271.騎士の意地
「はーい! では、冒険者救護班の皆さーん! よろしくでーす!!」
ラルフの快活な声が響くと、ロートシュタインから駆けつけた冒険者たちは、橋の上で悶え苦しむ聖教魔導士たちへと歩み寄った。
彼らは、激辛唐辛子粉末を浴びた哀れな神官たちを肩に担ぎ上げ、治癒魔法に長けた魔導士が待機する天幕へと運んでゆく。
命に別状はないとはいえ、迅速な処置がなければ、失明などの深刻な後遺症が残る危険性がある。
しかし、約一名、その救いの手さえも拒絶する者がいた。
「私に触るな! この異教徒どもが! 私はまだ負けていないっ! ラルフと、ラルフ・ドーソンと戦わせろっ!!」
光の鞭でケツを打ち据えられ、立つことさえ辛そうな身体で、オルティ・イルはヒステリックに暴れ回る。
その狂信的な瞳は、既に理性を見失っていた。
「《催眠》」
ラルフは、その光景に心底うんざりしたような表情で右手を軽く振るう。
その瞬間、オルティの身体から力が抜け、カクン、と膝をついた。意識を失い頭を打たぬよう、ラルフはそっとその身体を抱きとめる。
「そこの君、コイツも、救護班に引き渡してくれ……」
そして、女性冒険者にオルティの身体を静かに預けた。その手つきは、敵意とは無縁の、ただ疲弊した一人の人間を労わるもののようだった。
ラルフは一度、教会の荘厳な威容とは反対側、反乱同盟の者たちが歓声と祝祭の熱気に包まれる岸へと引き返す。
「ご苦労、ラルフ。やはり、圧倒的だったな……。しかし、私達の出番はあるのか、と皆が待ち望んでいるぞ」
ヴィヴィアン・カスターが、そう問いかけてきた。
巨大な天幕の中では、既に酒盛りが始まっているが、己の武力を試す機会を心待ちにしている者たちも少なくない。
「まだ神官たちが大勢残っているんだろう? 確か、スズの報告では、『聖剣騎士』とかいう連中がいるはずだし……」
ラルフは親指で、背後の石造りの大教会を指し示した。その瞬間、
「ラルフっ! 教会から、誰か出てきたわよ!!」
ポップコーンを頬張っていたエリカが、橋の向こう、大教会の厳重な入口を指さし、興奮気味に叫んだ。
誰もが、一斉にそちらへ視線を向ける。
現れたのは、白銀の軽鎧をまとい、その上に威厳ある紫色のローブを羽織った一団。腰に帯剣しているその姿から、彼らこそが噂の聖剣騎士に違いないと察せられた。
彼らは整然と隊列を組み、まるで出陣の儀式のように規則正しい足音を響かせながら、橋の中ほどまで進む。
その中心から、一人の男が一歩、前に歩み出た。
そして、その場の静寂を打ち破るように、男は大声を張り上げた。
「……俺は、聖剣騎士、クランク・ハーディーだ! この神聖なる聖教国を討ち滅ぼさんと企む、異教徒どもよ! この俺が受けて立つ!!!」
比較的長身で、ブラウンの髪を後ろで無造作に結った初老の男。異様に鋭い眼光と、わずかに痩けた頬が、彼が並大抵ではない強者であることを雄弁に物語っていた。
「えっ、えええ……。別に国盗りにきたんじゃなくて、聖女様の解放が目的だし……。あの人、なんか勘違いしてないか?」
ラルフは戸惑いを隠せない。大教会に所属する神官にしては、言葉遣いがひどく粗野だ。この一連の「聖女解放運動」という事の趣旨を、全く理解していないのかもしれない。
その時、ラルフの背後、巨大天幕の中から、熱を帯びた声が上がった。
「マスター! 私が、私がやってもいいでしょうか!!」
女騎士、ミラ・カーライルが名乗りを上げた。
なるほど、魔導戦の次は、剣には剣を――。
ラルフは思案の末、静かに頷いた。
「……まあ、いいか。……だが、死ぬなよ! ヤバくなったら、即時撤退。ちょっとの怪我なら治癒魔法でなんとかしてやるから……」
疲れた顔をしたラルフは、火酒をあおるミラの父、カーライル騎士爵の隣の椅子にドカリと腰掛けた。
騎士爵は、娘がこれから死闘に向かうというのに、どこまでも呑気な表情で、
「飲むか?」
と、ボトルを差し出してきた。
「いえ、まだなんか一悶着も二悶着もありそうなんで……。勝利の美酒は、打ち上げにとっておきますよ……」
ラルフは辞退する。すると騎士爵は、娘の命を賭けた戦いを前に、冒険者や荘園主たちと、どちらが勝つかの賭けを始めてしまった。娘への信頼か、己の騎士道への自信か。ラルフには理解しがたい、騎士として持って生まれた心持ちがあるのだろう、と彼は納得することにした。
ミラはゆっくりと橋の上を歩みを進め、その男、クランク・ハーディーと橋の中央で対峙する。
「王国騎士団、ロートシュタイン駐留大隊所属、ミラ・カーライルだ。……騎士の名に賭けて、全力を尽くす!」
そう名乗ると、腰からショートソードをスラリと引き抜く。それは、つい先日この聖教国で購入したばかりの、聖剣:ヴェイオウルフだ。
「ふんっ、女とて、容赦はしない……」
クランクは、ローブの中からユラリと手にした得物を見せた。
それは、ただの、
木の棒だった。
ミラの片方の眉がピクリと揺れる。
「クランク・ハーディーとやら……。それは、私を舐めているのか? 手加減なしと口にしたクセに、それは、侮辱と受け取ってもよいのか?」
ミラが眉間にシワを寄せ、怒気を滲ませた。
しかし、その時、背後から緊張したスズの叫びが響く。
「気をつけなさい! それは普通の木の枝じゃない!! 私の攻撃でも、焼き斬れなかった!」
ダンジョン・マスターであるスズの熱線攻撃をもってしても破壊できない棒切れ。
ミラは再び彼の得物に目を凝らす。それは少し黒ずんだ、年季の入った木の枝。長さは一メートルほどだろうか……。
聖剣騎士が聖剣を持たず、――木の棒。
クランクは、構えるでもなく、木の棒を右手にぶら下げたまま、しかし一切の隙を感じさせぬ体勢で言い放った。
「舐めているわけではない。……これが、俺の、"最強の聖剣"なのさ」
刹那。
クランクの姿が、陽炎のようにユラリと揺らめいた――ミラの目にはそう映った。
ミラは反射的に剣を振り上げる。
ガキンッ! と頭上で凄まじい火花が散った。
いつの間にか、クランクはミラの眼前に迫り、木の棒を振り下ろしていたのだ。しかし、その一撃の威力に、ミラは戦慄する。
「なんだこれはっ?!! これが木の重さなわけあるかっ!!」
その叫び声は、驚愕に満ちていた。
「ふんっ!」
クランクは初撃を牽制と見切り、跳ね返された反動を利用し、背後に棒を回転させる。
一瞬、彼が纏うローブの陰に隠れ、ミラの目からはその軌道が読めなくなる。
すると、
「グハッっ!!」
ミラの顎が、強烈な衝撃に蹴り上げられる。クランクは、木の棒の回転と同時に、左足の蹴りを繰り出していた。完全に視線を誘導された。
意識が飛びそうになるのを堪え、ミラは追撃を恐れ、ショートソードを横一文字に振り薙ぐ。
しかし、身体が開いたそのタイミングを見定めたクランクは、一気に間合いを詰め、強烈な突きを繰り出した。
ミラは大きくのけ反り、間一髪で回避する。地面に手をつくと同時に身体を回転させ、クランクの脚を斬りつけようと試みたが、
「おせーよ!」
クランクはフワリと軽やかに跳び上がり、空中で駒のように回転する。その勢いのまま、ミラの腹に強烈な回し蹴りを食らわせた。
「んぐぅはっ!!!」
ミラの身体は吹き飛ばされ、橋の欄干に背中を打ちつける。
息が詰まる激痛に耐えながらも、剣を手放さなかったのは、騎士としての誇りだ。
ミラは血を吐きながら、まるで肉食獣のような獰猛な目で強敵を見据え、どうにか立ち上がった。
「……ハハッ、ハハハッ……。どうやら、舐めていたのは、私の方だったようだなぁ……」
そう言うと、ミラは口の中の血を吐き捨てた。
「どうする? もう降参か?」
クランクはつまらなそうにミラを見下した。その瞳に、僅かな侮蔑の色が宿る。
「冗談を……。まだ私は剣を持っているぞ!」
ミラは気合を入れ直すかのように叫んだ。
そして、
「ふっ!!!」
まるで猫科の猛獣のように、身体を低く、一直線にクランクへ向かい駆け出す。
「ちっ、まるで猪みてぇな女じゃねーか」
クランクは木の棒をミラに突き出すように構えた。これで、突きや振り下ろしといった直線攻撃の選択肢をミラから一つ潰せる。右か左に挙動を変えるしかないはずだ。
しかし、ミラは敢えて、直線を選んだ。そして、
「てあああああぁっ!!!!」
間合いの一歩手前、瞬時にショートソードを振り上げる。
ガキンッ!!! と、凄まじい金属音が響き、火花が散る。
ミラは木の棒を切断しようと試みたのだ。いくら硬くとも、木は木であるはず。
だが、それは失敗した。
しかし、ミラにはもう一つ手が残されていた。
ほぼゼロ距離の間合いで、クランクの持つ木の棒を脇に挟み込むようにして封じる。刃がない棒なら、脇で受け止められる。
ここからなら、ショートソードの斬撃が届く。ミラは、眼前に迫る男の顔を、確信に満ちた狂気の笑顔で見据えた。
だが、その男は、まるでつまらなそうに……。
「ふんっ……」
右手で木の棒の中ほどを握り直し、左手を離す。
すると、ミラの脇から棒を引き抜き、そのまま至近距離からミラの側頭部を殴打した。
「がっ!!!!」
ミラは意識が飛びかけながらも、脊髄反射でバックステップを踏む。
間合いの外へ逃れた。
と思ったその瞬間には、
「ハァっ!!!!」
クランクの気合の一閃。
完璧な斬撃体勢で、木の棒を振り下ろす。
ガシャンっ!!!
と、ミラの聖剣:ヴェイオウルフが、無残にも砕け散った。
ミラは、荒い息を繰り返し、側頭部を押さえ、呆然としながらも、その目はクランクを捉え、最大の警戒心を抱いていた。
「……どうだ? 今度こそ、降参か?」
クランクは棒を肩に担ぎ、冷めた目で問いかけた。
「ハァ……。ハァ……。その棒は、なんなのだ……」
息も絶え絶えに、ミラはやっと言葉を発した。
「ふんっ……これはなぁ。一見普通の木の枝なんだが、どんな聖剣でも、どんな魔法攻撃でも斬ることも、焼くこともできない……。その銘を、聖剣:ユグドラシアという……」
「ユグドラ……シア、だと……」
「世界樹の枝、なんじゃないか? って言われているが。正直、持ち主の俺にも、よくわかんねーんだ……」
と、クランクは微かに自慢気に語った。
その時、緊迫した空気を破る、ラルフ・ドーソンの素っ頓狂な声が響き渡る。
「はい! はい!! タイム!!! タイムっ!!! ミラっ、一旦戻れ!! ……えっ? ダメすか? タイムあり? なし?! いいよね?! え、ダメっ?!!」
ミラは振り返る。成り行きを見守っていた人々は、ちょっと迷惑そうにラルフを見ているが、ミラはクランクを見た。
彼は無言で顎をしゃくった。その心遣いに、ミラは軽く礼を執る。
折れた聖剣をチラリと見ると、一応、丁寧に鞘に納めた。
そして、ラルフ達のいる岸辺へ、一時撤退する。
「《中級治癒》」
椅子に座らされたミラは、ラルフの治療を受ける。スズが差し出してきた冷たいお茶を一口飲むと、父である騎士爵が、
「ミラ。儂が代わってやろうか? お前にはちと荷が重い相手なのではないか?」
と、娘を心配するどころか、まるで楽しげに挑発するようなことを言う。
「大丈夫ですよ……。しかし、せっかく買った聖剣を早くも一本潰してしまいました……」
ミラは肩を落とす。
「なーに。また買えばいいさ!」
と騎士爵は笑う。
「本当に大丈夫なのか? 無理するなよ……」
ラルフだけは、心底心配そうにミラの顔を覗き込む。
念の為、深く裂傷した側頭部を抑えるために、エリカの手で鉢巻きのように包帯が巻かれた。
「ありがとうございます。マスター。もし、私が勝てたら、ご褒美に、何をしてくれますか?」
ミラは聞いた。
こんな状況で、弱気になりそうだった自分を鼓舞するために……。
すると、ラルフは即答した。
「家系ラーメン。チャーシュー、味玉、ほうれん草、海苔トッピング全盛り。白飯食べ放題……」
その瞬間、ミラの目に、再び闘志の炎が灯った。食欲という、原初的な欲求が、騎士の魂を揺り起こす。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁっ! やってやりますよぉぉぉぉぉぉおおおお!!!」
これこそが、腹ペコ女騎士という二つ名の所以だ。
「はいよっ! これにしときなさい!」
エリカが、ミラの愛用する魔剣:ルシドを差し出してきた。
ミラは鞘から少しだけ刃を引き抜く。
そこには、まるで水晶のような、美しく輝く刀身と、そこに映る、真っ青な自分の瞳。
まだだ……。まだやれる……。
ミラは立ち上がると、晴れやかに言い放った。
「チャーハンも、大盛りでお願いします。マスター!」
そう言って、女騎士は再び、決戦の舞台へと力強く歩み出した。




