254.革命の芽吹き
「では! これより、聖女解放運動の作戦会議をはじめたいと思います!」
ラルフ・ドーソンは、店の一角に積み上げられたビールケースの上に仁王立ちになり、場末の酒場(という体裁をとった、列強の重鎮たちの密議の場)に、その傲岸な声を響かせた。
「ちなみに、私ラルフ・ドーソンは、この件について、クッソめんどくせぇぇぇぇぇぇ! と、思っています!」
その宣言は、酔客たちの轟音のような爆笑に包まれた。
「ギャッハッハー!」
「あいかわらずだぜぇ、領主さまー!」
客たちは、なぜかテンションマックスだ。
彼らは、この若き公爵の魂の叫びを、高尚なギャグか、あるいはこの上なく洗練されたブラックジョークとでも受け取ったのだろう。この場に集う面々にとっては、国威を揺るがす謀略さえも、今宵の肴でしかないのかもしれない。
確かに、こんな酔っ払い達を相手に、居酒屋の客席でするような話し合いではない。
しかし、結局のところ、各国の重鎮たちが"たまたま"自然と集うこの店こそが、何かと都合の良い「開かれた密室」なのだ。
たとえそれが、聖教国に真っ向から喧嘩を売り、聖女を解放させるという、革命めいた企みであったとしても……。
当事者である聖女マルシャは、深い感情の渦中にいた。
「皆さん……、本当に、ありがとうございますぅぅぅ、ううぅ……」
彼女は涙を流しながら、その涙の数だけ、芋焼酎のロックをグビグビと飲んでいる。
その隣では、腹違いの姉トーヴァが、豪快に笑いながらマルシャの肩を抱き寄せていた。
「だーから、言ったれひょう? お姉ちゃんに、まかへなさいってぇ! うっひゃっひゃっひゃっひゃっー! ラルフさまがぁ、なんとかひてくれるわよ〜」
(お前らなぁ……!)
ラルフの眉間に、深い皺が刻まれる。イラッとした、という一言では済まされない諦念と苛立ちが胸中に渦巻く。
事の発端は、聖教国より聖女の帰還を促す文が届いた時だ。
マルシャが、新聖女として帰国しなければならないと知った二人が、執務室の窓の下で深刻そうに会話しているのを見下ろした。あの瞬間から、彼は(なんか、面倒なことになりそうな予感)に囚われていた。
だが、ラルフは、聖女という謎の制度に対する根源的な疑問を抱いていたのも事実だ。その命を擦り減らしながら、国全体を守護するほどの聖魔法の加護を得るという古のしきたりは、あまりにも非人道的ではないか?
流石のラルフといえども、国一つを相手に事を構えるのは難しい。
にもかかわらず、この目の前の連中ときたら……。
(どうせ、助けてあげるんでしょ?)
という、信頼なのか、あるいは傲慢な勘違いなのか、その大前提の空気が、あまりにも濃密に場を満たしている。
(まあ、できることは、やってみようか……)
ラルフは、深くため息を押し殺すと、無理やり感情を切り替えた。
「はーい! そんじゃぁ、何かアイデアある人ー!」
そう呼び掛けると、一人の人物が、ビシッと手を挙げた。
「はい! マティヤス・カーライル騎士爵!」
ラルフがビシッと指を差すと、カーライル騎士爵は、大ジョッキをドン! とテーブルに叩きつけ、勢いよく立ち上がった。
「真っ向勝負! 突撃あるのみ!! 聖教国の非人道的な習わしから聖女を保護したと声明を各国に伝え、それを旗印として、一気呵成に、聖教国を叩き潰す!!!」
テーブルを叩くカーライル騎士爵の提案に、客たちの熱気が噴火した。
「ふぉー!!!」
「やってやるぜっ!」
「国盗りじゃー!!!」
騎士や一部の冒険者たちが、その武骨な血潮をほとばしらせる。
「ちょーっと待った! ちよ、ちょ、待てよ!!」
ラルフは、そのあまりにも物騒な展開に、さすがに慌てて介入した。
「ヴラドおじ?! どう思います? さすがに、真正面から事を構えるのは、マズイっすよねぇ?」
ヴラドおじ、すなわち、この場にお忍びでいる国王陛下。これ以上の相談役はいない。彼は腕を組み、「ウ~ン」と唸ると、歴戦の政治家としての含蓄深い言葉を投げかけた。
「……別に、やっていいんじゃないか? 勝てる見込みはあるのだし。外交上の究極的な最終決着点というのは、"戦争の結果"、が最も単純で収まりが良いのだ。……しかし、それが良いか悪いかは、後世の歴史考証としては、別の話だがな……」
その言葉に、
「国なんて、人間達が勝手に名乗る共同体だろう? この三千年くらいでも。勝手に滅んでいった国なぞ、数多あるぞ……」
と、偉大なるエルフ、ユロゥウェルが興味なさげに、火酒を手酌で注ぐ。
人間の営みを越えた、長命種である彼女の言葉に、誰も異論はない。
その時、場違いな人物が発言した。聖教国に属するはずの、オースティン枢機卿だ。
「ふむ……。ならば、大教会を一点攻撃しないかね? 始末して欲しい奴は、何人かいるんだが?」
またもや、極めて物騒な、そして背徳的な提案だ。
「なるほど、"斬首作戦"か?」
カーライル騎士爵が、妙に納得したように頷く。
ラルフは辟易していた。
これでは、まさに"戦争前夜"だ。
かつて、共和国との戦争に参加し、その悲劇を肌で知るラルフは、もう二度とその過ちを繰り返したくはないのだ。
その時、一人、「はい!」と手を挙げた者がいた。
「……いいよ。アンナ、発言して……」
それは、ラルフに仕える有能なメイド、アンナだった。客席の誰もが、おし黙る。
確かに、大魔導士ラルフ・ドーソンは"バケモノ"だ。
しかし、その暴走の「手綱」を完璧に握る彼女こそ、この列強の秩序の象徴であるとも言えるのだ。
「旦那様こそ、実は、何かお考えがあるのではないですか? すべてを、まるっと収める、……そんな革命的なアイデアが……」
客席の人々は、その緊張感、そして、(ラルフなら、確かに何かあるのでは?)という期待感から、それまで手にしていた酒のグラスを静かにテーブルに置いた。
この若き公爵は、これまでも、「革命」と云える変革を、勝手気ままに、しかし確実に起こしてきた。ならば、今回も、何かあるはず……。
ラルフは、諦めたように……、そして、手元のビールをグビリと一口。
そして、誰もが、予想だにし得ない、言葉を放った。
「ふむ……、あるには、ある。……戦争は戦争でも、誰も死なない、誰も傷つかない。……クックック、……楽しい楽しい"戦争"。それは……」
ラルフは一拍置く。
その狂気的な雰囲気に、そこにいる誰もが、息を飲んだ。
そして、放った言葉。
「それは……"経済戦争"だ! そこでだっ! ……みんな、聖教国に、投資しないか?」
ラルフは、いつもの不敵でいて、凶悪な笑顔を浮かべていた。
その言葉は、とても理解できるものではないはずなのに、その場にいる人々の背筋に、ゾクリとした悪寒が走る。
それは、歓喜とも、これからはじまる"大騒動"への期待を予感させる、冷たい興奮であった。




