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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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251/293

251.朝日のあたる家

 重いまぶたを押し上げると、窓の向こうから零れる木漏れ日のダンスと、小鳥たちの楽しげな鳴き声が、静かに意識を呼び覚ました。

 どうやら、心地よい夢の残滓が、まだ胸の奥で微かに波打っている。


 デューゼンバーグ伯爵夫人、リネアは、ふと自問する。


 (ここは、一体どこだろう?)と。


 見上げた天井は、見慣れた邸宅のそれとは違い、波打った木目が生きているかのように躍動する、精巧に組まれた見事な木材の天板だった。

 横に目をやれば、力強い丸太を組み上げた壁。部屋全体に、まるで早朝の森林に迷い込んだような、爽やかで、わずかに青臭さを残す木の香りがふわりと漂っている。


 本棚には、古めかしく、魔導書と思しき書物が整然と並ぶ。

 それは、幼い頃に耽読した物語の世界に、ふとした拍子に足を踏み入れてしまったかのような、幻想的な錯覚をリネアに抱かせた。


 肌を刺すキンと冷えた朝の空気。にもかかわらず、さほど寒さを感じないのは、自身のお腹の上で、規則正しい寝息を立てる、小さな、小さな狼の存在のおかげだろう。まるでティーポットのように温かいその体温が、じんわりとリネアを温めている。


 ぼんやりと、昨夜の記憶の断片が蘇る。


 そうだ。ここは王都の邸宅ではない。若き公爵、ラルフ・ドーソンが治める、ロートシュタイン領――。


 昨晩、あの居酒屋領主館にて、久しぶりに家族水入らずの、そしてあまりに自由で楽しい会食を堪能したのだった。


 そこで供された、娘のエリカが作ったという"ハヤシライス"という名の料理の衝撃的な美味。

 そして、客席に集った顔ぶれ――クレア王妃、偉大なるエルフ、聖教国の聖女様方。

 あのざっくばらんな空間での語らいは、本当に心から楽しかった。それは、まるで結婚する前、学園に通っていた頃の、無邪気な熱狂を呼び覚ますようだった。


 その歓喜に引き寄せられるように、お酒も自然と進んだ。女性陣の勧めに従い、未知の酒を次々と口にした。アルコールを感じさせない"ハチミツハイボール"や"紅茶ハイ"は、まさに隠された危険。

 気づかぬうちに、酔いは深く、身体に回っていたのだ。


 そして、ラルフ公爵と吟遊詩人のソニア、エリカの奏でる即席の演奏。

 客たちのボルテージは最高潮に達し、リネアは、ぼんやりとした記憶の中で、「いぇぇぇぇぇぇ!」と叫びながら、クレア王妃と肩を組み、狂乱のダンスを踊っていたことを思い出し、思わず両手で頭を抱えた。


 その時、唐突に「んがぁ!」という豪快な声が聞こえ、そちらに目をやると、床で悠々と寝入っている偉大なるエルフ、ユロゥウェルの姿があった。

 風邪をひきそうなものだが、彼女は巨大な狼を抱き枕代わりに抱きしめている。それは、エリカが「お母さん」と呼んでいた、あの威風堂々たる魔獣に他ならない。


 ふと、もう一つのベッドに目をやると、


「う〜、暑いぃ、暑いよ〜」


 と、うわ言のように寝言を呟いている元聖女様。彼女は厚手の毛布にくるまれ、その周りには四匹の子狼が身を寄せ合って眠っている。確かに、あれは見るからに暑そうだと、リネアは思った。


 リネアは静かに上半身を起こし、自分のお腹の上で丸くなる子狼の、ふわふわとした柔らかい体毛を撫でた。

 小さな身体が、規則正しい寝息と共に上下している。そっと、子狼をシーツの上に降ろし、ベッドから降り立った。


 扉を開けると、そこが非常に高い場所にあることに改めて気付かされた。

 再び、昨晩の記憶が蘇る……。

 意気投合した女性陣だけで、領主館の裏庭にある、ユロゥウェルの住処で「飲み直そう」ということになったのだ。


 おぼろげな記憶の中で、暗闇の中を「うわぁ! キャー! 高いぃ! キャー!」と何故か大笑いし騒ぎながら、この長い梯子を登った光景がフラッシュバックする。


 デッキの上に立つと、秋の冷たい空気が肌をキュッと引き締める。よく見れば、この丸太で組まれた家は、巨大な木の上に築かれたツリーハウスのようだ。領主館の窓を見れば、メイドたちが朝の掃除に精を出し、洗濯物を運んでいる。


 デッキをぐるりと回り、反対側へ行くと、ロートシュタインの街並みが眼下に広がった。

 透き通る秋の空気と、冷たいが清々しい陽射し。低く白い霞がたなびき、街の所々から、煮炊きする湯気や煙が静かに昇っている。

 思わず手摺りにもたれ、その牧歌的な景色を眺めた。


(なんて、美しい街なのかしら……)


 心の底から、そう静かに感じ入った、その時。


「お母様ぁ! 起きてらっしゃる?!」


 と、エリカの張りのある声が響いてきた。再びデッキを巡ると、木の真下で、エリカがこちらを見上げていた。


「起きていましたよー!」


 下に向かってそう答えると、エリカは屈託なく続ける。


「ラルフが朝食を用意してますよー! 客間で食べますー? それとも、そこで食べますー?」


 と、大声で提案してくる。リネアが振り向くと、部屋の中では、元聖女様と偉大なるエルフも、エリカの声でもぞもぞと動き始めていた。


「せっかくだから! ここで頂きましょうかしら!!」


 リネアもまた、大声で返した。


「わかったわー!」


 エリカは領主館の中へ駆け込んでいった。

 リネアも部屋の中へ戻ると……。


「うー、頭痛い……。やっぱり、ブランデーは、ちょっと危険だわ……」


 と、元聖女様が、二日酔いの頭を抱えている。


「はぁ、……そういえば、エルフ族は酒に弱いから、祭りの時だけ飲むと"しきたり"を定めたのは、この妾自身だったわ……。すっかり忘れておった……」


 と、ユロゥウェルは、目元を覆い、心底憂鬱そうだ。


「でも、昨晩は、本当に楽しかったですね!」


 リネアは、大きな欠伸をする子狼をそっと抱き上げる。その子は、寝起きだからか、なんだか反応が薄く、フンニャリと柔らかい。


「それが、良くないのだ……。楽しいからって、飲めば飲むほど楽しくなるかと思えば、翌日がこれだもの……」


 と、ユロゥウェルは嘆息する。


「でも……。どうせ、これを忘れて、今夜も飲んじゃうんですよ……。ああ、これが、ラルフ様が言っていた、若さゆえの、過ちかぁ……」


 元聖女様が、遠い目をする。


「いや、妾、二万歳をちょっと過ぎてるからな……」


 と、ユロゥウェルの愉快なツッコミに、リネアは思わず笑ってしまう。


「というか、リネア殿は、酒が強いなぁ」


 ユロゥウェルが呆れとも尊敬ともつかない褒め言葉をくれた。


「そうですか?」


「ええ、強いですよ。最後まで、正気でしたし……」


 と元聖女様も言ってくれるが、実は、決して正気ではなかった。そのくらい、あの場所での時間は楽しかったのだ。それは、今は言わないでおくことにしたが……。


 しばらくすると、「お待ちどうー」と、明るい声が聞こえた。


 見れば、ラルフ公爵が、梯子を登らずに、スーッと、窓の外に姿を現した。

 浮遊魔法でも使っているのだろうか?

 と思い、ドアを開けると、そこには巨大な赤いワイバーンの頭に乗ったラルフが立っていた。


(そういえば、こんなのもいるって、聞いた気がする……)


 もはや、驚くことすらなかった。

 ラルフはデッキに軽やかに飛び移る。

 そして、部屋に入ってくると、「ちゃぶ台」と呼ばれる簡素なテーブルに、銀色のオカモチの中から、朝食を取り出し、器を並べ始めた。

 どうやら、ここでは直接床に座り、食事をするらしい。しかし、リネアはもう、そんなことは全く気にならなかった。


「シュガートーストと、ゆで卵付きのサラダ、あとはこのリグドラシルから収穫した、オレンジとバナナ……。飲み物は、ミルクティーです」


 その豪華で色彩豊かな朝食に、リネアは思わず目を見開いた。まさに、至れり尽くせり!

 昨晩の料理も凄かったが、ここでは、こんな美食が毎日供されるというのか?

 確かに、貴族として贅を極めた、技巧的な美食ではない。素朴で、粗野で、庶民的なのだろう。しかし、もはやリネアにとっては、これこそが究極の美食だった。


「よーし、お前ら、乗れー!」


 ラルフの号令と共に、狼たちは、ワイバーンの頭に飛び移り、ラルフ共々、大樹の下へと去っていった。


 早速、リネアは魅惑の朝食をいただくことにする。他の二人に倣い、「いただきます……」と、静かに唱える。それが、ここの流儀。


 シュガートーストは、カリッ、モチッ、甘い!

 絶妙な食感と風味。

 ゆで卵と新鮮なトマトと葉野菜。それにかかる、未知の、そして絶品のドレッシング。

 そして、甘酸っぱく、まるで季節外れの恵みのような果物。

 そして、敢えてこのメニューに合わせる為に、甘さを排した濃厚なミルクティー。


 何故、このロートシュタイン領が、王国中の貴族はおろか、諸外国の重鎮達までをも魅了するのか――リネアは、完全に理解した。


(ロートシュタインに、別荘を建てられないかしら……。できれば、ここと同じような。ログハウスとやらがいいけど……)


 その壮大な企みを、このあとすぐにでも夫であるリックに相談しよう。

 シュガートーストをモグモグと頬張りながら、リネアは、心の中で悩んでいた。


(シュガートースト……。おかわりできないかなぁ? う〜ん……でも……)


 何故なら、昨晩のハヤシライスがまだ残っていて、今日の昼には"オムハヤシライス"という進化系メニューになる、と聞いているからだ。

 それを腹に入れる余裕は、どうしても確保しておきたいのだった……。

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― 新着の感想 ―
朝日のあたる家ってところで、分かりますよ。・・・ラルフ公爵領はニューオリンズだった・・・?
聖教国の聖女様方って、妹まだいるのか?w
今回は、レッドフォードとお母さん達で、アニマルズか。
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