190.悪魔の取引
ファウスティン・ド・ノアレイン公爵が趣味として営む雑貨屋。その地下には、人知れず秘密の部屋が存在していた。ここにファウスティン以外の人間が招待されるのは極めて稀なことだという……。しかし、そこに立ち入ることを許されたラルフ・ドーソン公爵は、この先輩領主から、ある程度の信頼を得たのだろうとそう思うことにした。単に、賄賂が効果を発揮しただけなのだが……。しかし、それも貴族間の不文律、裏側の礼節でもある。それが現実だ。
(まあ、そういう類の本音と建前を清々しいほどにさっぱりと割り切っているファウスティン公爵は、非常に付き合いやすい貴族だ)
それが、ファウスティンに対するラルフの評価だった。
地下室には、地上とは違う、禍々しく、同時に神聖とすら感じる異様な空気が漂っていた。まるで、そこは美術館の展示室のようだ。しかし、飾られているのは、麗しい裸婦像や華やかな絵画ではない。明らかに、ヤバイ物ばかりだった。
「ようこそ。我が深淵へ、ラルフ・ドーソン公爵……」
ファウスティンは、わざと仰々しい態度でラルフを迎え入れた。
「これはこれは……。また、ヤバそうなモノばかりですなぁ……」
ラルフは展示品の数々を眺めながら、その危険性を魔導士として的確に察知できた。決して、不用意に触れて良いモノはなさそうだ。
「この壺を、見てみろ」
ファウスティンは、小さな手のひらに載るような壺を見下ろす。
「それは?」
ラルフもそれを見る。まるで、子供が粘土を捏ねて作ったような、拙い陶器の壺だ。
「これは、"笑い壺"……。とある豪商が、繁栄と引き換えに呪術師に作らせた。特級呪物だ……」
「と、特級呪物……」
ラルフは、思わず後ろに下がる。しかし、笑い壺とはどういうことだろう? と首を傾げたが、よく見れば、確かに壺の表面の歪んだ皺が作り出す影は、笑っている赤子のようにも見えた。
「何十人もの命を奪ってきた、正真正銘の特級呪物……。まあ、その商家は、最期には欲をかきすぎて、全員が呪い殺されちまったがね……。で、あそこにあるのが……」
ファウスティンは、まるで学芸員のように、そのヤバイ展示物の案内をはじめてしまった。書類仕事の時とは打って変わって、なぜか活き活きと嬉しそうだ。
ラルフは、内心で(こりゃぁ、ヤベェとこに来ちまったのではないか? というか、この公爵もキャラ濃過ぎね?!)と、今さらながら後悔の念が湧いてきた。
まるで、知らないヲタサーに紛れ込んでしまい、そこの"重鎮"に捕まってしまったような感覚だ。よりによって、マンツーマン。幸いなのは、ファウスティン公爵の語り口が非常に軽快で巧妙だったことだ。それぞれの呪物や悪魔が封印された小瓶に関するバックグラウンドや物語性は、ラルフも興味をそそられるものだった。(えっ? 怪談師ですか?)と、さえ思った。
「これは、"フェルマドゥス"という上級悪魔を封印してある瓶だ。……かつて、東大陸のサルマ国で猛威を振るった疫病と圧政はコイツが原因だ。……国王に憑依し、人々を混乱に陥れた」
ラルフは、その小瓶を覗く。中身は、グルグルと闇が渦巻き、時折、紫色の眼玉のような物や、苦悶に歪む口のような模様が形作られる。まるで悪趣味なスノードームだ。
その小瓶の中の景色は、見間違いか、目の錯覚かもしれないが、思わずラルフは、
「うわ~、やだなぁ~。変だなぁ~。怖いなぁ~。怖いなぁ~。ナンマイダブ、ナンマイダブ……」
と、雰囲気につられてか、大御所怪談師のような口調になってしまっていた。
「ああ。すまないな。ラルフ・ドーソン公爵……。つい、話し過ぎてしまったようだ……」
(うん……。多分、二時間くらい話してたな……)
と、ラルフは心の中だけでツッコミを入れておいた。
「いえいえ……。ファウスティン・ド・ノアレイン公の博識ぶりに、ただただ舌を巻くばかりで、……若輩者の僕にとっては……」
ラルフが言いかけた時だった。
「ファウスト……と、……そう呼び給え。ラルフ君……君にはそれを許そう。親しき者たちは、俺を、ファウストと呼ぶ……」
突然、変なことを言い出したファウスティン公爵を、ラルフは目を見開いて見つめる。
(おんやぁ〜。謎に、急に距離を縮めて来だぞぉ?)
と、十歳年上の先輩領主に対して、変な警戒心が湧いてきてしまった。
しかし、ファウスト?
ラルフの脳裏に、前世の記憶が巡る。
悪魔メフィストフェレスと契約した博士の名前と一緒だ――。
ファウスティンの略だと言えばそれまでだが、いや、それにしても……。
手土産として持参した、退魔師専用の、水平二連散弾銃の使い方を、なぜか……知っていた? それを扱う手つきは、淀みがなかった気がする。
もしかしたら……。いや、これは、まさか!
(この公爵も、転生者じゃね?)
ラルフの脳裏に確信めいた妄想が浮かぶ。しかし、なぜかラルフは、それを確認する勇気がなかった。自分と同じように、こちらの現世を楽しんでいる人物なのではないか? という気がしたからだ。それに、もう一人の転生者のスズもロートシュタインにいることだし(すでにスズはファウスティン・ド・ノアレイン公爵のファン)。もしかしたら、頃合いを見て、その種明かしをしてみるのもいいかもしれない。ラルフはそう思った。
「……まあ、ちょっと。話は尽きませんが……。とにかく。ダンジョン・マスターに仕立て上げる悪魔が欲しいんすよぉ……。なんか、オススメ、あります?」
ラルフも、いつの間にか言葉遣いが砕けていた。
「じゃあ、これはどうだ? かつて、一国を滅ぼした大悪魔、"グレボス"だ……」
その小瓶はさらに禍々しく、明らかに呪術師としての才のないラルフであっても、手に余るヤベェ物だとわかった。
「もっと、普通のヤツが欲しいっす! 普通のヤツ!!」
「むっ? そうか? ……じゃあ。昨夜捕まえた悪魔でいいか?」
「それでいいっす!」
なんやかんや、目的は達成できそうだが、それ以上に厄介な先輩領主との縁を結んでしまったのではないか? と、ラルフは不安になってしまった。




