215.偉大なる来訪者
オープン時間を早め、居酒屋領主館の客席は米農園の復興作戦会議の場となっていた。
「まずは、氾濫堆積物を僕の魔法で吹き飛ばす!」
ラルフの簡潔でいて大雑把な作戦が、喧騒を突き破るようにして客席に響き渡った。
「しかし、その後は人の手で整地をしなおすのだろう?」
国王ヴラドが尋ねる。彼の声は、国の将来を憂う静かな響きを持っていた。
「そう。なので、来年の田植え時期に間に合わせるためには、人夫を雇う必要があるかもなぁ」
ラルフは腕を組んで呟く。今、ロートシュタインは働き手不足の真っ只中だ。食文化の急激な発展に伴う新たな産業に労働者が流れ、かつての街道整備の時よりも、確実に報酬を引き上げる必要がある。それでも人が集まるか?
ラルフには不安があった。
「冒険者ギルドとしては協力を惜しまない。なぁ?! お前ら!」
ヒューズが客席にいる冒険者たちに声をかけると、
「おーよ!」
「任せろ!」
と頼もしい返事が返ってきた。
「いやぁ、ありがたい! 金は領主である僕がいくらでも出す。もちろん、クエストとして扱って貰って構わない」
「それなら、こちらとしてもありがたい。まだ稼げないルーキーたちにとっても、良い実入りになるしな」
ヒューズは冒険者らしい笑顔を見せた。
「しかし、厄介なのは、あの流れ込んだ赤土だよなぁ……」
ラルフは心底困ったように言う。赤土は鉄分が多く、作物が育たない。大量に流入した赤土までも爆裂魔法で吹き飛ばせば、土地を抉ることになり、後の整地作業がさらに大変になってしまう。
「ちまちま手作業でやるしかあるまい? 騎士団にも、災害派遣という形で要請を出そう」
国王が力強い提案をしてくれた。
「申し訳ねーっす……。あっ、ヴラドおじ、ビールおかわりいる?」
「むっ? では、次は紅茶ハイで」
「あいよー」
ラルフは厨房に向かう。カウンターの中でオーダーされた一杯を作りながら、サービスのキュウリの漬物を包丁で切る。その手は、被害を目の当たりにして感じた焦燥とは裏腹に、驚くほど安定していた。
「そういえば、なんで昨日のうちに作業を始めなかったんです?」
ヒューズがラルフに尋ねた。
「流れてきた物の中にさ、面白い物が紛れていた」
その言葉に、ヒューズは入口の方を見て、納得の声を上げた。
「ああ、あれですか……」
店に入ってすぐの場所に、不気味な丸太が鎮座している。その丸太には、苦悶に満ちたような顔が存在していた。
「これは、木の魔獣、トレントの死骸か……。確かに、良い素材になりそうだな」
テイマーのヴィヴィアンが、その顔を興味深そうに覗き込んでいる。
「その通り。更には、岩の中には、魔石なんかが紛れ込んでいる可能性もある」
「なるほどなぁ……。では、まずはガラクタの中のお宝探しというわけか……」
ヒューズが言い得て妙なことを口にする。宝探しとなれば、それは冒険者の得意分野だ。
その時、店のドアが開き、ドアベルが澄んだ音を立てて新たな来客を告げた。
「いらっしゃいま……、うぅぅぅわっあ、あ、あ……せ?」
ラルフは思わずおかしな言葉を吐いてしまう。その場にいた誰もが、その姿に釘付けになった。
美しかった。ただただ美しい。
一人のエルフの女性。まるで、宗教画に描かれた女神が降臨したかのようだ。彼女の周囲だけが、清浄な光で満たされている錯覚を覚える。
「な、な、なんなのよ……、あの人……」
普段は傲慢なエリカさえも、その存在感に圧倒されていた。
そして、そのエルフは、まるで透き通った泉のような声で口を開く。
「ここがその、居酒屋領主館という店かえ?」
その瞬間、
「あっれまぁ?! 婆さま! 婆さまでねーかぁ! なーんでここにおるん?!」
エルフのミュリエルが、地元の言葉で駆け寄っていった。
「ば、ば、ば……、婆さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」
その場にいた全員が、驚愕に声を上げずにはいられなかった。
「んんん~? そなたは、……はて? 誰だっけ?」
エルフの女性は首を傾げる。
「んもぅー。またボケてぇ、オラだよ! オラ! ミュリエルだってぇー」
ミュリエルはビョンピョンと跳ねながら自分を指差す。
「ああ。ミュリエル……。そんな子もいた気がするのぉ……。何せ、もう子孫が何人いるかさえ、よくわからんのだ。子に孫に曾孫に玄孫に、その後は何と呼ぶのかわからんが、いちいち全員を覚えてられんわ」
彼女はとんでもないことを、涼しい顔で言い放った。
数世紀、いや、何千年も生きてきたとしか思えない、神話級の存在の可能性が、ラルフたちの脳裏をよぎる。
「んもぅ……。婆さまったらぁ」
ミュリエルは頬を膨らませた。ラルフや国王、ヴィヴィアンたちは顔を見合わせる。
(これは、……とんでもない人物なのでは?)
「まあ、とにかく……。ここは酒場なのだろう? ならば飲み食いさせてくれまいか?」
エルフはテーブル席にドカリと腰掛けた。ラルフは慌ててメニューを手に取り、駆け寄る。
「あ、あ、あの……、どうぞこちらを!」
メニューを差し出す。しかし、彼女は見覚えのある本を開き、注文を繰り出した。
「まずは、このフレーバービールとかいうのと、それとこの、きんぴらごぼう……。あとは、このキムチと冷奴を……」
彼女が広げていたのは、ロートシュタイン出版の『ロートシュタイン 魅惑のグルメ読本』だった。
「あっ、はい。少々、お待ち下さい……」
ラルフは再び厨房に向かう。大魔導士であるラルフですら、彼女が内包する魔力のヤバさに、思わず手が震えてしまった。
(あれは、ヤバい……)
この王国で、魔導士として唯一「魔女」の称号を得た自分の母親よりも、ヤバいかもしれない……と、ラルフの顔は青ざめていた。
いや、むしろ。今、このロートシュタインに母がいなくて良かった……本当の意味でバケモノ級の魔導士同士がかち合ったら? いや、どうなるかなど、想像もしたくない。
というか、両親は、今どこで何をしているのだ?!
と、いつも湧き上がる焦燥感がある。しかし、考えても仕方ない。
あの二人が、何処かで野垂れ死にしてるなんてことは、絶対にあり得ないと断言できるのだから……。
偉大なるエルフはグルメ読本をパラパラとめくりながら、
「のう? エアリエルよ。そなたのオススメの料理も教えておくれ……」
「いや、だから婆さま! オラ、ミュリエルだってぇ! エアリエルって誰なん?!」
ボケとツッコミのエルフ二人。
「はて? エアリエルって孫もいたような? いや、孫の孫の孫の孫の孫だったか? ……あー! そうそう、魔導国家とかいうバカ共に喧嘩売って暴れ回った奴だったな……」
それを聞いた国王ヴラドとヴィヴィアンは、それぞれ口にしていた酒を思わず噴き出した。
「ぶばろっ?!」
「ゲブボォ!!」
滅亡した魔導国家という、歴史の闇に葬り去られた全容を、まさかこの者が知っているというのか? いや、何世紀も生きてきたとするなら、知っているのが自然なのだろう。なのだが……。
(いや、これ、本当に、とんんんんんんんんんんでもない人が、来ちゃったんじゃね?!)
その場にいる全員が顔を青くし、目がグルグルと回り始めた。
「ほう! このスイギョーザとやらは、肉の味はするが、美味いなぁ! この刻んだ薬味が良い! でかしたぞ! エアリエル!」
居酒屋メニューに舌鼓を打つ、偉大なるエルフ。
「婆さまぁ! だから、オラ、ミュリエルだってぇぇぇ!」
「誰だい、そんな言いづらい名前付けたのは?」
「はぁぁぁぁ?! 父ちゃんと母ちゃんは、婆さまに付けて貰ったって言ってやったけどぉ?!」
「もぐもぐ……もぐもぐ……。うむ! この胡麻和えも美味ではないか!」
「ヒドイ! 無視?!!!」
本当に偉大なのか……?
そのやり取りを見ていた誰もが、なんだかバカバカしくなってきてしまった。
その時、ダンジョンマスターのスズが、店の奥から姿を現した。
なぜか赤い癖っ毛のカツラを被り、丸っこい眉毛を貼り付けている。まるでタヌキのような顔だ。
ラルフは一目で、それが前世の何かのコスプレだとわかってしまった。
そして、スズは口を開く。
「進めば二つ……」
「やめなさい……」
ラルフは優しく諭した。




