268.黒と白
聖教国の全土から、革命の歌声が響き渡る。
反乱の狂熱に駆られた民衆は、聖都の中心、威容を誇る大教会へと集結し、祭りの前夜を思わせる熱狂で、その神殿を取り囲もうとしていた。
その頃、大教会の内部は、また別の、さらに異様な混沌に包まれていた。
「あなたたち、そんなに簡単に反体制派に屈服するなんて、甘いにも程がある」
ダンジョン・マスターの少女、スズが、まるで裏切られたかのような、納得のいかない表情で叫んだ。
(何を言っているのだ?! お前こそ、あちら側――革命の尖兵ではないのか?! なぜ?! なぜ、この娘は、我々に徹底抗戦を唆すのだ?!)
枢機卿たちの心は、混乱を通り越し、もはや無明の境地である。
そもそも、この大教会の制圧劇は、目の前の、この得体の知れない一人の少女によって、わずか数刻前に成し遂げられたばかりなのだ。
宙を舞い、謎の光線を放つビット兵器によって、聖剣騎士団の誇る神聖な武具はすべて鉄屑と化し、聖教魔導士たちの渾身の攻撃魔法は、意味をなさぬ木葉のように弾き返された。
彼女――この黒髪の少女の戦闘力は、信じられないという言葉さえ陳腐に思えるほど、圧倒的であった。
「……そ、そうは申されましても、もはや我々には、抵抗の術が残されてはいないのです……」
聖剣騎士の一人が、恐怖に声帯を震わせながら、恐る恐る反論した。
「む、むう……」
スズは、無造作に振り返る。視線の先には、鉄屑の山。
それは、彼女のレーザー攻撃によって溶け千切れた、聖剣の骸だった。
「……彼らが求めているのは、聖女の解放なのだろう?」
「あ、ああ……。そうだ。教会の解体や、統治制度の転覆などは含まれていない……」
「ならば、なぁ。このまま、穏便に済ませて万事休す、では、いけないのか?」
枢機卿たちは、鼠のようにコソコソとひそひそ話をする。
彼らは、すでに戦意を喪失していた。各地の神官や荘園主までもがこの反乱に参加したという事実は、もはや旧体制の維持が不可能であることを示している。
さらに、守護聖女の不在による国防の空白に対し、冒険者ギルドの誘致という、現実的な代替案までが囁かれている。
冷静に状況を分析すれば、彼ら自身の地位は温存され、むしろ聖女に関わる煩雑な職務から解放されるという、楽観的な未来図さえ見え始めたのだ。
そ、れ、な、の、に――。
「諦めが早すぎる! それじゃあ、つまらないじゃない!!!」
地団駄を踏むほどに、スズは激昂する。
その怒りは、状況とは全く無関係な理由から湧き出ているように見えた。
「……あ、あのぅ……。"堕天使様"は、いったい、何がお望みなのでしょうか?」
聖教魔導士のオルティ・イルが、一縷の希望を託すように、恐る恐るスズに問いかけた。彼女のローブは、激戦――いや、一方的な蹂躙劇の爪痕を刻み、ボロボロに引き裂かれていた。
「むっ?! "堕天使"……。貴女、なかなか見込みがあるじゃない?」
スズは、それまでの不機嫌が嘘のように、急に機嫌を直した。
彼女は、右手の中指、薬指、小指の三本の指で片目を隠し、左手を右肘に添えるという、痛々しいポーズを取る。
スズの胸に宿る、中二病という名の原罪が、激しく疼きだす。そして、その青臭い衝動を、感情の赴くままに言葉にする。
「フッ……。見事だ、『観測者』よ。まさか、この『偽りの貌』の奥底に潜む、『真姿』まで、見通す『眼』を持つとはな……。そうだ。今、この胸に疼くのは、単なる『動機』ではない……。それは、『天界の炎』に焼かれし『原罪烙印』ッ! かつて、『座』より『追放』されし……我こそが、『闇の系譜』を継ぐ『堕天使』なのだ! よくぞ『禁忌』を、口にした!」
確かに、彼女の背には、金属質でありながら巨大な翼が広がり、頭上には円環の光が輝き、不可解な原理で宙に浮いている。その姿は、確かに「堕天使」という概念を具現化しているようにも見える……。
しかし、それを目の当たりにした大教会の面々は、言葉の意味不明さと痛々しい振る舞いに、発言すべきか、呆れ果てるべきか、判断の回路を麻痺させる。彼らは、ただキョロキョロと視線を交わし、無言のパスを投げ合う。
(誰か、何か言えよ……)
という、責任のなすりつけ合い。
すると、「……コホンっ」と、スズは一つ咳払いをした。少しだけ赤面し、素に戻った彼女は、彼らに向き直る。
「……とにかく。強い人、何人かいるんでしょ? なら、順番に戦いなさいよ」
「え、えーっと? ……順番に?」
「そうよ……。強敵が一人ずつ立ちはだかる。……そして、向こうも『コイツは、俺に任せな……お前らは先に行け!』……って言いながら、熱いバトルが多層的に展開される。……それが王道!!」
スズは、不可思議な拘りを熱く語る。それはまるで、「友情・努力・勝利」をスローガンとする、週刊少年誌のお約束展開そのものだったが、この世界の人々に理解されようはずもなかった。
しかし、その時だった。
「その者、面白いことを言うようですね……」
清廉な光を纏い、すべてを包み込むような白を身にまとった少女が、そこに現れた。教皇、オルショワである。
「きょ、教皇猊下!!」
教会関係者は、反射的に跪く。
スズは、ゆっくりと振り返る。
そこで相対する、黒い少女と白い少女。
まるで、堕天使と天使が睨み合うような、光と闇の対比。それは、聖戦の序章を告げるかのような、美しくも、恐ろしすぎる光景だった。
「貴女、人間ではないですね?」
教皇オルショワが、静謐な声で問いかける。
「貴女こそ……」
スズが、鋭い視線で切り返した。
「貴女は、異端……つまり、私たちの聖敵ではないのかしら? 何故、私たちに反撃せよと、そう望むのかしら?」
すると、スズは、至極当然とでもいうように、繰り返した。
「それじゃあ、面白くないから……。熱きバトルが必要なのよ……」
「理解に苦しみます……。ですが、"私の国"を、無為に荒らされるのは不本意です。……そこのお前!」
オルショワは視線を切り替え、枢機卿の一人を指差した。
「はっ!!!」
「この戦い、勝てるのか?」
「恐れながら、教皇猊下。……難しいと、言わざるを得ません……」
枢機卿は、忌憚なき意見――そして、動かしがたい重々しい事実を伝えた。
すると、オルショワは、大袈裟なまでに悲観的な仕草を見せる。
「はぁぁぁぁぁ、聞きたくなかった……聞きたくなかったですねぇ……」
「も、申し訳……、申し訳ございません!!」
枢機卿は、額を大理石の床に擦りつけんばかりに平伏した。
「ダメだ……。お前、私の部屋に来て……。ああ、助祭たちよ、私の部屋で伸びている……ジェイコブと言ったか? 彼を運んでくれ……。少々汚れているから、なんとかしておいて欲しいわ」
オルショワは、一瞬だけ、まるで悪魔のような、冷酷な笑みを浮かべた。
それを告げられた枢機卿は、狂喜乱舞した。
「はっ!! 喜んで! ありがたき! ありがたき幸せ!! まさに、天上に昇らんとするかの幸せ!!!」
いい歳をした大の男が、涙と鼻水を垂れ流し、真の歓喜の絶叫を上げた。
「気持ち悪っ……」
スズは、心の底からそう呟いた。
教皇はたちまち慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、振り返る。
そして、その場を去ろうとする。不気味に泣き笑いする枢機卿は、助祭達が肩を抱き、無理矢理立ち上がらせた。
そして、オルショワは、スズを見ることなく、問いかけた。
「異端の黒き天使よ……。お前は、狂っているようですね……」
「まあ、その自覚はある。でも、貴女たちほどじゃない……。それに、もっと"狂っている男"を、私は知っている……」
スズはそう告げた。
彼女の脳裏に浮かぶのは、偉大なる大魔導士の姿。
たった一人の女の切実な懇願。
聖女という重責に押し潰されそうになっていた、か弱い普通の女と、その腹違いの姉との、"真の友情"。
そんな俗世の、ありきたりな、塵芥に等しい人の願いを叶えるため。ただ、些末な、そんなことの為に。
一国と真正面から事を構えてしまう。
壮大な侵略計画を、いとも簡単に発動してしまう。
そんな、救いようのない"バカな男"を知っている。
「なるほど……。では、互いに、存分に、狂いましょう……」
そう告げ、オルショワは純白の影となって去っていった。
しかし、残された大教会の人々は、たまったものではない。この理解不能な展開に、ただ呆然とするしかなかった。
だが、スズは、そんな彼らの困惑を無視し、独断で事態を進行させる。
「籠城戦の準備を! 向こうに、ラルフに、武器を要求するわ! あと、食糧も!」
「あっ、あのう……。立て籠もって、こちらの要求を通すには、……向こうが手出しできない状況。例えばですが、……人質とか、必要だと思うのですが……」
オルティ・イルが、極めて現実的で、核心をついた疑問を投げかける。
「それは、心配ない……。アンナ……、貴女、人質になってくれる?」
その唐突な言葉に、神官たちは眉をひそめ、理解に苦しんだ。
すると、壁際に整然と並ぶ助祭たちの中から、「はぁ……」と、盛大なため息をつきながら、一人の女性が静かに歩み出してきた。
「スズ様……。少々、勝手が過ぎますよ……」




