191.欲望
なぜか、ファウスティン・ド・ノアレイン公爵が、ロートシュタイン領にくっついて来てしまった。
ラルフの乗ってきた魔導車に興味を持ち、「便利そうなので一台欲しい」と、直接ロートシュタインのジョン・ポール商会から買い付けたいとのことだった。ラルフの目には、ファウスティンが新しい玩具を見つけた子どものように見えた。まあ、銃やら車やら、男をいつだって少年に戻してしまう魔力を秘めているものだ。
ロートシュタイン領、居酒屋領主館に到着したのは、ちょうど夕刻。今まさにオープンの時間だった。
「今日はとりあえず、うちに泊まってください。明日、魔導車のディーラーにお連れしますよ」
ギアをニュートラルに入れ、ラルフは魔導車を前庭に乗り付けた。助手席に座るファウスティンは、居酒屋の開店を待つ行列をフロントガラス越しに見つめている。そして、
「あれがラルフの経営する酒場か……。どれ、俺も一杯やるとするか……」
そう言って、勝手にドアを開け、車を降りて行列に並ぼうとする。
「ちょっと、ちょっと! ファウストさん! 裏口から案内しますからッ!」
ラルフは焦った。どうにもこうにも、この公爵は勝手が過ぎるというか、空気が読めないというか、人の気遣いを汲み取ってくれない節があるように思えた。ノアルディア領からここまでの道すがら、様々な話をしてみた結果、ラルフはこの公爵の難ある性格をなんとなく理解した。
ラルフとファウスティンが裏口を潜ると、厨房ではエリカが巨大な寸胴鍋をクルクルと撹拌していた。こちらに気づき、エリカはファウスティンを見て尋ねる。
「おかえり……。なに? お客さん?」
「ああ。お疲れ。こちらはファウスティン・ド・ノアレイン公爵閣下だ」
ラルフの言葉に、エリカは一瞬、驚きに目を見張る。だが、すぐに完璧な淑女の顔に戻った。
「ふんっ! アンタのことだから、連れ帰ってくる気がしてたわよ! ノアレイン公爵閣下……恐れながら、火にかけた鍋を離れられず、最上の礼を欠きますこと、どうかお許しくださいませ。このような折に閣下とお目にかかれましたこと、まことに光栄に存じます。私は、家名を持たぬ……ただのエリカと申します。些末な身なれど、このご縁を心より嬉しく思っております」
ラルフは、ちゃんとご令嬢のようでいて、妥協を許さぬカレー職人として百点満点な挨拶をしたエリカに、目を丸くした。
いつの間にかファウスティンは、エリカの隣に立ち、寸胴鍋の中を覗き込んでいた。
「ヤバイほど良い香りだな……。"シメ"に大盛りで食わせてくれ。……あー、カツ丼の“カシラ”との“あいがけ”にしようかな……」
ファウスティンが呟いた瞬間、
エリカはキラリンッ!と目を輝かせた。カレー布教活動がライフワークである彼女は、この公爵もまた、同じ穴の狢であると察したようだ。
(し、シメって言ったか?! それに、か、カツ丼の、カシラって……?!)
ラルフは内心、パニックだ。ファウスティンは、いつの間にかカウンター席にドカリと座っていた。そして、注文を取りに来たハルに対して、澱みなく注文する。
「あー。まずはビールと、タコワサとぉ、冷やしトマト……。あと、このフライドチキンって、部位選べる? ……あ、選べるの? 親切だなぁ。なら、サイとキールの二ピースもらえる? とりあえずそれで……」
その言葉を聞いたラルフは、心の中で叫んだ。
(絶対に転生者だろうぉぉぉぉ!)
あまりに手慣れている。手慣れ過ぎている。しかし、そうであれば、このような異世界料理を発明したとされるラルフの正体も、ファウスティンは見抜いているはずだ。なのに、彼は飄々とした態度で、まるで当然のことのようにこのメニューを受け入れ、ラルフに対して何も言わない。それは、ファウスティンの人生の先達として、そして貴族としての一枚上手な部分だった。ラルフのように、コロコロとあからさまな表情を見せていては、貴族社会ではやっていけない。
「あ、あのぅ、……ファウスティン・ド・ノアレイン公爵閣下……、もし。もし、よろしければ、サインして下さい!!」
スズが、ファウスティンをモデルに書かれた『夜の公爵は悪魔を憐れむ』の第一巻を、震える手で差し出した。
「いいよ」
ファウスティンは、気だるげに快く引き受ける。スズは目を見開き、頬を紅潮させていた。
確かに、ファウスティン公爵はイケメンだ。
三十を少し過ぎた年齢のはずだが、少しだけ白髪交じりの黒髪は、なんだか大人の色気すら感じる。そして、顔色が悪いと評されることが多いようだが、その白い肌は神秘性を感じさせなくもない。黒いローブを羽織っているが、案外がっしりとした体躯。それはそうだろう、悪魔を殴り倒すような、フィジカル重視の退魔師なのだから。
客たちに交じり、他の貴族たちも、ファウスティンがこの場にいることを少し驚いたように、その姿を遠巻きに見ていた。すると、かなり酔っ払った、厄介なエルフ、ミュリエルが近づいてきた。
「あんたがぁ、“黒の公爵”であんろ? 悪魔持ってきたん?! サブナード? だっけ? それを造るための生贄になる悪魔さぁ持ってきたんろ?!」
ミュリエルに絡まれたファウスティンを見て、ラルフは(あっちゃー!)と額を撫でた。しかし、ファウスティン公爵は、気にもとめず、カウンターに小瓶を置いた。
「これだ……」
それは、下級悪魔が封印されている呪物に他ならない。しかし、それを、客たちは興味津々に見物しにくる。
「へぇー。これが、悪魔なの? こんな小っちゃいのが?」
とエリカが言う。
「うむ……、悪魔というからには、もっと強大かと思ったがなぁ」
カーライル騎士爵が、なんだか残念そうに言う。そして、その小瓶を覗き込む、リザードマンの若い戦士三人組。
「悪魔……。生で食えるのか?」
「バカ! お前バカ……。生だと腹壊すかも、油で揚げたら、なんでも美味い!」
一方、吟遊詩人のソニアは、別の視点からこの悪魔の利点を妄想していた。
(真夜中のクロスロードで、悪魔と取引すれば、類まれなる音楽の才能が手に入ると聞いた!)
と、謎の伝承を持ち出し、欲望満載の物欲しそうな目を向ける。
人々は、欲望に満ちた目で、悪魔の封印された小瓶を見つめる。
これがあれば、ロートシュタイン領のオーバーツーリズムは解消される。
これがあれば、もっと客が来る。
これがあれば、渋滞が緩和されて、ウチの店がもっと儲かる。
私と取引して、もっと音楽の才能を……!!
これがあれば、ロートシュタインはもっと発展して、金が稼げる。
悪魔って、食べられるのかなぁ?
一匹の、名もなき下級悪魔に、際限のない欲望を宿し、見下ろすロートシュタインの人々の目は。それは、果たして、どちらが悪魔なのかわからないほどだった。
封印された瓶の中、下級悪魔はただ、震えるしかなかった。
(なに……? ここ……?)
と。
一方。ファウスティン・ド・ノアレイン公爵は、ビールをグビリと飲みながら、
(人の欲望は、悪魔より恐ろしいものだな……)
と、注文したフライドチキンを待ちわびるのだった。




