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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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230/293

230.陽だまりの誘惑

 澄み渡る秋空に、薄く鱗のように広がる鰯雲。居酒屋領主館の裏庭は、穏やかな光に満ちていた。

 中天に近づく太陽の下、謎めいた巨樹、リグドラシルの上にあるツリーハウスからは、偉大なるエルフの盛大な寝息が、のどかなリズムで降り注ぐ。


 芝生の絨毯の上には、簡素な作業台が置かれ、人々は黙々と土を捏ねていた。


「どうだ? ラルフ・ドーソン。こんな感じなのだが?」


 テイマーのヴィヴィアン・カスターが持ち上げたのは、陶芸用の粘土から成形された、滑らかな曲線を描く徳利。彼女は誇らしげだ。


「おー! ヴィヴィアンって、結構器用なんだな!」


 領主ラルフの称賛に、ヴィヴィアンは頬を緩める。


 一方で、炎の精霊使い、パトリツィア・スーノは唸っていた。


「むむう……。上手くいかん……」


手捻りでぐい呑みを形作る彼女の手つきは、お世辞にも器用とは言えない。歪み、いびつな塊がいくつも並ぶ。


「いや。良い良い! むしろ、武骨で、味がある!」


 ラルフは全力で褒め称える。

 パトリツィアは半信半疑ながら、自らの手から生み出されたぐい呑み達を眺める。確かに、ユニークで、なんだか愛らしいのかもしれない、と彼女も思い始めた。


「で、アルフレッドはどうだ? ……って、えっ?!

上手ぁっ!!」


 錬金薬学のスペシャリスト、アルフレッドは、精巧な徳利とぐい呑みの型を創り出し、そこに先の細い竹串を使い、繊細な手つきでカエデの葉の文様を彫り込んでいた。

 その集中力と技術は、最早、職人の域だ。


「ふむ。陶芸というのも、奥深いものだな。こうして、無心に作業に没頭できるのも、また精神の安寧に通ずる」


 彼はただ一人、まるで真の芸術家のような静謐な空気を纏っていた。


 かつての魔導学園の同級生である彼らが、こうして土と戯れているのは、単なる暇つぶしではない。

 ラルフが彼らを"スキマバイト"として雇ったのだ。


 近頃、米酒ブームが王都や諸外国にまで波及し、その芳醇な酒を風情ある様式で嗜むための酒器、すなわち徳利やぐい呑みが品薄になっていたからだ。

 孤児やメイド達、果てはエリカにまで協力を仰いでいるが、それでも需要に追いつかない。ちなみに、エリカは頑としてカレー皿しか作らない(そして、それが何故か高値で売れるという、領主館の七不思議の一つだ)。


 それぞれの手から生み出される、多種多様な個性が溢れる酒器達が、裏庭の一角に次々と並べられていく。


「よーし。今日はこんなもんだな」


 ラルフは、土で汚れた両手を勢いよく叩いて払った。


「これは、いつ窯に入れるのだ?」


 ヴィヴィアンは、僅かに瞳を輝かせ、焼成への期待を滲ませる。


「まだまだ先よ。何日か乾燥させて、更に素焼きをして、釉薬掛けをして、それからやっと本焼きだ」


「むー。簡単ではないのだな……」


「そう。それに、焼いている最中に、割れてしまう物も多い……」


「ええっ! そ、そうなのか?」


 ヴィヴィアンは、自らが生み出した作品が、割れてしまい、誰の目にも触れることなく散っていくかもしれない、その儚さに、ひとしおの芸術性なるものを感じていた。


「ふふーん! だけど、私のサラちゃんは、その辺りの火加減をマスターしつつあるわよ。成功率も格段に上がってるんだから!」


 パトリツィアは得意げにそう言い、右手にしがみつく、真っ赤なトカゲを撫でた。

 火の精霊サラマンダーのサラちゃんは、近頃、居酒屋の焼き場の火力調整、炙り物のバーナー係、そして陶芸の焼き窯担当と、多忙を極めている。

(精霊が、それでいいのか……?)

 と誰もが思わないでもないが、サラちゃんは文句も言わず(そもそも喋れるのか?)、いつも眠そうな目で、チョロチョロと歩き回り、人々に餌付けされている。

 今や、ワイバーンのレッドフォードに次ぐ、ロートシュタインのマスコットキャラクターになりつつあった。


 さて、そろそろ昼時。冷たい井戸水を汲み上げ、桶に張った水で土を洗い落としながら、かつての同級生達は"今日の昼メシ"という、この世で最も重要な議題についての話し合いを始めた。


「ラーメン食べたいなぁ……」


 ヴィヴィアンがポツリと漏らした。


「ふむ。ラーメンなら、塩ラーメンだな」


 アルフレッドの静かな一言。


「はっ。何を言う。ラーメンなら、辛味噌、それ一択でしょ!」


 パトリツィアの、火を噴くような主張。


 ラルフは内心、げんなりした。


(うっわ、出た。何ラーメンが好きか論争……。これは……)


 前世の記憶からしても、ラーメン好き同士の間には、海より深い河が横たわる、血で血を洗う闘争のはじまりになりかねない、禁忌の話題だ。


 昼メシは、それぞれ好きに食いに出掛けろ。と言おうとしたその時、ラルフはふと閃いた。


「あっ、久々に、あの店行くか?」


 ラルフの操る魔導車:ハイバックスに乗り込み、向かうはロートシュタインの街から程近い郊外。

 小川のせせらぎと、木々を通り抜ける風の音が、牧歌的な風景と相まって心地よい場所。


 ――陽だまりラーメン食堂。

 二人の姉妹、ペニーとニニィが営む、かつては流行らないない宿屋だった店だ。

 昼前にも拘らず、すでに行列ができはじめていた。


「なるほどな。ここなら、醤油も塩も味噌もあるわけだ」


 アルフレッドが納得したように頷く。彼らにとって、この店は平和的解決の象徴でもあった。


「さっ、並ぼうぜ」


 ラルフは促し、四人は魔導車を降りた。

 四人が大人しく行列に並んでいると、前にいた農民の男が、恐縮したように声をかけてきた。


「あ、あの。どうぞ、お先に……」


「いや、いいから! 並ぶから!」


 ラルフは丁重に辞退する。

 無理もない。彼らはこの王国を代表する魔導士の四人組であり、ラルフに至っては公爵にしてこの地を治める領主なのだ。

 四人は他愛ない話をしながら入店を待つ。時折、食べ終えて出てきた居酒屋領主館の常連がラルフを見つけると、嬉しそうに手を振る。ラルフもそれに応える。


 やがて、四人の番が来た。戸口から妹のニニィが顔を出し。


「では、次のお客様ぁ! って、領主様ぁぁぁぁ!」


 ニニィは目を見開き、驚きと喜びを露わにする。ラルフは軽く「よっ!」と片手をあげた。


「四名様、さあ、奥のテーブルにどうぞ!」


 四人は店内に立ち入る。かつて宿屋の食堂だったここは、大きな窓から陽の光が存分に注ぎ込み、明るく清潔だ。席に着く客達は皆、至福の表情でラーメンをすすっている。


 四人は席に着き、メニューを広げる。


「むむっ? なんだか、ラーメン以外にも、色々あるのだなぁ」


 ヴィヴィアンが難しい顔をする。ラーメン一択だったはずの心は、他のメニューにも迷い始めているようだ。


「ん? そんなにメニュー。あったっけ?」


 ラルフは首を傾げる。この店は、居酒屋領主館で提供しているラーメン各種と、"ポンコツラーメン"のフランチャイズが基本だったはずだ。

 一応、「無理がなければ出したい料理を出しなさい」とは伝えていたが……。

 ラルフもメニューを開く。ラーメン各種の下に、さらに続くメニューの数々。


 鶏の半身揚げ定食、オークステーキ定食、カツ丼、親子丼、ロートシュタイン風ドリア……。


 いつの間にこんなに増えたのか。

 そして、ラルフの目が、ある一行に釘付けになる。


 "ちょい呑みセット"……。


 それは、ビールと、チャーシューやメンマ、根昆布などのツマミが付いてくる、まさに酒飲みのツボを強烈に突くかのような、魅惑の組み合わせ。

 ラルフは窓の外に駐車した、自慢の魔導車を見る。


(車で来るんじゃなかったなぁ……!)


 深い後悔の念が、胃の奥から湧き上がった。この世界では飲酒運転に関する法律は未整備だが、彼の前世の倫理観がそれを許さない。

 そして、もう一つ気になるのが、


 "ロートシュタイン風ドリア"。


(ミラノ風じゃなくてか……?)


 ラルフは前世の、あの良心的なイタリアンファミレスを思い出す。

 そもそも、この世界でドリアを広めたのはラルフ自身だ。それが"ロートシュタイン風"とは、どういうことなのか? とは思うが、これも一種の購買戦略なのだろう。あの姉妹は、意外にもビジネスセンスがあるようだ。


 だが、もっと深刻な問題は、四人全員が、何を食べるべきか、心が揺れ、悩み苦しんでいるということだった。


 つい数分前までは、四人とも「ラーメンの口」になっていたはずなのに。


 ヴィヴィアンは、チラリと横の席を窺い見る。

 農民の親子が、親子丼を食べている。

(昔、ラルフが学園の夜食で作ってくれた、あの親子丼……)。

 いっそラーメンと親子丼、両方頼み、その後に訪れる「食いすぎ」という名の幸せであり苦しみを享受すべきか? と、欲望と理性の間で葛藤する。


 パトリツィアもまた悩む。

(鶏の半身揚げ……。これにかぶりついて、白飯をかき込む……。いや、しかし! 私が愛する味噌ラーメンの濃厚な誘惑……)。


 アルフレッドは硬く表情を崩さないが、その心中は荒れていた。

(オークステーキはソースが選べるだと? オニオンソース? トマトソース?  ……いや、ラーメンはどうするのだ? この選択肢の多さは、学術的探求心をも乱す……)。


 ラルフは心の中で企む。

(誰か、魔導車の運転できないかなぁ? それなら、飲める!)

 彼は三人の顔を窺うが、誰もがメニューの迷宮に囚われている。


 四人は、うんうん、と頭を悩ませる。


 すると、いつの間にかオーダーを取りに来ていた姉のペニーが、静かに、しかし有無を言わせぬ圧力を込めて告げた。


「あのぅ……。決まりましたか? まだ、外にお客さん待ってるので、早くして下さい……」


 この王国屈指の魔導士四人は、可愛らしい店主に、やんわりと、しかし厳しく一喝されてしまったのだった。

また活動報告を書かせて頂きました。

興味ある方はチェケラ(死語)してみて下さい。

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― 新着の感想 ―
半ラーメンセットは無いのかな?
あるあるですね わかります
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