204.ギルマスの料理
新設されたグルメ・ギルドのマスター、バルドルは、居酒屋領主館の客席で、一人の男と対峙していた。
その男とは、宮廷料理長のサルヴァドル・バイゼル。にこやかに杯を差し出すが、対面するバルドルは、ただただ燃え尽きていた。まるで、命を削る激戦を終えた格闘家のように。真っ白に……。
昼間の出来事を思い出す。新設されるグルメ・ギルドのマスター就任を、ほぼ無理矢理、彼の意思を無視する形で、書類にサインさせられてしまったのだ。会議室を後にする際、同僚や旧友たちが「けっ、手間かけさせやがって!」と吐き捨てる光景が、彼の心をさらに抉った。その怒りと疲労を、バルドルは静かに酒で癒そうとしていた、のだが……。
「とにかくだ……。弟子に任せたいのは、ラルフ殿が言うところの、高級寿司店なのだ! あの地下街に出店させようと思ってな!」
サルヴァドルの饒舌な言葉が、バルドルの疲弊した頭に響く。
「は、はぁ……」
バルドルの返事は、心ここにあらず、といった風情だ。
サルヴァドルは語る。彼の弟子の一人が、ラルフの生魚料理に深い感銘を受け、この道を極めたいと、涙ながらに宮廷料理人を辞したいと申し出てきたという。その熱意に打たれたサルヴァドルは、全力で彼をバックアップしようと決意した。王にその話をすると、事態は思わぬ方向に転がり出す。「ロートシュタインに出店するなら金は出すぞ!」と、王は穏やかに、しかし壮大な計画を提示した。
戸惑いとパニックの渦中に投げ込まれた弟子は、勢いに任せて交際していた宿屋の娘に、よりによって【シャロン像】の前でプロポーズ。すると、娘はあっさりと「はい! よろこんで!」と快諾。なぜか、あれよあれよという間に、ラルフ・ドーソンのプロデュースで、ロートシュタインで盛大な結婚披露パーティーが開催されることが決まり、若き夫婦はただただ戸惑うばかりらしい。
話が逸れた。
サルヴァドルは、再びバルドルに視線を戻す。
「グルメ・ギルドの長ということは、バルドル殿は料理人なのかな?」
その瞳は、獲物を見定める猛禽のように鋭い。やはり料理に人生を捧げた人間の興味は、そこに尽きるらしい。
「とんでもない。私など、包丁もろくに扱えませんよ……」
バルドルは真実を口にしたつもりだった。しかし、サルヴァドルは、それを真に受けない。
「ほぅ……」
彼は鋭い眼光を瞬かせ、バルドルの言葉を"謙遜"と解釈した。真の達人とは、自らの鋭い爪をひけらかさないものだと、彼は知っていたからだ。そして、運の悪いことに、昼間の騒動で疲れ果てたバルドルの態度が、サルヴァドルの目には、飄々とした強者の余裕にさえ映ってしまった。
「バルドル殿の料理、いつか食べてみたいものだな!」
サルヴァドルは、あえて大声を張り上げる。その声は、厨房にいるラルフの耳にも届いた。
「いやいや! そんな……、そんなこと……。……ん? あ!」
その瞬間、バルドルに雷に打たれたかのような天啓が走った。そうだ、これだ! 自分がグルメの名を冠するギルドの長に相応しくないことを証明する、絶好のチャンスではないか?!
「どうしました? バルドルどの?」
宮廷料理長の問いかけに、バルドルはムクリと立ち上がる。
「そこまで言われてしまったら、仕方ありませんなぁ! 私の作る稚拙な料理、恐れ多くも、宮廷料理長殿にご賞味頂きましょう! ラルフ! 厨房を貸してくれ!」
信じられない言葉が、彼の口から飛び出した。サルヴァドルに不敬なほど不味い料理を食わせれば、彼の信頼を失い、お役御免。晴れて一般人に戻れるのだ。王族界隈からの信頼など、知ったことか! このラルフ・ドーソンに一生こき使われるよりは、よっぽどマシだ! と心の中でそう決意した。
一方、ラルフは、その突拍子もない提案に目を輝かせた。
「えっ! マジで?! バルドルさんが料理するの? ちょっと興味あるわぁ! どうぞどうぞ! 道具も材料も好きに使って!」
本来、料理人の聖域である厨房への立ち入りを面白がって許可する。他の客たちも、「なんだなんだ?」と好奇心に駆られ、近くに来てその様子を見物しだす。
サルヴァドルは、再び目を光らせる。
「見せてもらいましょうか? グルメ・ギルマスの、実力とやらを……」
バルドルは、ラルフが用意した食材の前に立った。その中には、ラルフと一部の常連客のために集められた、臓物類があった。身の毛もよだつような、おぞましい形をした、牛の第二胃袋"ハチノス"を手に取り、包丁で切り分ける。
さらに、シマチョウ、マルチョウ、センマイ、ギアラといった、彼の目にはおぞましいとしか思えない「内臓」を無造作に切り刻み、適当に鍋にぶち込む。
ふと目に入ったのは、キャベツ。苛立ちと怒りをぶつける相手としてちょうど良いとばかりに、それを雑に切り刻む。ラルフが愛用する包丁の鋭い切れ味に、一瞬、楽しさを覚えてしまう。
(いや! いかんいかん!)
首を振る。不味い料理を作らねばならない。誰もが眉をひそめ、なんなら嘔吐するような……。次に目に入ったのは、道端に生えている草のような野菜、ニラ。そして、転がっていた野蒜。それらを適当に刻んで鍋に放り込む。
味付けはどうするか。彼の目に留まったのは、真っ赤な液体で満たされた瓶。
(なんだこれは? 魔獣の血か何かか?)
訝しげに手に取る。しかし、グロければグロいほどいい。彼はそれを鍋にドボドボと注ぎ込む。
「あらぁ、それに目を付けたか……」
ラルフは腰に手を当て、ニヤニヤしながらその光景を見守る。バルドルが選んだ液体は、ラルフが試作開発中の辛味噌ダレだった。醤油、味噌、酒、鶏ガラスープに、香味野菜、そして粉末になるまですり潰した唐辛子を合わせたもの。
バルドルは、目の前の鍋を見下ろす。それは、魔女の大鍋と見紛うほどの、地獄のような煮込み料理だった。蓋が閉まらないほど山盛りだったが、火にかけるうちに野菜がしんなりとし、鍋に収まっていく。そして、唐辛子の刺激と相まって、なんとも食欲をそそる匂いが立ち込めてきてしまった。
ラルフは胸中で思う。(この人、天才なんじゃね?)
それは、ラルフの前世で言うところの「ちりとり鍋」にそっくりな料理だった。バルドルのヤケクソと適当さが、まるで緻密に計算された数学定理のように、奇跡的な偶然を生み出してしまったのだ。
(えっ? えっ?! なんか、ちょっと、美味そうな匂いが、するんだが??)
バルドルは、ただただ戸惑う。
「そろそろ良さそうですね!」
ラルフは頃合いを見計らい、鍋をさっさと宮廷料理人のいるテーブルに運んでしまった。
「あ! いや、ちょっと待って! えええっ?!」
サルヴァドルは、取り皿に熱々の野菜とホルモンをよそっていく。香りを確かめ、ふむ、と頷く。そして、
「良い! まだ暑い時分に、香味野菜とスパイス、そして、肉。これは精がつきそうではないか!」
案外な高評価に、バルドルは目を丸くする。
「えっ! ええっ!」
サルヴァドルはそれを口に運び、ハフハフと熱を逃がしながら咀嚼する。目を閉じ、味覚に全神経を集中させる。脂身の多いホルモンを噛みしめ、ゴクリと飲み込むと、フォークを静かに置いた。そして、
「ギルマスどの、おみそれしました。これはこれは、極上だ! 辛い! そして美味い! 野菜と臓物の脂、香味野菜とスパイスのバランス! 完璧なまでの鍋料理だ!!」
大声で放たれた賛辞に、客たちは「おー!」と歓声を上げる。褒められたバルドルは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
他の客たちも騒ぎ出す。
「お、俺にも食わせてくれ!」
「私も食べたい!」
「ちょっと分けてくれよー!」
「ギルマス! これじゃ足りねぇって!」
「ギルマスぅ! こっちにも鍋くれぇ!」
「ギルマスぅ、鍋ぇー!」
「ギルマス鍋ぇ! こっちもくれぇ!」
瞬く間に、その料理は"ギルマス鍋"と呼ばれ、居酒屋領主館中に、パニックじみたオーダーが飛び交った。
そんな中、ラルフは一つ咳払いをする。振り返り、カウンターの向こうに立つバルドルに、事も無げに要求した。
「あー。バルドルさん。材料まだまだあるんで、その……、作って貰えます?」
信じられない言葉に、バルドルは顔を真っ赤にして、血管を浮き上がらせる。
「なんで俺が仕事終わりに、さらにここで働かなきゃいけないんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ?!!」
彼の絶叫が、ロートシュタインの夜空に木霊した。




