210.狼とキノコ
夕陽が森の木々の間から差し込み、黄金色の光の筋がこぼれ落ちる。その光を浴びながら、ポンコツラーメンの看板娘、パメラ、マジィ、ジュリの三人は満足げに収穫物を眺めていた。
「ホーンラビットも獲れたし、野蒜もこんなにいっぱい!」
パメラが弾む声で言う。その手には、ずっしりと重い獲物と、摘みたてのノビルの束。見るからに豊かな今日の成果に、三人の顔がほころぶ。
「充分すぎるくらいだな!」
マジィが肩をすくめ、愉快そうに笑う。彼女の満足そうな表情は、今日の狩りの成功を物語っていた。
「もっと果物はないっすかねぇ? もう少し奥を探してみたいっす!」
ジュリが口元に手をやり、よだれを拭う。彼女の目は、さらなる未知の味覚を求めてきらめいていた。彼女たちはラーメン屋の経営者であると同時に、元冒険者だ。食の探求のためなら、危険を顧みず森の奥深くへと足を踏み入れる。それが彼女たちの日常だった。
「もう少し奥まで行ってみる?」
パメラの提案に、マジィが頷く。
「この辺りなら、凶暴な魔獣も出ないだろうし、いいんじゃないか」
その言葉にジュリは目を輝かせ、子供のように飛び跳ねる。
「よっしゃー! 果物、果物!」
だが、その瞬間、背後の草むらが不気味にざわめいた。ガサガサ……。三人は反射的に腰の武器に手をかけ、素早く飛び退く。冒険者として培った、本能的な危機回避能力が警鐘を鳴らす。魔獣か? もしそうなら、食材にするか、それとも逃げるか。それぞれの思考が瞬時に交錯する。緊張が走る中、三人の額にじんわりと汗が滲む。その茂みをじっと睨みつける。
茂みから現れたのは、猫背のだらしない人影だった。枯れ葉をまとったくたびれた魔導士のローブ。その姿は、およそ魔獣とはかけ離れていた。
「えっ? はっ? えっ? ラルフ、様?」
パメラは信じられない光景に目を丸くする。なぜ、この森の奥深くに、領主であり公爵であり、大陸屈指の大魔導士である彼が?
「ん? おやまぁ、三人とも。どうしてここに?」
ラルフは不思議そうに首を傾げる。彼の呑気な声に、マジィのいら立ちが爆発する。
「それはこっちの台詞ですよ?! 何をしてるんです?」
「いや。何って、キノコ採り」
そう言って、彼は手に持っていた採れたてのマツタケを見せる。
「いや、いったいどこに、一人で森に分け入ってキノコ狩りをする貴族様がいるんすかぁ?!」
ジュリの鋭いツッコミに、ラルフはきょとんとした顔で指を差す。
「えっ? どこにって、ここに」
そのあまりの天然ぶりに、三人はもはや脱力するしかなかった。この領主のハチャメチャな人柄が、このロートシュタイン領の自由な気風を生んでいることは、誰もが知っている。だからこそ、この現状を前に、彼女たちはただ呆れ、そして納得するしかなかった。
「でも、ラルフ様、キノコは危ないっすよ。中にはとんでもない猛毒のもあるんすよー」
ジュリが心配そうに忠告する。するとラルフは得意げにマジック・バッグを漁り始めた。
「それは、これがあれば大丈夫!」
彼が取り出したのは、冒険者ギルドの新たなギルマス、ヒューズの著作『野営のススメ』だった。パメラがそれを受け取り、ページをめくる。三人が顔を寄せ合って覗き込む。そこには、野獣の狩り方や、可食できる野草、キノコが詳細に記されている。そして、あるページでジュリが叫んだ。
「あっ! これ、これ! さっき見ましたよ! なんか、とんでもなく巨大で、なんとなく気持ち悪かったんで、すぐそこを離れちゃったんすけど」
その言葉に、ラルフの目が大きく見開かれる。
「どこだ?! どこで見た?!」
彼の興奮した声に、ジュリは身を乗り出す。
「あっちっす! ついて来るっす!」
四人は森の中を駆け出した。その途中、「グルルルっ! ガォォォォォォォォ!」と、獰猛なフォレスト・ウルフの襲撃を受ける。しかし、彼らの勢いを止めるものなど何もなかった。
「うるせぇ!」
「邪魔!」
「どけっ! お肉にするぞ?」
「狼さん、また来てっす!」
四人のあまりの剣幕と、食材としか見ていない視線に、フォレスト・ウルフは戦意喪失。謎の心理的ダメージを受け、走り去る人間たちを呆然と見送った。
彼らをこれほどまでに駆り立てるもの、それはヒューズの著作に記されたキノコ。その解説には、こう書かれていたのだ。
『旨味レベル:星五つ。希少性:幻』。
それはラルフの前世でも馴染み深い、あのキノコだった。
「ここっす! この大木の裏にあるっす!」
ジュリが指差す大木の裏側に回った四人は、その光景に言葉を失い、そして歓喜の声を上げる。
「うぉぉぉぉぉ! なんじゃこりゃあ! 大量!」
「これ全部そのキノコなの?! 多過ぎない!」
「最初見た時は気持ち悪かったっすけど、今は宝の山に見えるっす!」
木の根元にびっしりと群生していたのは、"舞茸"だった。四人は我先にと舞茸を採集し始める。今夜はこれを肴に、また居酒屋領主館で宴だ。幻の食材を手に入れた喜びで、三人は高揚していた。
四人は和やかに談笑しながら、森を歩く。手には穫れたての舞茸。これから帰って、また宴会だ。
すると、前方から、先ほどのフォレスト・ウルフが、怒りに我を忘れ、鋭い牙を剥き出しにしてこちらを睨んでいる。ラルフは、
「風よ。鋭き刃と成り……」
と魔導詠唱を始めた。彼の詠唱からあふれ出す、凄まじい魔力の奔流。それを感じ取ったフォレスト・ウルフは、本能的な恐怖に駆られ、即座に腹を見せて降参の姿勢を取った。
「くぅ~ん……」
その姿に、パメラは満面の笑みを浮かべる。
「なんと、狼の肉も手に入りましたね!」
その言葉に、フォレスト・ウルフは運命の理不尽さと、逃げ場のない絶望に震えだす。
「やめなさい。無益な殺生は好まんよ。それに、ワンちゃんを食べる気はない」
ラルフの言葉に、三人は首を傾げる。魔獣など、いくら狩ってもいいはずなのに。だが、彼女らがラルフに逆らうことはない。再び歩き出す四人。
するとマジィが呟く。
「なんか、あのフォレスト・ウルフ、ついてきてますよ?」
「まだ隙を窺ってんすかねぇ?」
「やっぱり、討伐しちゃいましょうよ」
三人娘がそう言うが、ラルフは、はぁ、とため息をつき、振り返る。
「お前、どうしたいんだ? 街に来たら間違いなく殺されるぞ?」
フォレスト・ウルフは、その圧倒的な強者に、ボスとしての資質を感じていた。この者ならば、自分を守ってくれる。群れで生きる習性を持つこの魔獣は、ラルフに新たな群れのリーダー像を見ていた。
その様子を見たパメラが、楽しそうに言う。
「またテイムします? レッドフォードさんみたいに」
その言葉に、ラルフは苦笑いを浮かべる。彼が使役するワイバーンを、皆が敬意を込めて「レッドフォードさん」と呼ぶ。人間には到底敵わないその巨体と、人間語を理解しているかのような知性。それに乗って空を飛んだ人々なら、ラルフのペットに敬意を持つのは当然のことだろう。
「また、ヴィヴィアンさんに相談したらいいんじゃないですか?」
マジィが助言する。
「はぁ、もう。好きにしろ……」
ラルフは諦めたようにため息をつき、再び歩き出す。
(またペットが増えるのか? いっそ、モフモフ好きのクレア王妃に引き取ってもらうか)
そんなことを考えながら、彼は家路についた。手土産は、幻のキノコと、一匹の狼だった。




