193.青空弁当談義
その日、ロートシュタイン領が震えた。
比喩表現ではない。実際に、物理的に、大地が揺れた。つまり、地震だ。このことは、領主であるラルフから事前に通達がなされていた。しかし、いつの世にも人の話を聞かない人間は存在する。
揺れ始めた地面に、真っ昼間からギルドで火酒を呷っていた冒険者が気持ち悪くなって嘔吐したとか、地震に慣れていないリザードマンの戦士たちが道端で謎の祈祷を始め、通行人の邪魔になっていたとか、川に大きな魚が見えたと、橋の欄干から身を乗り出して眺めていたエルフのミュリエルが、運悪くその瞬間に起きた激しい揺れによって、期待通り川にドボン!と落ちたとか。
女騎士はというと、この日の昼食に汁なし担々麺を選んだため、事なきを得た、とまで報告が上がってきた。
ラルフは、「そんな報告いちいち上げるなよ……」と、珍しく領兵の男を叱っていた。
そんなこんなで、この地震。絶賛ロートシュタインの地下では、スズの魔法によってダンジョンを生成中である。ダンジョンと言っても、予定では三階層だけ。完成に要するのは、なんとたったの一日とのこと。
このプロジェクト、ダンジョン生成技術を応用した地下街の建設は、ロートシュタインに駐在している各国の貴族や議員たちもかなり注目していた。もし上手くいけば、ラルフ・ドーソンに対して技術提供をお願いする気満々である。地下街というまったく新しい都市インフラモデルが秘めている可能性は、無限大に感じられた。
目抜き通りのど真ん中、工事中の看板と囲いが、道行く人々の波を割る。
昼時、工事現場の穴の中からスズが出てきた。その頭には白い安全ヘルメット。そして、いつもの黒いセーラー服ではなく、ネズミ色のツナギを着て、なんだか本物の土木作業員のようだ。どうやら、形から入るタイプらしい。
ラルフは、スズに労いの言葉をかけ、弁当を差し出した。
二人は揃って休憩用のベンチに腰掛け、昼食をとることにした。
スズのお弁当は、ラルフ特製の、スズの好物盛り合わせ弁当。
一方のラルフは、生姜焼き弁当だ。そして、孤児院の畑から産地直送の新鮮な苺もデザートとして用意されている。
「やっぱり、ずっと地下にいると時間感覚なくなるなぁ……」
スズはそう呟き、いなり寿司をむしゃむしゃと食べ始めた。
「で、進捗どう? 本当に一日で終わるの?」
スズは冷たいお茶をゴクゴクと飲み干した。
「……今二階層をやってるから、ちょうど五十パーセントくらい? だと思う」
「いや、早いだろ? これはもしや、なかなかにヤベェ技術革新なのでは?」
ラルフは少し不安になってしまった。
もしも、世界中で地下街の建設ラッシュが起きたとして、それによって人々の営みや、社会や経済に与える影響はどれほどのものだろうか? と考えてみたが、なかなかに壮大なテーマ過ぎて、よくわからない、というのが結論だった。
「貴方、いつもそれ気にするわよねぇ。……せっかくチートキャラなんだから、自重せずやりまくるのがテッパンでしょ」
スズはそう言い放ち、だし巻き玉子を口に放り込む。
「技術革新が人々の幸福に直結するとは限らない。いや、むしろ悪くなる可能性の方が高いんだよ……」
「ふーん……」
スズは、よくわかっていないような、まったく興味がないような生返事をすると、デザートの苺をモグモグし始めた。
「しかしまあ、ダンジョン生成に関してはかなり古くから研究されてたみたいだし。……実際に帝国には人間の魔導士が造った人工ダンジョンがあるというし、大丈夫か! 多分……」
ラルフは、もうここまでやってしまったのだから、仕方がない!と開き直ることにした。
「うんうん。それに、そんなに簡単ってわけでもない……。ダンジョン・コアに転用できるような巨大で高純度な魔石なんて、普通の人は手に入れられない……」
「ああああ。そりゃあ、そうか」
ラルフは納得した。
「もちろん、公共事業として莫大なお金が用意できる場合には、むしろこの工法は時間も節約できるし、作業員の安全も確保できる。良いことしかない」
スズの意見にはラルフも大賛成だ。特に安全面。おそらくこのような大規模工事を人間の手で行うとなると、いくら安全管理を徹底したとしても、事故がつきものだ。怪我人が出る、最悪命を落とす作業員もいる。ならば魔法で掘ればいいじゃないか! 至極単純な最適解だ。
「なるほどなぁ。それに、建設資材もかなり節約できるよなぁ」
ラルフは顎に手を当て考える。前世の知識によると、このような地下掘削工事では、セントルやライナープレートといった資材が必要になる。それらも大幅に削減できるとなると、やはりかなり大きな革命なのではないか、という予感がした。
まあ、そんな堂々巡りな不安ばかり考えても仕方ない。
「この地下街って、何か名前つけるの?」
スズが唐突に質問してきた。
「えっ? いや、別に……。地下街でいいんじゃない?」
「このメインの入り口にも名前付けないの?」
「いやぁ。考えてなかったなぁ……。何かアイデアがある感じ?」
「ロートシュタインのゲートだから……。シュタインズ・ゲー……」
「はいストップ! ストップ! ストップ! ……ストップ・ザ・シーズン・イン・ザ・サーァアン! ……ってバカヤロ!!」
ラルフはなぜか慌てて、よくわからないノリで盛大にツッコミを入れ、スズの言葉を遮った。
「貴方もたいがい古い……」
どっちもどっちである。
「まあ、この下に例のガーゴイルを設置するから、……ガーゴイル・エントランスとか?」
「無難ねぇ。面白みには欠ける……」
「面白さとかはどうでもいいの! どうせ街の人たちが、勝手に名前付けて呼び始めるだろ」
実際に、渋谷駅のハチ公口がそれにあたる。ハチ公像が渋谷駅前に設置されたのは、1934年(昭和九年)。その後戦時中に供出され、戦後の1948年(昭和23年)に再建された。一方、駅の「ハチ公口」という名称が公式に使われるようになったのは、もっと後のことで、利用者の間では待ち合わせ場所として「ハチ公前」が圧倒的に有名になり、駅としてもそれを反映する形で「ハチ公口」と呼ぶようになった。つまり、地元の人々の通称が公式名称化したという流れがある。ちなみに、全国でもこうした「固有名詞を冠した出口名」は結構レアだったりする。京都の「八条口(八条通に面している)」や、大阪の「御堂筋口(御堂筋に面している)」などがあるものの、動物の銅像を由来にしている出口名は、渋谷のハチ公口くらいだと思われる。さらに、とある犬の個体名を直接名指しして、公共交通機関が公式名称に採用した場所など、世界中を見ても他に見当たらない、かなりユニークなことである。
「変な名前ついたりして……」
スズが呟く。ラルフも、なんだか不安になってきた。何せ、このロートシュタインに集う人々は、面白いほどに制御不能な挙動をする。
「もうガーゴイル・エントランスって、公式声明出すか……」
「じゃあ、八重洲口は?」
「いや、東京駅じゃん……。あっちって、誰が何の用があるんだろな? あの辺りで働いてなきゃ、用事ないよなぁ?」
「本屋さんがあるじゃない?」
「本屋なら、僕、新宿行っちゃってたからなぁ……」
「新宿……、あ! そういえば、あそここそ地下街じゃない! 懐かしい……迷って、泣きそうになったことある……」
「地上に出た時、どこに出たのか一瞬わからなくなるんだよな? ……まあ、ここは大丈夫だろう。あんな複雑なことにはならない」
前世談義に花を咲かせてしまった二人。
「じゃあ、シャロン・ゲートで……」
スズがまたも提案してきた。
「いや、なに? シャロンって、急にどっから出てきた……」
ラルフは困惑する。
「なぜ、その名なのか、貴方ならわかるはずよ……」
なぜか確信めいた光を宿した目でスズはラルフを見る。そして、ラルフも何かを察した。
二人は同時に口を開く。
「特に、意味はない!!!」
二人の言葉が重なった。
「さて、じゃあ工事の続き、よろしく〜」
「ごちそうさまでしたぁ」
そう言いながら、そそくさと空いた弁当箱を片付け始める。
その後も小さな地震が何度か起こり、またなんとも小さくてバカバカしい被害報告をラルフは受け取ることになったが、まあ、これも大事な領主としての務めか……と色々と諦め割り切ることにした。




