184.濃い血
「はァ〜?! 山岳地帯を爆裂魔法で吹っ飛ばして、観光地開発していいかだってェ。バカ言ってんじゃないわよ! ラルフちゃ〜ん」
その声は、王都の王国地理院、重厚な石造りの部屋に響き渡った。声の主は、院長官のモニカ・ジェンキンズ。四十を優に超えても、その美貌は衰えを知らない。切れ長の瞳は鋭い光を宿し、青みがかった長い髪は、意志の強さを物語るように後ろで一つに束ねられている。引き締まった体は、騎士にも劣らない凛とした美しさを放っていた。
ラルフは、まるで裁判所の被告人席で判決を待つ罪人のように、青ざめた顔で座っていた。しかし、言うべきことは言わなければならない。
「はっ、はい……。そ、その……、ロートシュタインの街中が、人で溢れかえってまして……。新しい動線を確保して、観光客を分散できればと……」
「却下よ! 却下ァ! だいたい、こちらに話を通さず勝手に大穴あけて湖作っといて、あそこの測量だってまだ終わってないのよ〜!」
モニカの声が一段と大きくなる。ラルフは怯みつつも、必死に反論を試みた。
「あっ、あの、でも! あの時は国王陛下が現場にいたわけで! 国土地理院は行政機関ですよね?! なら、実質そのトップがいたという……」
モニカの射抜くような視線を受けて、ラルフの言葉は、まるで朝靄のように霧散していった。
「ラルフちゃ〜ん? あなたも領主やってるならわかるわよねェ? 名目上は国王陛下がトップだけど、実務上のトップは、わ・た・し!」
そう言って、モニカは妖艶な笑みを浮かべる。その言葉には、有無を言わせぬ支配者の響きがあった。
「はっ、はい。その節は、すみませんでした……。でも、でも、オーバーツーリズムを、どげんかせんといかんのです!!!」
ラルフは両拳を握りしめ、必死の懇願を叫んだ。
「まったく……。ラルフちゃんは昔からわけのわからないことを言い出すし、すぐに魔法をぶっ放す。……何でもかんでも、ぶっ放すだけが、イイ男の甲斐性じゃないのよ?」
モニカは艶めかしい瞳で言い放つ。その場の空気が一瞬で凍りついた。隣に並ぶ書記官や臣下たちは、眉をひそめてモニカを見た。
「あ、あの……、その、伯母様、そういう言い方は、ちょっと……」
「伯母様って呼ぶんじゃありません! 何度も言ってるでしょう?! モニカお姉様と呼びなさい!」
ラルフが伯母様と呼んだのは、もちろん言い間違いではなかった。モニカ・ジェンキンズは、ラルフの母親の姉、つまり正真正銘の伯母なのだ。ジェンキンズ男爵の妻である彼女は、夫の仕事を手伝ううちに実務上の手腕を発揮し、いつの間にか夫を差し置いてこの地位に収まっていた。
「も、モニカお姉様……。どうか、どうか、ご再考をお願いしたく……」
ラルフは観念したように頭を下げた。傍聴席に座るエリカ、国王、メイドのアンナは、普段の傲岸不遜なラルフからは想像もつかないその姿に、内心愉快な気分になっていたが、努めて無表情を保っていた。
「だーめ! ラルフちゃん、マルデスト山に大穴を空けた時に、約束したでしょ? 勝手に魔法を使っちゃ、メッ、て!」
「あっ、あれは親父に騙されたんだよー! 行商人たちが峠道を越えるのが大変だからって……。あのクソ親父が! 当時五歳の僕に責任を押し付けたんだって! 『なにぶん、子供のイタズラでして』って!!」
ラルフの抗議が、部屋にこだまする。彼の憤懣は堰を切ったように溢れ出した。
「そんな記録はないわね……。なのに、その後も、言う事聞かずに、エバレスト家の邸宅を粉々に破壊するしィ」
モニカは書類をめくりながら答える。
「ああああ! あれは、母さんが!『あそこは悪者たちの隠れ家なのよ。だから、思いっきりやっちゃいなさい!』って言われたんだよぉぉぉぉぉ! だって当時、僕、九歳だよ?! 後で知ったんだから! あそこがお祖母様の別荘だったって! なんか、イザコザがあったらしいけど、嫁姑問題に子供使うの、おかしくない?!!!」
ラルフの叫びが、悲痛な響きを帯びていく。
「そんな記録もないわねぇ……。それにィ、ラルフちゃん、王都の学園に通ってた時も、商家を一つ潰してるわよねェ?」
「……ああ、あれは、ミハエル王子がハニートラップに引っかかりまして、厄介な連中だったんで、僕が……」
言いかけた時、モニカは凄まじい反射神経で言葉を遮った。
「はいぃ、書記官の皆さん。今の記録は破棄してね。いつもどおり……」
「はっ」
書記官の男は、手元に書き連ねていた書類を何の躊躇もなくビリビリと破いた。
「いやっ! 特権階級パワー凄くない?! 明らかな隠蔽じゃん?! 何?! いつもどおりって?!!」
ラルフは思わず叫んだ。モニカは長官の席を立ち、ツカツカとラルフに歩み寄る。そして、ガシッ!と、その長い指先でラルフの顎を持ち上げた。ラルフはダラダラと冷や汗を流す。
「いい? ラルフちゃーん? もうこれ以上、私のお仕事増やさないで……。それと……約束のブツ、持ってきたのかしら?」
モニカの瞳には、冷たい狂気が宿っていた。
ラルフは、ガタガタと震える手に無理やり力を込め、マジック・バッグからセスの家が造っているサトウキビを原料とした、ラム酒のボトルを差し出した。
モニカは何も言わずにそれを受け取る。そして、書記官たちを含めて、ぞろぞろと退席していった。
交渉は、成功なのか失敗なのか、よくわからない形で幕を閉じた。
暮れなずむ王都の通りを、国王とエリカ、そしてアンナと歩く。
「なんか……。あんたの親族……、濃すぎない?」
エリカが率直な感想を述べる。ラルフは溜め息しか出なかった。
アンナは、無表情のまま呑気に言った。
「伯母様、元気そうでよかったですね?」
その言葉に、ラルフは心底疲労困憊した様子で答える。
「もー、やだ。ホントに、あの人やだ……」
国王ウラデュウスは、困惑した表情で尋ねた。
「しかし、どうするのだ? 再開発はできないのだろう?」
「いや! 国王様が命令すればいいじゃん?! なんで、謎の忖度してんのよ? ウチの伯母様に?!!」
「いや、それは……あの、モニカ女史に、命令できると?」
国王陛下は気まずそうに目を逸らした。無理もない、と皆が思った。あの強烈な個性には、誰も逆らえない。
「じゃあ、どうすんのよ? 今やロートシュタインは人がパンパンよ? 稼げるのはいいけど、動けないんじゃ機会損失も多いのよね」
カレーパン屋を営むエリカは、現場を見ている経営者としての鋭い懸念を口にした。
「はぁ……。つまり、地形を変えずに、何とかしろってことか……」
ラルフの頭に、ただ一つの解決策が浮かんだ。それは、ある一人の少女の顔だった。散々、いじめてしまったことへの後悔が、潮のように湧き上がってくるのを感じながら、彼は王都の空を見上げた。




