
そして、
「僕も、一つ貰おうかな」
と、好奇心に負けて言うと。
「はい! どうぞー!」
と、ミンネが太陽のような笑顔で駆け寄ってきた。
その一つを摘み上げ、齧る。中のメッセージカードを開くと……。
"あきらめたら、それで試合終了ですよ……"
という、偉大なるバスケットボール作品の、不朽の名言だった。
諦めることは許されず、どうやってこの騒々しい客達と付き合っていけばいいのか……?
と、ラルフは、謎の疲労感に追い詰められてしまうのだった。




