209.季節の甘味
「大変なんです! これは大変なことになったのだ!」
ロートシュタイン出版の甘味担当――いや、スイーツの伝道師と自称するヘンリエッタは、グルメ・ギルドのカウンターで、大きく両手を広げ、声高に叫んだ。
その熱意に、ギルドマスターのバルドルは、忙しなく鍋の具材を切り分けながら、どこかうんざりした表情で対応する。
「いや、それ、『イガ玉』でしょ? 貧民の食べ物を前に、大変だと言われても……」
なぜか、グルメ・ギルドに併設された食堂には、絶え間なく客が訪れていた。カウンター席が六つしかない小さな食堂だが、新名物となったギルマス鍋を求める客は後を絶たず、ついに持ち帰りも始めたのだ。ギルマスのバルドルは、ハンコを押す時間よりも、包丁を握っている時間のほうが圧倒的に多い。
「とにかく! これを安定供給してほしいのです!」
ヘンリエッタは、カウンター越しに身を乗り出し、熱く要望をぶつける。
「えぇ……。それ多分、冒険者ギルドに行った方が早いですよ? それ、この時期だけですから」
バルドルは、カウンターに座る客に小さな鍋とビールを提供しながら、片手間に答えた。
「うわっ! すっごい良い匂い! これはそそられるわー!」
そう言って、真昼間からホルモンを酒で流し込もうとしているのは、聖教国の聖女様だった。おしぼりで両手を拭いながら、満面の笑みで鍋を覗き込む。
ヘンリエッタは、胸中で、
(あれれ〜、おかしいなぁ)と首を傾げる。
先日、聖教国に取材で訪れた際、こんな噂を耳にしたばかりだった。
今代の聖女様は、地に墜ちた神獣の御霊が、怨嗟のままに邪竜となり厄災をもたらさぬよう、その命を賭して天界へと導いた……と。
(命を賭した? その聖女様が、なぜ真昼間からビールを一気飲みして、盛大にゲップを吐いているんだ?)
「ゲハぁ……!」
当の聖女は、腹の底から空気を吐き出し、周りの客たちは、彼女をまじまじと見つめていた。
「とにかく、その『イガ玉』は生産されているものじゃない……。うちのギルドでは扱えないんだよ」
バルドルは、はっきりと言い放つ。
なるほど。そうなのか……。
この革命的な甘味、『イガ玉』、もとい栗を安定して手に入れるには、冒険者ギルドの協力が必要なのだ。
とにかく、この栗は凄い。ペーストにすれば新感覚の風味を醸し出し、単に蒸すだけでも、最高の酒の肴になる。
ヘンリエッタは、グルメ・ギルドを後にし、シャロン・ゲートへと向かう。道すがら、シャロンの像の前で手を合わせ、心の中で祈りを捧げた。
(シャロン様! この栗は、また革命です! どんなスイーツに取り入れても、特大のバフ効果を発揮するのです!)
像に封じ込められた悪魔は、
(だから! それが何? 祈りですらなくね? それって、貴女の感想ですよねぇ?!)
と、どこかの論破王のような感想を抱いていた。
ヘンリエッタは冒険者ギルドへと足早に歩き出す。とにかく、これを安定して手に入れたいのだ。
だが、冒険者ギルドの受付で、彼女は残酷な現実を突きつけられる。
「あー。それ、この一時期しか手に入らないですよ? もちろん、依頼を受けることはできますが……」
その言葉に、ヘンリエッタは絶望を覚えた。
一年を通して、食べられない?
それでは、意味がないではないか……。
失意のうちに冒険者ギルドを後にすると、広場で焚火を囲む冒険者たちの姿が目に飛び込んできた。彼らは、
「おー! そろそろ焼けてきたぜ!」
「やっぱ、この時期はこれだよなぁ!」
「そうそう……。これが、甘くて堪らんのよ!」
などと言いながら、芋のようなものを焚火で焼いて食べている。
(あ、甘いの?!)
ヘンリエッタは飛びかからんばかりに、その冒険者たちに駆け寄った。
「ねぇ! それ! 甘いの?!」
「えっ! うわっ?! え、誰?!」
「う、うん……。赤芋は、甘いよ」
冒険者の若者たちは、戸惑いながらも教えてくれた。
そこで、彼女は必死に頼み込む。
「それを私に卸してくれない?!」
「それはいいけど……。この時期だけだよ?」
「えっ?」
どういうことなのだ?
皆が皆、口を揃えて「この時期だけ」だと言う。
(まるで、甘味は、この一時期だけの、特別なものだというのか?)
それは、その通りだった。
つまり、安定供給は難しい。しかし、その魅力を逃すわけにはいかない。
ヘンリエッタは、領主のラルフ・ドーソンに相談することにした。
彼の言葉は、彼女の頭をガツンと殴るような衝撃を与えた。
「そりゃあ、そうだよ。季節限定メニューにしなきゃ。食べ物ってさ、大自然の大いなる恵みを、季節の移り変わりと共に、我々も味わうもんなんだよ……」
そう言って、ラルフは満面の笑みで、七輪に載ったマツタケを炙っていた。
(季節?! そうか! 私たちは、自然と共に生きているのだ! なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう? やはり、ラルフ様は天才だ!)
この日を境に、ヘンリエッタのラルフへの信仰度は上がった。
『スイーツ・ヒストリー』という、この世界の甘味にスポットライトを当てた著作物を刊行していたヘンリエッタは、これを機に「人と自然と食べ物」という、文化人類学的な観点からの論文を多数発表するようになる。ただの孤児だった彼女が、やがて世界を動かす。
後年、彼女の言葉は、全世界のパティシエたちの間で、金言として広く言い伝えられた。
「スイーツなんて、贅沢品よ! 貴族が金を出して買うものよ。……大して美味しくないわよ、あんなもの……。本当に美味しいのは、『ああ、またこの季節が来たか』って、大して甘くない、ロートシュタインの甘栗を食べる時なのよ」
そう言って、若者たちに説教をする、厄介な御大として年を重ねていった、逞しいヘンリエッタ。その思い出の中には、いつも、あの型破りな領主様の姿が、満面の笑みで浮かんでいた。




