201.シャイニー・デイズ!!
その日、エリカとヴィヴィアン・カスターは、並んで手摺に肘をつき、街道の彼方に沈みゆく夕陽を眺めていた。
燃えるような空の下、眼下には簡易的な椅子とテーブルが広がり、人々が楽しげに酒を酌み交わしている。肉を焼く香ばしい匂い、魚を炙る潮の香りが、風に乗って二人のもとにまで届いた。
ここは、ロートシュタイン領と王都を結ぶ街道の中間にある競馬場。
二人の推し馬、サイレントオラクルが久々に出走すると聞きつけ、はるばるやってきたのだが……。
結果は、無残な敗北だった。
ヴィヴィアンは、幸せそうに語らう人々の輪をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「いいですねぇ……。あの人達、勝った人達なんですねぇ……」
その声は、どこか諦念を含んでいた。
すると、エリカは、ちっ、と舌打ちし、忌々しげに吐き捨てる。
「けっ! あいつら、最初から金持ってるのよ!」
それは、まるでこの世の摂理でも語るかのような断定的な口調だった。
ヴィヴィアンは、確かにそうかも、と思った。しかし、心に去来するのは、別の感情だ。
「お金って、なかなか手に入らないですねぇ」
ギャンブルをやめればいいだけの話なのだが……。
そんな当たり前のことに思い至りながらも、二人は競馬場の喧騒を後にした。
まあ、ロートシュタインに戻れば、飢えることはない。
二人はエリカの愛機、魔導小型二輪車:キャブに二人乗りし、慣れた道を走り始めた。
しかし、道半ばで、キャブの魔導エンジンが不機嫌な唸り声をあげる。
「あ、あれ? ……どうしたのよ! この! この!」
ハンドルを握るエリカは、苛立ちを隠せない。こんなことは初めてだった。
やがて、暗くなり始めた街道の片隅で、キャブはその命の炎を完全に失った。
「この役立たずが!」
エリカは激情のままにキャブのタイヤを蹴飛ばす。
しかし、現実は何も変わらない。
頼るべきは、通りすがりの誰かしかいない。
二人は、街道の脇に肩を寄せ合うように座り込んだ。
このまま夜になったらどうなるのか。そんな不安が胸をよぎるが、そのうち誰か通るだろうと、かすかな希望を抱いた。
賭けに負けた挙句の立ち往生。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂とは、まさにこのことだ。
しばらくすると、王都の方向から暗闇を切り裂くヘッドライトの光が見えた。大型の魔導車だろう。
二人は立ち上がり、救世主と信じて必死に手を振った。
その魔導車は速度を緩め、ゆっくりと街道の端に寄り、停車する。
エリカは期待に胸を膨らませ、運転席に駆け寄った。
「すみませーん! ちょっと助けて欲しいんだけど!」
しかし、運転席から顔を覗かせた人物は、予想外の人物だった。
「おや? エリカに、ヴィヴィアン殿も? どうしたのだ? こんな所で?」
「えっ?! お父様!!」
なんと、ハンドルを握っていたのは、エリカの父、デューゼンバーグ伯爵だったのだ。
まさかこんな偶然があるとは。二人はただただ驚くしかなかった。
ギャンブルの女神には見放されたが、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」。運とは、振り子のようにバランスを取ろうとするものなのかもしれない。
二人は協力してキャブを魔導車の荷台に引き上げ、運転席の隣に並んで座った。
「お父様、こんな魔導車持ってましたっけ?」
エリカが疑問を口にすると、デューゼンバーグは歯切れ悪く答えた。
「あ、ああ……。まあ、な……、買ってしまった……。母さんには、内緒だぞ……」
(まったく、お父様ったら……)
エリカは呆れるが、強欲な性分は親子そっくり。自分のことは棚に上げた感想に他ならない。
「でも、これは大きくて広くて、乗り心地がいい車ですねぇ」
ヴィヴィアンが感嘆の声を漏らす。
「そうだろう、そうだろう……。ラルフ殿曰く、エス・ユー・ブイというタイプらしい……。走破性も抜群! ……ちょっと、高かったがな……」
デューゼンバーグは、誇らしげに自慢と、わずかな後悔を口にした。
「でも、助かったわ……。本当にありがとう。お父様!」
素直な感謝の言葉に、デューゼンバーグは嬉しくなった。他の貴族家の話を聞けば、年頃の娘は口も利かなくなるというのに、と。
娘が奴隷落ちしたと聞いた時は悲嘆に暮れたが、なぜかすべてが劇的にうまくいっている。いっそこのまま、ドーソン公爵がエリカを娶ってくれれば安泰なのだが、あの奥手な公爵を思うと、まだまだ先の話だろうと諦めていた。
「ちょっと寄り道をするぞ。居酒屋領主館への、手土産を調達する」
デューゼンバーグの言葉に、エス・ユー・ブイは街道を外れ、森の奥へ入っていく。
暗く鬱蒼とした景色に、エリカとヴィヴィアンは不安を覚えるが、やがて開けた場所に、淡い光と人影が浮かび上がってきた。
そこには色とりどりのテントが張られ、冒険者だけでなく、貴族や共和国の議員らしき人々が、優雅に、そしてお金をかけた設備で野営を楽しんでいた。
どうやら、冒険者ヒューズが執筆した『野営のススメ』という本に感化された者たちのキャンプ地らしい。
デューゼンバーグが車を降り、キャンプ地を歩き始める。二人は後を追った。
人々は魔導ランプの光の下、静かに酒を飲んだり、本を読んだり、腸詰めや焼きそばを焼いたり、思い思いの時間を過ごしている。
焚き火の燻しさと、肉の焼ける香ばしさ、ソースの焦げる芳醇な香りに、エリカとヴィヴィアンは思わずごくりと喉を鳴らした。
デューゼンバーグが声をかけたのは、リザードマンの三人組だった。最近、居酒屋領主館に通い始めた、比較的新しい常連客だ。
「やあ! 今日の収穫はどうかね?」
戦士のムヴォスが、丁寧に加工された猪豚の肉と、大きな野蒜を見せてきた。
「この森、凄い。獲物多いし、野草も多い。天国かも……」
野蒜は、ラルフがニンニクと呼ぶもので、独特な臭みはあるが、肉料理と合わせると劇的なまでのバフ効果を発揮することを、誰もが知っている。
猪豚肉と野蒜。その組み合わせを見ただけで、エリカの心に(スタミナ・カレー食べたい!)という叫びが響き、ヴィヴィアンの心には(スタ丼食べたい!)という願望が膨れ上がった。
「金貨一枚でいいのか? 本当に?」
デューゼンバーグが尋ねると、リザードマンたちは嬉しそうだ。
「じゅうぶん、じゅうぶん!」
彼らは、あまりお金に頓着しない。二日に一度、居酒屋領主館で飲み食いできれば、それで満足なのだ。
彼らの狩りの腕があれば、もっといい暮らしができるはずなのに。しかし、自然と共生する彼らには、人間の価値観で測る「良い暮らし」よりも、今の生活が一番良いのかもしれない。
金銭欲に囚われっぱなしのエリカとヴィヴィアンは、なんだか恥ずかしくなった。
「さあ! 行こうか! ラルフ殿への良い手土産が手に入ったぞ!」
デューゼンバーグは意気揚々と歩き出す。
二人は、後ろ髪を引かれるように、野営を楽しむ人々を眺めながら歩いた。
途中、カレーを煮ていた冒険者パーティーがいて、エリカは鋭い眼光を飛ばす。若者たちは、なんだか気まずそうだ。
あの淡い光、食欲をそそる煙、そして自然の中で伸びやかに過ごす人々の姿に、名残惜しさを感じながら、二人は魔導車に乗り込んだ。
後日。
エリカとヴィヴィアンは、芝生の上にテントを張り、日除けのタープの下で小さなコンロを囲んでいた。
鳥の声と虫の音だけが響く、心穏やかな午後のひととき。
ヴィヴィアンはウインナーの焼き加減を見定め、エリカはサングラスをかけてデッキチェアに寝転がり、本を読んでいる。
と、芝生を踏む足音が聞こえてきた。
「いや……。あのさぁ……。ここで、やるんだ……」
そこには、呆れ顔の領主、ラルフ・ドーソンが立っていた。
ここは、領主館の中庭。
さすがに森に入るのは面倒だったらしい。
二人にとって、大切なのは「形」だけ、だった。




