192.ガーゴイル
「で、なんでこうなっちゃうかなぁ?」
ラルフの声は、心底不思議そうに響いていた。視線の先にあるのは謎の物体。ここはジョン・ポール商会の開発実験室。普段は魔導車の演算回路が並ぶ無機質な空間が、今は奇妙な空気に満ちている。ラルフが間借りしているこの部屋に鎮座しているのは、全高一メートルほどの、禍々しい石像だった。
「私にも、正直、よくわからない……。おそらくだけど、この悪魔の意思が、造形生成の段階でノイズとして紛れ込んじゃったのかな……と」
ダンジョン・マスターのスズは、いたたまれないといった風に視線をそらし、ぎこちなく言い訳をしてみせた。
「これは……大丈夫なのか? 悪魔がこのゴーレムを乗っ取って暴れ出す……なんてことはないんだろうな?」
ヴィヴィアン・カスターの懸念に満ちた声が、静かな部屋に木霊する。
「それはない。ゴーレムではあるけど、稼働部位は一切排除したから」
「それは、もはやゴーレムではなく、ただの石像と言えるのでは?」
ファウスティン公爵の鋭い指摘に、スズはぐっと言葉を詰まらせた。
「……だけど、悪魔の魂を封印するためには、ゴーレム生成の術式が有効だった。これ、多分、大発見」
胸を張ってそう言ったスズに、ラルフは深く頷く。
「それは確かなんだよなぁ。……また魔導論文を書かなきゃな……。しかし、なんというか。……えらく、"そそられる形"になっちまったねぇ」
呆れと焦燥感が混じり合った複雑な心境で、ラルフは石像を見下ろす。見た目は、まさしく悪魔そのもの。だが、ファウスティン公爵が封印する前の実体化した悪魔よりも、ずっと禍々しく、そして悍ましかった。尖った耳、つり上がった目、鋭い牙、そして、コウモリのような翼。その異形の姿は、見る者の心に不気味な影を落とす。
「この姿……。封印された悪魔の意志が反映されているとしたら。この小悪魔が、本来ならこうなりたかった自分自身の理想の悪魔像なのかもしれないな……」
ヴィヴィアンが鋭い推理を披露すると、石像に封印された悪魔の魂が、
(お願い! やめて! 言わないでッ!)
と羞恥に身悶えした。
「……ああ! わかった! これ、もしかしてガーゴイルか?」
ファウスティン公爵が、何かに気づいたように声を上げた。ラルフもまた、その言葉に深く頷く。
「なるほど……。確かに、これはガーゴイルだ」
ラルフの前世の記憶が、鮮明な映像を呼び起こす。
ガーゴイルとは、元来、悪魔そのものではない。中世ヨーロッパの大聖堂に取り付けられた石像であり、その役割は極めて実用的だった。雨水を建物の壁から遠ざけるための、雨どいの仕掛け。だが、その造形は、ただの機能に留まらなかった。竜や怪物、あるいは翼を持つ異形の獣の姿を与えられ、まるで人々を睥睨するように高みに据えられた。そこには、迷信とも信仰ともつかぬ想いが込められていたのだ。悪魔のような貌を外壁に刻むことで、かえって邪悪を遠ざける。教会の中に入れば神の救いがあると教えるために、外側に恐怖をかたどる。
日本であれば、鬼瓦がそうだろう。
ラルフは、その知識を思い出すと、石像の瞳に宿る冷たい皮肉を感じ取るのだった。
だが、そんな背景を知らないヴィヴィアンは、不思議そうに問いかけた。
「むっ? なんだ? ラルフ・ドーソン。その、ガーゴイルとは?」
「禍々しい姿をした、守り神だよ」
ラルフは簡潔に答えた。
「悪魔が守り神だというのか? この石像が?」
ヴィヴィアンが石像の瞳を覗き込む。石像に封印された悪魔は、(ヤメロ! 俺を神呼ばわりなど!!)と、悪魔特有の忌避感に震えたが、文字通り、手も足も出ない。
「でも。コイツの意思が、地下街の生成に悪影響を与えたりはしないのか?」
ラルフの疑問に、スズはきっぱりと答えた。
「それは大丈夫。この魔石の演算ルーンの中に、フィルターを構築した。それに、基礎魔力のみで運営するなら、スタンピードを起こすような余力もないから、極めて安全なダンジョンが生成され、それを最低限運用する力しかない」
つまり、
「この悪魔は、意思だけは残されたまま、身動きは取れず……ただの発電機として利用されるわけか。……憐れだ。憐れ過ぎるな……」
ファウスティン公爵は、どこか嬉しそうにそう言った。
「しかし、そんな石像が、ダンジョン・マスターとして機能するのか?」
「問題ない。この魔石、ダンジョン・コアが、マスターがいるという、その存在を認識さえすればいい……」
スズの冷徹な言葉に、ラルフとファウスティンの脳裏に、同時に同じ言葉が浮かんだ。
(ダミー・システムかな?)
「んじゃあ、地下街のメインゲートの一階広場に、モニュメントみたいに配置しちゃうか?」
ラルフは閃いた。
スズが「ダンジョン・コアはどうするの?」と尋ねると、ラルフはにやりと笑う。
「それも、モニュメントの一部にしてみるか?」
「盗まれない?」
「ロートシュタインの治安の良さを信じろって!」
そう言って、四人は協力してガーゴイル像を持ち上げ、ダンジョン・コアの上に載せた。海竜ア・ベイラの体内から取り出された魔石。それをダンジョン・コアとして流用したことで、魔石は常に青白い光を薄っすらと放ち続けている。その上に、腰掛けるような形で配置された、本物の悪魔を宿したガーゴイル像。ラルフには、前世で見たロダンの『考える人』を連想させるようなポーズに見えた。
「あれ? なんか、いい感じですね?」
ヴィヴィアンの純粋な声が、場の空気を和らげる。
「なんか、いい感じだな!」
ラルフも同意した。
「いい感じだと思う! こういうのって、待ち合わせスポットになる!」
スズは、渋谷のハチ公像を連想し、適当にそう言った。
「いい感じじゃないか。これが地下広場のど真ん中にあるんだろう? なんか、いい感じだな」
ファウスティン公爵も、その言葉に頷いた。
この場にいる全員が、「いい感じ」という、不思議なほどふんわりとした言葉でこの話をまとめ上げた。そろそろ居酒屋に移動してメシを食うか、酒を飲みたい頃合いになってきていたからだ。
その石像に封印された悪魔は、
(なんだコイツら?!)
と思わざるを得ない。しかし、人間ごとき、百年も生きはしない。この封印も、いつかは朽ち果てる。そうなったら、地獄に帰り再起を図ってやる。どうせこの場にいる人間たちは、せいぜい数十年しか生きられない。ならば、こいつらの子孫たちに、本当の地獄を見せてやることで、溜飲を下げてやろう……。
そんなことを企んでいた、はずだった……。




