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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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259/293

259.侵略の盤面

 古びた石造りの廃教会。その高い天井には、夜の闇を纏った静寂が張り付いていた。

 作戦本部として急遽設えられた中央の大きな木製テーブルには、精緻な彩色が施された聖教国の広域地図が広げられている。いくつものエリアが色分けされ、緊張感をもって人々に見下ろされていた。


 その地図を眼下に捉えながら、ダンジョン・マスターの少女、スズが満足げな息を吐いた。


「圧倒的じゃないか、我が軍は」


 その言葉は、勝利の予感に満ちた、あまりにも完璧な一言だった。


「おいいいいいぃぃぃ! それ、僕が言いたかった台詞なんだけどぉぉぉ!!」


 作戦の全指揮を執るラルフは、まるで宝物のお菓子を横からひょいと奪われた幼子のように、激昂し、地団駄を踏んだ。彼の謎の拘りが、こんな些細な一言にすら反応してしまうのだ。


「……続けるぜ……、いいか?」


 ギルドマスターのヒューズは、手にした報告書から目線を上げ、その理解不能なやり取りに少々呆れを混ぜた視線をラルフに投げかけた。


「あ、ああ。すまん……。続けてくれ……」


 ラルフは憮然とした表情で頷き、ようやく周囲の空気を読み込んだ。ヒューズは改めて報告を再開する。


「"ガンマエリア"、制圧完了。ターゲットの荘園主は、筋金入りの"ジロリアン"に……。『陽だまりラーメン食堂』のペニーとニニィが、上手くやってくれたようだな……」


「ふむ……」


 ラルフは地図上の当該エリアに、カチリ、と心地よい音を響かせ、制圧の目印として金貨を一枚置いた。


 その金貨は、武力ではなく、経済と文化がこの地を支配した証だ。


「しかも、数量限定。一日に提供できる数に制限を設け、その希少さで以て中毒患者が屋台に連日押し寄せるという、悪辣な手腕を発揮しているようだ……」


「なるほど! 考えたな、あの二人。……焦らして焦らして、やっと食わせる。それにより、一杯の満足感を飛躍的にブーストさせるということか……!」


 ラルフは、幼い姉妹によるマーケティング戦略の妙に舌を巻いた。あの小さな体躯に秘められた商才は、もはや恐怖すら覚えるほどだ。


「続いて、"イプシロン・エリア"……。この地の教会の司祭様が堅物でな、酒でも甘味でも、少々手こずったようだが、カイリーが突破口を開いた……」


「ん? え、は?!  カイリーが?! え、カイリーも現地入りしてたの?!」


 カイリーは、ロートシュタイン出版の敏腕記者にして、まだ幼い天才執筆者である。

 彼女が戦闘地域にいることに、ラルフは驚愕した。


「これが、……決め手だったようだ……」


 ヒューズは、なぜか口元に苦いものを噛みしめたような表情で、おそるおそるといった様子で薄い冊子をラルフに差し出した。

 その表紙を視界に捉えた瞬間、ラルフの顔から血の気が引いた。


 タイトルは、


『深き夜に溺れる、公爵二人』


 恐る恐るページを捲る。目に飛び込んできた、鮮烈な台詞。


「"レイン公! こんな、こんなこと、僕は望んでいません!"」


「"ふふふっ、アルフ……。口ではそう言っているがなぁ。お前の身体は正直だぞ。特に、この……"」


 ラルフの理性の箍が、音を立てて外れた。


「カイリーを指名手配する! すぐにひっ捕らえろ! ……この薄い本も回収! 徹底的に焚書に処す! 確実に歴史の闇に葬り去れ!!」


 明らかに自分ラルフとファウスティン公爵をモデルにした、背徳的でいかがわしい書物。

 まさか、この世界にまで『BLボーイズ・ラブ』文化が生まれるとは、彼は想像すらしていなかったのだ。


 すると、メイドのアンナが、冷徹な事実を告げた。


「旦那様、もう遅いです……。当該エリアでは、もう一万部を超える売れ行きですよ……」


「よーし、わかった。……レッドフォードを呼べ。僕が上空から、殲滅魔法をぶっ放して、その町を焼き払ってやる!」


 ラルフのご乱心に、周囲の人々が慌てて彼を宥める。


「まあまあ、これも作戦なんですから!」


「そうですよ! 酒でも甘味でも堕とせなかった堅物の司祭をやりこめたんですよ! ここは一つ、飲み込みましょうや!」


 しかし、ラルフは耳を貸さない。


「うるせぇ! 我慢できるか?! とんでもない風評被害だ!!」


 その時、スズが、静かに"第二巻"を見せびらかした。


「私も買った……。これは、いいモノだ!」


「なんでもう続編出てんだよ?! っていうか、第一巻が一万部超えてるってことは重版かかってるしな! 何刷りしたんだよ?! ……えっ?!! その司祭、若い女か??!!」


 アンナは、手元の書類に目を落として、淡々と答える。


「確か、そのとおりです。今年で十八歳を迎える、去年まで神官見習いだった、農奴上がりの少女だそうですよ」


 ラルフは、愕然としつつも、すべてを悟った。

 純真無垢な少女が、このような刺激的な創作物に出会ってしまった結果、"腐った女子"が誕生してしまったのだと。


「ちっ、腐ってやがる……。早すぎたんだ……」


 まさに、この牧歌的な聖教国には、あまりにも早すぎた文化だった。

 ラルフは一度冷静になり、文化的な侵略を成し遂げた証として、地図の"イプシロン・エリア"に、憎しみを込めて金貨を叩きつけた。


 眼下に広がるのは、聖教国がロートシュタインの多様な文化と経済によって、静かに、そして確実に支配されていく盤面。まさに、戦争とはこうあるべきだという縮図がそこにあった。


  王国の貴族は、その光景を眺め、


「まるで、遊戯ではないか……」


 とニヤリと笑う。

 共和国の議員は、


「なるほどー。戦争とは、こうするべきなのだなぁ……」


 と、王国との敗戦を振り返るように、静かに呟いた。

 帝国の書記官は、


「フッフッフ……。やはり、ロートシュタインと手を組んで良かった。耕作地がこれほどあるなら、帝国の"下請け"としても使えそうだなぁ……」


 と打算的な笑みを浮かべる。

 そして、スズは、


「第三巻……。いつ出るんだろう……」


 と、誰にも聞こえない、切実な呟きを漏らした。


 それぞれの思惑が複雑に絡み合い、聖教国への経済的侵略は滞りなく進んでいく。


 その時、廃教会の重い扉を勢いよく押し開け、一人の冒険者が息を切らせて駆け込んできた。


「伝令!! ヴィヴィアン様の伝書鳩にて、文が届きました! "シータ・エリア"、陥落!! ……司祭、荘園主、共に、"トンコツラーメン"に堕つ!!! 発信者は、パメラ! 繰り返す! 発信者はポンコツラーメンの、パメラ!!!」


「おおおっ!」


 作戦本部を埋める人々から、どよめきと歓声が上がった。


 ラルフは、地図に最後の金貨を置き、その光景を満足げに見つめた。

 そして、先ほどスズに奪われた言葉を、今度こそ自分のものにするために、深く息を吸い込んだ。


「クックック……。圧倒的じゃないか、我が軍は……」


 スズが、その表情の変化を見逃さずに尋ねた。


「どうしても……。言いたかったのね?」


 ラルフは、満ち足りた静かな笑みを浮かべ、頷いた。


「どうしても……。言いたかったんだ……」


 彼の心中には、いかがわしい本に対する怒りと、自軍の完璧な勝利に対する満足感が、奇妙に混ざり合っていた。

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― 新着の感想 ―
ちっ、腐ってやがる。早すぎたんだ。 なんて普通言うタイミングないもの!それが言わせるがための薄い本笑
「クックック……。圧倒的じゃないか、我が軍は……」 これを書きたいがための、内容なのが、噴くほど笑えた。
それは、フラグとしてまぢいのでは?
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