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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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286/293

286.分断、闘争、秩序

 冷たい風が吹き抜ける、ロートシュタイン郊外の広大な草原。陽光はまだ高いが、空の蒼さはどこか厳粛な色を帯びていた。


 相対するのは、王国の象徴たるクレア王妃と、本日付けで王国騎士団に籍を置いた新参者、クランク・ハーディー。四十を過ぎたばかりの長身の騎士は、その鋭利な眼光を王妃に突き刺す。

 聖剣騎士団を抜け、新兵として立つ彼の身は、真新しい王国騎士団の軍服と、光沢を抑えた軽鎧に包まれている。

 だが、その手に握られた聖剣・ユグドラシアは、まるで年経た木の棒にしか見えない異様な様相を呈していた。


「いつでも良くてよ。"ユグドラシアの剣士"、クランク・ハーディー……」


 クレア王妃は、王家に伝わる双聖剣、右手に"タイコンデロガ"、左手に"アンティータム"を握り、剣先を地面に向けたまま、静かに、しかし、その視線だけで殺気を放っている。

 その佇まいは、美しい彫像のようでありながら、全身が刃であるかのような緊迫感を漂わせていた。


「では……、失礼して……」


 クランクの呟きが、風に乗ってか細く消えた刹那。クレア王妃は、その翡翠の瞳を大きく見開いた。

 クランクの姿が、陽炎のように一瞬揺らぎ、次の瞬間には、彼のいた場所から完全に消失していた。


 キンッ! カァンッ!


 炸裂する鋼の火花。

 それは、雷鳴のような剣閃がぶつかり合う音。超一流の剣士同士が織りなす、嵐のような応酬が、草原に旋風を巻き起こす。両者の動きは、あまりにも速く、観戦する騎士団員たちは、ただ手に汗を握り、固唾を飲んで、その激戦を見守ることしかできなかった……。


 やがて、茜色の夕闇が空を染め上げ、場所はロートシュタイン駐留騎士達の憩いの場、居酒屋領主館へと移った。


 木製の大テーブルを囲み、昼間の剣戟訓練の健闘を称え合う労いの言葉が飛び交い、賑やかに酒が交わされる。クレア王妃までもが席につき、騎士団員たちとグラスを傾けていた。


「おいっ! アンタ、やっぱ強ぇんだなぁ!」


「クレア様をあそこまで追い詰めるヤツなんて、はじめて見たぜ!」


 王国騎士たちは、興奮と酒の勢いに任せて、クランクに尊敬と畏怖の念を次々とぶつける。クランクも、悪い気はしないようで、「ふんっ!」と鼻を鳴らし、口元に得意げな笑みを浮かべながら、琥珀色のビールを一気に呷った。


 その様子を眺めていたクレア王妃が、心底不思議そうに、隣の女騎士に問う。


「騎士、ミラ・カーライルよ。疑うようで悪いのですが、本当にクランク・ハーディーに勝ったのですか? 実際に剣を交えた私には、彼の剣技が、王国でも五本の指に入る実力だと感じたのだけれど……」


 問いかけられたミラ・カーライルは、一瞬言い淀む。


「え? ……ああ、はい。正直、あの時は無我夢中で、あまり覚えてないのですが……」


 それは、動乱の最中、橋の上で繰り広げられた激戦。その結果を見届けた者は多かったが、ミラの口から語られるのは控えめな言葉だった。

 当事者であるクランクは、自嘲するように肩を竦める。


「ああ。俺は、確かに負けましたよ。完膚なきまでにね……。あんな惨めな負けは、はじめてでしたよ」


 それは、命をやり取りした剣士同士の間にしか通じ合わない、偽りなき回顧と、相手への最大限の敬意の言葉だった。

 すると、父であるカーライル騎士爵が、娘の勝利を素直に認められない様子で口を挟む。


「今となっては、とても信じられんな……。試しに、儂もクランク殿と"立ち会って"みたが、尋常ではない強さだったぞ……。よもや、娘よ、いつの間にか腕を上げたか?」


 だが、クランクは、騎士爵の疑問を打ち消すように、真摯な表情で頷いた。


「油断したと言えば、それまでだが。アレはまさに、"先の先を"突く戦法。ミラ殿は、良い目と勘を持っている。……いやはや、俺は、割と勉強になりましたぜ」


 クランクは、敗北の悔しさと、新たな技を学んだ喜びが入り混じる、複雑な感情を吐露した。


 その評価を聞いたミラ・カーライルは、自信満々に胸を張る。


「ふっふっふっ! やはり、ラーメンへの愛が、勝利へと導いたのだ!」


 あの時、勝利のご褒美として、ラルフに家系ラーメンをねだったことが、彼女にとっては勝利の秘訣であり、揺るぎない信念となっていた。


「俺も、そのラーメンとやら、食べてみようかなぁ」


 クランクが興味を示すように呟くと、ミラの目がキラリンと光った。


「おお! そうこなくては、……すみません! マスター! この者にも、"全部盛りイエケーラーメン"を一つ!!」


 ミラは、クランクの意思を確認することなく、勝手にオーダーを通してしまった。


 その時、この居酒屋領主館のオーナー、大魔導士ラルフ・ドーソンが、彼らのテーブルにやってきた。


「クランクさん、無理にその腹ペコ騎士に付き合う必要はないっすからねぇ……。気になるメニューあれば好きに頼んで下さい」


 ラルフは呆れを隠さずにそう口にしたが、ミラはガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。


「何をいうのですか?! マスター! 今日はせっかくのクランク殿の入団歓迎会なのですよ! ならばこそ、この店の至高の一品、イエケーラーメンを食べて貰わなくては!!」


 ミラが息巻くと、その声を聞いた他の客席からは、極めて激烈にして、至極平和的な舌戦が巻き起こった。


「至高の一品なら、塩ラーメンだろう!」

「何を言うか?! ラーメンなら、辛味噌!」

「バカを言うなっ!! 激辛麻婆麺を食ってから言え!!」


「ラーメンはジローケーしか認めん!!」


 想像通りの展開に、ラルフは深い溜息を一つ。


「何をぉぉぉぉぉぉ?! "イエケー親衛隊"、私に続けぇ!!!」


 ミラが民衆を扇動する革命家のように声を上げると、「おうっ!」と、店内の各所から屈強な男達が立ち上がる。


 しかし、聖教国の農奴の一人であった筋肉モリモリマッチョマンな男が、対抗するように立ち上がった。


「イエケーなど、敵に非ず! ジローケーを愛する猛者どもよ!! 今こそ聖戦の時だ!!!」


 まるで死をも畏れぬ軍隊のような、野太い声がまたもや各所から上がる。

 両勢力が睨み合い、一触即発の緊張感が店内を満たし、中には剣の柄に手をかける者まで現れた。


 その時、静寂が訪れた。


「《厄災波動ディザスター・パルス》」


 大魔導士ラルフ・ドーソンが、右手の上に生み出した魔法。

 眩い光が一瞬にして圧縮され、光を透過しない、真っ黒な真球の魔力が、彼の掌の上でバチバチと青白い放電を繰り返している。


 そして、ラルフは、極めて感情に乏しい、静謐な表情で周囲を見渡した。


「ふ〜ん。僕の店で、騒ぎを起こす気なんだ? "出入禁止"になりたいの? それとも、"消し炭"になりたいの?」


 誰もが、その圧倒的な魔導技術に目を見開き、冷汗を流す。

 カーライル父娘、クランク、そしてクレア王妃までもが、歴戦の猛者としての勘で、そのヤバさを瞬時に理解した。


 騒ぎに乗じた人々は、心の中で後悔と反省の念に苛まれた。


(悪ノリ、しすぎた……かも……)


 と。


 聖人君子を地で行くラルフだが、一線を越えるような客の振る舞いは決して許さない。

 それこそが、荒くれ者の冒険者までもが集うこの店が、不思議と平和に営業を続けられる、絶対的な秩序の理由なのだ。


「……す、すまない。マスター……。わ、私も、ジローケーは、好きなのだ……」


 ミラは脂汗をダラダラと流し、恐縮しきった様子で謝罪する。


「い、いや。俺達もさぁ、イエケーラーメンで、白飯を貪り食うの、嫌いじゃないっていうか……」


 ジローケー信者達も、天才大魔導士の威圧に、瞬時に矛を収めるしかなかった。もしこの店を出入禁止にでもなれば、この世界で生きていく活力すら失われてしまうと、皆知っていたからだ。


「うん……。みんな、仲良く。ね?」


 ラルフは、練り上げた魔力を一瞬で無に還す。その場にいた誰もが、心から安堵の息を吐いた。


 その時、沈黙を破ったのはクランクだった。


「……とりあえず、俺は、イエケーラーメンとやら、食ってみてぇ……です」


 剣士としての好奇心、そして一触即発の状況を収束させた空気の中で、彼は純粋にその料理を所望した。


「……はいよ」


 ラルフは呟き、厨房へ歩き出した。

 誰もが安堵の息をつく中、ミラは小声で父親から大説教を食らっていた。


 しばらくして、クランクの前に、"大盛り全部盛り家系ラーメン"が置かれた。


「ライスはおかわり自由でーす!」


 獣人のハルが、猫耳をヒョコヒョコと可愛らしく動かし、去っていく。その愛らしい姿に、場の誰もがほっこりと微笑む。


 クランクは、目の前の見慣れぬ料理を、真剣な眼差しで観察する。


「なるほど……。なんだか、凄まじい匂いだが、……スープに、茹でた卵と、この緑色のは、薬草か? なんか色々入ってるんだなぁ。……この、黒い紙はなんだ? 食べられるのか?」


 すると、もう一人の店員、ミンネが彼の隣にやってきた。


「お待たせしましたー! ミラさんには、いつもの、"特盛りチャーシュー増し、ほうれん草増し"です!!」


 ドンッ!


 ミンネが、クランクのそれと比べ物にならない、巨大な丼をミラの前に置いた。


 クランクは、信じられない、驚愕の目でその巨大な丼を見つめた。


 一方、それを覗き込むミラは、愉悦と恍惚の眼差しを浮かべ、その未知の料理に手を震わせている。

 クランクは、この手強い女騎士の強さの源泉と秘密が、この料理に隠されているのかもしれないと直感した。


 彼は、この場の作法と思われる儀式めいた言葉を、深く息を吸ってから吐き出す。


「む……。ふむ……。では、いただきます!」


 フォークで絡め取った、スープが染みた麺。

 それを口に入れた瞬間。

 クランクの脳内で、

 天使のラッパが、爆音を奏でた。

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― 新着の感想 ―
 二郎系? 家系? 何いってんだ? もやし、ナルト、メンマ、卵、海苔、チャーシューにメインたる麺。そしてオーソドックスな醤油味のつゆ…。日本のラーメンの"原点"。王道にして至高の一杯! 盛ればいいって…
家系はなあ……2〜3ヶ月に一回あのスープを飲みたくなるのよ。お酢での味変知ったらこの世界震撼しそう(笑)
>天使のラッパが、爆音を奏でた。 クランク氏がデブる未来しか見えない…w
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