285.動乱の終わり
聖女解放運動の激動が終息し、数日。ラルフ一行は、賑やかながらもどこか安寧を覚えるロートシュタイン領へと帰還していた。
平穏な日常を取り戻す、はずだった。だが、公爵ラルフ・ドーソンの身辺は、聖教国での騒動以前よりも遥かに騒がしいものとなっていた。
「あぁ〜。もうデザイン思い浮かばないよぉぉぉぉ!」
領主館の裏手にある作業場。下着姿のラルフが、泥と汗にまみれて唸っている。その姿は、一国の公爵としてはあまりにも不埒で、だが、この男らしくもあった。
「似たようなのがあっても良いわよ! テキトーよ! テキトー!」
傍らで、素焼きを終えたぐい呑みにヤスリをかけながら、エリカが呆れた声をあげる。
「旦那様、また商人の来客でございます……このまま、ここにお通ししてもよろしいでしょうか?」
メイドのアンナが淡々と尋ねる。
「またかよー?! もういい加減にしてくれぇぇぇ!!」
ラルフは、聖教国での一件以来、超絶人気の陶芸家として、その名を大陸全土に轟かせてしまったのだ。
なんせ、女神が使用し、大教会に奉納された聖杯、その作者である。
その聖杯──もとい、ぐい呑みは、今や大教会のホールでガラスケースに鎮座し、一種の観光資源となっていた。それを一目見ようと人々が押し寄せ、そして「聖杯の作者」ラルフ・ドーソンの作品を買い付けようと、仲買人がロートシュタインの領主館に殺到し始めたのだ。
「ラルフぅ! 一号窯、焼き上がったから、窯出しするわよー」
パトリツィア・スーノが汗を光らせそう告げた。
「すまん! そっちで勝手にやっといてくれ〜。発注貰ってる分、今やらなきゃ終わらないってぇ!」
そう辟易しながらも、ラルフは無造作に、ろくろに粘土の塊を叩き付ける。
まさか、あの聖女解放運動が、こんな結果、――陶芸家としてのブレイクをもたらすなど、誰が予想できただろうか。
夜の帳が下り、領主館の正面玄関に"居酒屋領主館"の暖簾が掲げられる頃。
ラルフは泥と汗を洗い流し、厨房に降りた。店内はすでに、喧騒と笑い声の渦巻く、いつもの活気に満ち溢れていた。
「カンパーイ!」
「こっちに女神のハイボールをくれぇ!」
「こっちには塩茹でトウモロコシを!」
嵐のようなオーダーが飛び交い、メイドや孤児たちの店員が戦場のように駆け回る。
その喧騒を切り裂くように、ドアベルが乱暴に鳴り響いた。新たな来客、いや、厄介な挑戦者の登場だ。
「ラルフ・ドーソン!! 今日こそ勝負だぁ!!! あの雪辱を、私は忘れない!!」
声の主は、聖教魔導士のオルティ・イル。彼女は、あの大教会の橋の上での敗北がよほど悔しいのか、ここ数日、毎夜のようにこうしてやってくる。だが、その瞳に宿るのは、敗北の悔しさだけではない、ラルフに対する何か特別な、熱を帯びた感情のように見えた。
「お前なぁ、仕事中に来られても困るって、何回言えばわかるんだよ……」
カウンターの中、ラルフは盛大にため息をつく。
「ならばっ、オススメの激辛メニューを! 私は所望する!!」
オルティはビシッと指を差す。
(何が、『ならば』なのだ??)
ラルフは首を傾げる。敗北の雪辱と激辛メニューの間に、論理的な文脈は存在しない。しかし、彼女の狂気的な挑戦を前に、それを指摘する気にもなれない。
「“煉獄の麻婆カレー”、食ってみるか?」
ラルフが提案したのは、東大陸の未開の原生林で発見された、劇薬に等しい辛さの唐辛子を用いた一品だ。
オルティ・イルの顔に、狂気に歪んだ、愉悦に極まる笑顔が浮かび上がった。
「そ、そ、それを! 頼む!!」
彼女は椅子にドカリと腰掛けた。激辛メニューを待ち侘びる彼女は、まだ一口も食べていないのに落ち着きなく身体を揺らし、汗をかき始めている。
ラルフは、特製のガスマスクを身につけると、調理に取り掛かった。
再び、ドアベルがチリンチリンと鳴る。
「いらっしゃい」
ガスマスクの中から、ラルフのくぐもった声が響いた。
現れたのは、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵。その右肩の上には、パタパタと可愛らしい翼を羽ばたかせる、二頭身キャラに変容したサキュバスがいる。
ファウスティンはラルフの奇っ怪な姿に、
「どうした? 今度は、ヘヴィでエゲツナイ、オルタナティブ・ロックの、覆面バンドでもやるのか?」
「ちょっと何を言ってるかわからないんすけど……。このヤバい唐辛子を調理するのに必要なんすよぉ」
ラルフはガスマスクを上げ、汗だくの顔をファウスティンに向けた。
「ふーん……。ミンネちゃん、俺はビールと、あと焼鳥盛り合わせ、全部タレでな」
興味なさそうにカウンター席に座り、看板娘にオーダーを通す。
「かしこまりましたー!」
ミンネは元気よく返事をした。
「はいよ! お待たせ!」
ラルフは、ガスマスクのまま、オルティの目前に麻婆カレーを置いた。
彼女は、恍惚とした表情で、そのヤバい料理を凝視する。まるで、宝石箱を覗き込むように、その瞳は輝いていた。
「い、いただきます!!」
辛抱堪らずに、猛然と食べ出すオルティの顔は、真っ赤に染まり、涙と鼻水と笑顔という、まさにカオスな光景を現出させた。
そして、次々と、新たな来客が訪れる。
「ラルフさま〜! 女神のハイボールを人数分下さーい!!」
聖女の随伴としてロートシュタインにやってきて以来、ラルフが生み出す美食に堕落してしまった、聖教国の神官の一団だ。
「はいよー!」
ラルフは雑に返事をする。
すると、またドアベルが鳴る。
「さ、酒ぇ、酒をぉぉぉぉ!」
ヤバそうな禁断症状が出始めているのは、聖女トーヴァ・レイヨンだった。手足はプルプルと震え、まるで中毒患者のようだ。
「もう! お姉ちゃん、しっかりしなさいよ! たった数日お酒飲めなかっただけで、それヤバいでしょ?!」
腹違いの妹、マルシャ・ヴァールがトーヴァの背を叩く。
「あ、あの……忙しそうなので、よければお手伝いします」
そう申し出たのは、末妹の新米聖女、ヘストナ・ヴァールだった。
「助かる。ありがとな!」
ラルフが告げると、ヘストナは軽く頭を下げ、厨房に入り、ハル達と並んで皿洗いを始めた。
また、ドアベルが鳴る。今度は、団体客らしい。
「おー! ここが、居酒屋領主館か?! 噂通り、これは凄そうだ!」
大声を上げ、店内をキョロキョロ見渡すのは、聖教国の荘園主、ロジオン・ヴァール。
「おおっ! ヤベー! 良い匂い過ぎるぅー!」
「むっ? 主様っ! カレーもあるみてぇだが?! なんか、見たことないカレーがあるぞ!!」
次々と農奴達が顔を出す。なんと、ロジオン・ヴァールは、ジョン・ポール商会から購入した大型輸送魔導車:ファットローダーを自ら運転し、農奴達を乗せてここロートシュタインにやってきてしまったのだ。慰安旅行とでも言うべきか、いつの間にか、民を思う心優しき主に心変わりしたらしい。
「団体さーん! 席ないからさぁ、悪いけど、中庭でいいかなぁ? そのかわり、焼窯があるから、熱々出来立ての料理が食えるからさぁ!」
ラルフの大声での提案に、
「かまわん、かまわん!」
「イェー! ピザぁー!」
「グラタンー!!」
と、農奴達は小躍りしながら中庭へと続く扉をくぐった。外に出る瞬間、荘園主ロジオンはカウンター席にいる二人の聖女と目が合い、ふっと微笑んだ。
「主様ぁ! 見てくれよ! コレっ! こんなにデカい樽が!!」
「これが飲み放題って、ここ天国だろ?!」
「早く飲みましょうよー!」
農奴達に呼ばれ、ロジオンは中庭へ歩み出ていった。
聖女解放運動と、大教会によるラルフ・ドーソンの"聖人認定"を機に、聖教国とロートシュタインの交流と交易は急速に盛んになってゆく。
聖教国では、王国の王族、帝国の皇帝、共和国の参議会議員が現地入りし、今後の聖教国と大教会の在り方を話し合う"連合議会"が開催されているという。ラルフは、その後始末と面倒事を全て丸投げしたが、聖人となってしまった彼は、神官達に必死に引き止められ、半ば力尽くで王国に帰国した。
しかし、このロートシュタイン領は、聖教国の人々にとって、まさに聖地巡礼とも言うべき人気観光地と化していた。
聖教国の封印されていた七つのダンジョンが解放され、冒険者ギルドが誘致された。これまで農作業のみに従事してきた農奴も、冒険者として登録し、金を稼げるようになった。
金貨をばら撒くことで初動の経済的遠心力を生み出したラルフの作戦は成功し、聖教国は自立した経済構造を循環し始めた。
帝国も共和国も、その一大農地としてのポテンシャルを見抜き、投資を開始。開かれた為替市場が立ち上がり、聖教国は自立と共栄の道を歩み出したのだ。
まだまだ、この大事の後始末は時間がかかるだろう。しかし、ラルフは思う。
(まあ、なんとかなるだろ!)
あれほどの動乱と革命を経験した者達が、こうしてこの場にノコノコと酒と飯を食いに来る。案外、ロートシュタインの人々と、聖教国の人々の気質は、似ているのかもしれない。
それでも、違う文化、違う生活様式の中で生きてきた者同士。真の理解は、まだまだこれからだろう。しかし、今は、この喧騒の中に、真の平和の予感を抱くことにした。
「そなた、随分、強いと聞いたが?」
「はっ。恐れながら、王妃殿下……。剣には、そこそこの自信があります」
クレア王妃が、聖剣騎士団長と、厳かながらもどこか砕けたやり取りをする。
「えっ? 何その子?! 可愛い!!」
リネア・デューセンバーグが、ファウスティンの引き連れた小悪魔を、まるでぬいぐるみのように抱き締める。小さなサキュバスは、おとなしくなされるがままに、なんだか恥ずかしそうにしている。
洗い場では、ヘストナと獣人のハルが、いつの間にか仲良さそうに皿洗いをして、笑い合っている。
また、あるテーブルでは、筋骨隆々の農奴とリザードマンの戦士がアームレスリングを始め、
「いけぇー! のしちまえぇ! ムヴォス!」
「やったれー! ジローケー筋肉を思い知らせろー!!」
周囲の客達は賭けまで始めていた。エリカとヴィヴィアンも金貨を置き、手に汗握りその汗臭い戦いを見守っている様に、ラルフはため息を堪えられない。
しかし、まあ。
これなら、大丈夫だ。
と、ラルフは確信した。
(これで良かったですか? 女神様……)
ラルフは心の中で、そう問いかけた。どこか、空の上に、この祈りと願いが届くのだろうか? と、少々ロマンチックになってしまった事に、フッと自嘲気味に笑う。
すると、
「うん……。それで、いいんじゃない?」
目の前のカウンター席に座る、餡掛けチャーハンを頬張る青髪の少女が、事もなげに応えた。
(なんで……いるんだよ?)
ラルフは声にしなかった。明らかに神格を隠してこの場にいる女神様の配慮に、文句は言えない。
洗い場のヘストナ・ヴァールは、餡掛けチャーハンを頬張る少女に気が付き、ビクリと身体を震わせた。青髪の少女、女神は、にこやかにヘストナに手を振る。
すると、獣人のハルが、
「ヘストナちゃんも、賄い、食べなよー!」
と、気を利かせてくれた。
「そうだよ! 順番に食べることになってるからさぁ。先に食べなよー!」
他の孤児たちも優しく言ってくれた。
「おー! いいぞ! 何が食べたい?」
ラルフが聞く。
しかし、ヘストナは、ずっと、ずっと、疑問に思っていたことを、目の前の聖人様にぶつけてみることにした。
ある日、突然現れ、すべてを変えてしまった人物。その企みも、故郷に何が起きたのかも、実際にはまだよくわかっていなかった。ただ、皆がもっと幸せになる為の、大きな変化があったことは理解している。
だが、大人達の都合や企みの中で、どうしても腑に落ちない、ある一点があった。
それを、直接、その人物に問う。
「ねぇ。ジョン・ポールおじさん……。それとも、ラルフ・ドーソンさん? ……貴方の本当の名前は、どっちなのかしら?」
ラルフは、人差し指を口元にあて、「しー」と言いながら、不敵な笑みを浮かべた。
まるで、特大の秘密を楽しむ、いたずらっ子のように……。




