267.Operation: Immigrant Song
聖教国各地で同時多発的に勃発した反乱は、まるで堰を切った激流のようであった。
「聖女解放運動」の名の下、民衆は、長きにわたり抑圧されてきた渇望を爆発させ、聖都へとその歩みを進める。それは、もはやデモや行進といった生易しいものではなく、大地を揺るがす奔流そのものだった。
「聖女様を解放しましょう! 悪しき鎖を断ち切れ!」
「我々は真の自主防衛の道を求む! 自らの手で未来を掴むのだ!」
「鎖国は悪! 諸外国との文化交流を! 知と自由を!」
「ラーメン! ラーメン!!」
聖なる教義の正しさを説くはずの神官たちまでもが、信仰の形式主義に飽き足らず、自由と変革を叫び、開かれた国への熱狂的な願望を露わにする。
各地の荘園を治める領主、これまで絶対的な権威の末端にいた者たちも、この時代の潮目に逆らう術を知らない。
あまりに苛烈なその勢いに、聖庁衛士たちはただ立ち尽くすばかりだ。彼らの制止は意味をなさず、むしろ激流を前にした小石のようだった。
さらに、隊列の中には、つい昨日まで隣で警備の任に就いていた同僚の顔がちらほらと見て取れる。裏切り、というにはあまりにも晴れやかな、祭りにも似た高揚感が彼らを突き動かしていた。
「な、おい! 何やってんだ、お前?!」
衛士の一人、ディオンは、行進の中に幼馴染である衛士を見つけ、困惑と怒りの入り混じった声を上げた。
幼馴染は、肩から力を抜き、満面の笑みを浮かべる。その顔には、長年抱えてきた抑圧の影など微塵もない。
「は? 何って、"祭り"だよ! お前も来いよ、ディオン! 美味いモノが食えるぞ!」
「えっ?! 美味いモノ?」
ディオンの脳裏に、いつしか領地の片隅に現れるようになった、謎の異国の屋台が甦る。
記憶の中で、金髪ドリルツインテールの少女の勝ち気な瞳と、あの魅惑のカレーパンの香りが、厳格な教義の壁を突き破って、衝動的な食欲を刺激した。
彼は、わけもわからず、反射的にその行進に参加した。理性が警鐘を鳴らすよりも早く、胃袋と抑えきれない好奇心が彼の体を突き動かしたのだ。
しばらく進むと、遠方から地響きが伝わってきた。それは、魔獣の咆哮よりもさらに異質で、鉄と石が擦れるような、重く唸る駆動音だった。
巨大な鉄製の荷車のような影が、唸りを上げて近づいてくる。
「な、なんだ?! 魔獣の襲撃か?!」
ディオンは反射的に腰の剣に手をかけたが、幼馴染は鼻で笑った。
「ハハハッ! 違う違う! あれは、ロートシュタインの大型魔導車さ!」
その圧巻の車列は、轟音と共に彼らの横で停車した。鉄の巨体が発する熱気が、聖教国の静謐な空気を切り裂く。
すると、先頭の運転席から、まだあどけなさを残す、快活な少年が顔を出した。
「ロートシュタインから来ました! 俺はレグって言います! 皆さん、聖都に向かってるんですよね? どうぞ! 荷台に乗って下さい!」
元気よく、そして遠慮なくそう告げると、荷台からはわらわらと人々が降りてきた。
彼らは慣れた手つきで梯子をかけ、聖教国の反乱同志に朗らかに挨拶を交わす。その光景は、あたかも長年の友人に再会したかのようだった。
このような異様な光景は、聖教国各地で瞬く間に広がっていた。
ロートシュタインから来たという人々の中には、獣人、ドワーフ、さらにはエルフやリザードマンといった、聖教国では教義によって存在すら忌避されてきた亜人の姿もあった。
教義と封建社会の箱庭で生きてきた聖教国の人々は、目を見開いて彼らを凝視する。それは、自分たちがこれまで信じてきた世界の構造が、一瞬にして崩壊するのを見た瞬間に等しかった。
「アンタも祭りの参加者だろ? よろしくな!」
と、樽のような図体をしたドワーフが、とてつもなく馴れ馴れしく、そして力強く握手を求めてきた。
その無遠慮な親愛の波動に、荘園主の男はたじろぎながらも、
「あ、ああ……。よろしく……」
と、震える声で返した。
また、筋骨隆々としたリザードマンの戦士は、農奴の男の鍛え上げられた肉体を見つめ、純粋な感嘆の声を漏らした。
「お前ら、強そうだな……。人間のクセに、筋肉ムキムキ……」
その言葉に、農奴の男はまんざらでもなさそうに、自慢げに胸を張る。
「ふんっ! わかるか?! ジローケーラーメン食って、石材運びして、ここまで育てたのさ!!」
彼は、まるでボディビル選手のように、見事な"フロントダブルバイセップス"を披露した。汗で光る太い腕が、この反乱の肉体的エネルギーを象徴しているかのようだ。
厳格な教義と封建社会の中で生きてきた彼らにとって、それは生まれてはじめての異種族交流だった。
そして、案外、話してみると、彼らは気難しさなどなく、むしろ気の良い連中だと直感した。
異文化がもたらす自由で開放的な空気が、聖教国に染み付いた重苦しい空気を、瞬く間に払拭していった。
やがて、巨大な渦のように、その人々の奔流は、聖都の城壁に迫る。
いつの間にか、ロートシュタインの異邦人たちが、誰からともなく、ある歌を口ずさみ始めた。それは、この世界の誰もが知る、古の歌。
「街道をゆく〜♪ 山脈を越えて〜♪」
その歌声は、疲労も熱狂も混じった人々の間で、急速に伝播していく。
それは、やがて、一つの巨大なうねりとなり、聖都を包み込んだ。
「南風に言の葉を預けるように僕は歌う〜♪」
「ヒラヒラと舞い落ちる、花びらの影ぇ〜♪」
それは、詠み人知らずの、太古の昔より歌い継がれてきた「旅人の歌」。
かつて、人々は国境も宗教も持たず、ただ、生存に適した環境を求め彷徨う自由な移民だったはずだ。そして、この歌こそ、彼らが立ち上がった反逆の狼煙だった。
聖都に辿りつき、大教会を取り囲む人々。
しかし、そこからはじまったのは、誰もが予想した、流血を伴う教会への突入ではない。
それは、実に平和的な、祭りの準備だった。
ファット・ローダーから、人々が飛び降り、屋台の骨組みや調理器具や什器が降ろされる。
驚くべき効率と速度で、祭り会場が設営されていく。聖教国の人々は、呆然としたまま、その異様な、だが歓喜に満ちた景色を、ただ見ていることしかできなかった。
彼らの"革命"のイメージは、血と鉄と炎に満ちたものだったが、目の前で展開されているのは、"盛大な祭典前夜"だった。
すると、地面に巨大な影が差す。
ある神官が、不審に思い空を見上げると、
「……ん? 鳥?」
その言葉を遮るように、聖教国の人々が半狂乱になって叫んだ。
「バカっ! あ、あれは?! ド、竜族だぁー!!」
しかし、ロートシュタインの人々は、空を見上げながら、あまりにあっけらかんとしていた。
「大丈夫っ! おちつけって、アレは、ワイバーンのレッドフォードさ!」
冒険者の男は、眩しそうに目を細めて、空を旋回する赤い巨躯のワイバーンを仰ぎ見た。
その顔には、絶対的な信頼と、興奮が浮かんでいた。
「来なすったぜー。我らが総大将。……ラルフ様がなぁ!!」
ズドンっ!
と、砂埃を上げて着陸した威風堂々としたワイバーンの背から、数人の人物が降りてきた。
彼らが放つ尋常ならざるオーラに、群衆は一瞬にして静まり返り、固唾を飲んでその姿を見守るしかなかった。
その中の一人、魔導士の証であるローブを風にはためかせた男が、聖教国の中心、巨大な湖に浮かぶ、真っ白な大教会を眺めて、まるで観光客のような大袈裟さで言い放った。
「すっげぇなぁ! こりゃあ、ロートシュタインの水上都市よりデケェじゃん!!」
大魔導士ラルフ・ドーソンは、心からの感動を込めて両手を広げ、革命の場で場違いなほど明るい声を上げた。彼の目は、破壊の対象としてではなく、見事な建築物として、教会を捉えていた。
「確かに、ここも、絶対に観光地化するべきだな。この景色も一見の価値がある」
銀髪の長身美女、ヴィヴィアン・カスターが、冷静かつ現実的な視点で同意する。
「そう……。なら、大教会を私の豪火で灰にするのは、止めておきましょうか……」
アシンメトリーな赤髪の下、肩の上に炎の精霊、"サラちゃん"を乗せたパトリツィア・スーノが、なんだか残念そうに頷いた。彼女の言葉は、破壊が容易であることを示唆し、その場の緊張感を一気に高めた。
「まあ、一応、俺も神に仕える身ではあるが、大教会とやらは腑に落ちなかっんだよなぁ……。たかが聖職者の"職場"に、こんな大袈裟な"ハコ"が必要なんかねぇ? 悪魔は嫌ぇだが、利権を貪る連中は、もっと嫌ぇだなぁ……」
自慢の魔導銃"スクリーミング・ディーモン"をカチャリと肩に載せた、ファンスティン・ド・ノアレイン公爵は、嫌悪感を露わにした。
王国のトップクラスの"傑物"たち、その頭脳と武力が、この場に集結した。
そして、ラルフ・ドーソンは、開戦の合図のように、そして、この世界に新たな秩序をもたらす革命家のように。
いつもより、ずっと不敵な笑みを大教会に向け、その声が聖都全体に響き渡るほどの大声で宣言した。
「いくぜっ! ……クライマックスだぁぁぁぁぁぁ!!!」
その声は、祭りの始まりを告げる銅鑼の音であり、古き世界の終わりを告げる福音でもあった。
人々は、もはや後戻りはできないことを悟り、高揚と畏怖の念に打たれながら、歴史的な瞬間を目撃するしかなかった。




