180.ブンタと助六
念のため、ラルフは水上都市の離宮に滞在中の国王様と宰相閣下に、諸々の事情を説明してみた。
その反応は、凄まじく、……とにかく凄い顔をされた。
また小一時間ほどのお説教がはじまるのではないか? と、ラルフはしどろもどろで、言葉を選びながら説明を続けた。
何せ、ダンジョン由来のゴブリンが、労働力になる可能性があるという、衝撃の事実だ。
もし、それを広く活用しようとすれば、社会の産業構造や、それどころか、労働者のあり方、そして、人々の営みそのものを大きく転換しなければならない可能性すら秘めている。それは、これまでの社会制度・価値観・経済システム、そのすべてを根底からぶち壊す事態に他ならない。
食糧生産、製造業、物流、医療、サービス業まで、ダンジョン産のゴブリンで代替できれば、人間の労働力は必要なくなる。そうなれば、「労働によって所得を得る」という、この世界の基本構造が崩壊する。人々が働かなくても生活できる社会を構築するとなると、ベーシックインカムのような仕組みか、あるいは全く新しい再分配システムが必要になる。
前世の記憶を宿すラルフにとっても、それは未知の世界線だった。
究極的共産主義の実現とも言えるのかもしれない。しかし、マルクス的なイデオロギーの延長線上にある世界ともまた違う気がする。それは、ポスト労働主義、あるいはポスト労働社会とも言えるだろう。
それは人々にとっては、ある種の理想郷とも言える。
しかし、だ!
(それをやってしまっていいのか?! せっかく転生したこのファンタジー異世界で?!!)
ラルフは、その虚しさを感じずにはいられなかった。そんな無機質な世界に、意味はあるのだろうか?
国王様と宰相閣下は、もっと単純に、急激すぎる階級制度の破壊の先に、必ず訪れるであろう混乱と反乱を予想していた。彼らの政治家としての経験が、そう警告していたのだ。
なので、至極シンプルな結論が出た。
それは、
無し! 無かったことにする! その事実も隠蔽する!
と。まあ、当然だろう。
ダンジョン・マスターの鈴が生成し連れてきたゴブリンに関しては、とりあえず、「 珍しくテイムできた希少なサンプル個体」という嘘をでっち上げた。そして、しばらく様子を見る意味でも、居酒屋領主館の皿洗い係をさせてみることになった。
テイマーのヴィヴィアン・カスターにも、意見を求めた。
「ゴブリンをテイムした実例は、ないことはない……。しかし、そもそも躾ができるほどの知能が高い魔導生物ではないのだが……、そのはずなのだが、……喋れるの?」
彼女は驚きに目を見開いた。
「どうも。はじめまして。ゴブリンです……。こうして、喋れます」
当該のゴブリンが、まるで優雅な紳士のように、美渋ボイスで挨拶をしたのを、ヴィヴィアンは気味悪そうにしていた。
ラルフは、ゴブリンが領主館の中でウロウロしているのは外聞が良くないと考え、従業員用の作務衣と、頭に巻くためのバンダナを与えた。彼は、その変身ぶりに、率直な感想を述べる。
「おー! なんか……。ちょっと顔色の悪い、そういう種族の人なのかなぁ、って感じ?」
その言葉に、ヴィヴィアンは真剣な顔で言った。
「一応、従魔登録証を首から提げた方がいいですね……」
彼女は、テイマー協会認定の識別証をチェーンに通して、ゴブリンの首から提げさせた。
すると、なぜかその様子を見ていたクレア王妃が、面白がって駆け寄ってくる。
「これ! いつだったか、夜市で買ったんだけど! あなたに似合いそうだから、あげるわ!」
そう言って、銀色のイヤーカフをゴブリン特有の長くて緑色の耳に着けてくれた。
「皆さん、ありがとうございます」
ゴブリンは、無機質ながらお礼を言った。
……なんだか、ゴブリンというより、お洒落なアメコミのヒーローにいそうな感じになってしまった。というのが、ラルフの感想だ。銀色の首から提げたチェーンと銀色のイヤーカフも、コーディネートとしては妙に魅力的だし、作務衣も異国情緒を感じなくもない。
ラルフは、ダンジョン・マスターの少女に問いかけた。
「あの、そういえば、こいつ、名前、なに?」
「豆腐屋やらせる予定なんでしょ? なら……、拓海ね」
と返した。いや、それは、なんかまずい。ラルフは、焦って別の名前を提案した。
「……ゴブタ?」
「それはそれで、まずいでしょう?」
スズに言われてしまい、ラルフは言葉に詰まる。なので、間をとって、「ブンタ」という名前になった。その様子を一部始終見ていたメイドのアンナは、
(間とは?)と疑問に思ったが、何も言わなかった。
兎にも角にも、その日から居酒屋領主館の一員に、ゴブリンのブンタが加わった。彼は(彼女は?)まだ生成されたばかりの魔導生物なので、これからの教育次第では、どのような性格にもなり得るという。
「ということで! こいつはブンタだ! 世間知らずだが、良い奴……、だと思う! これから皆で色々と教えてやってくれ!」
ラルフは、居酒屋の従業員である孤児たちやメイドたちにそう宣言した。
「はーい!」
「かしこまりました……」
孤児たちは面白そうに快く引き受けてくれたが、メイドたちは何か解せないような表情をしていた。ラルフは気にしない。魔獣の教育係という面倒事を、華麗に負荷分散することに成功したのだった。
子供たちは、よくブンタの世話をしてくれた。仕事中も、「大丈夫? 疲れてない?」や、「何かわからないことない?」など、気遣いの声をかけてくれる。ここにいる孤児たちは、ある意味でコミュ力モンスターだ。何せ、日々の業務で荒くれ者の冒険者だけでなく、王族や諸外国の重鎮たちを相手に接客をしているのだ。ゴブリンの従業員が一匹増えたところで、あまり気にしない。というか、むしろ面白がっている節すらある。まあ、ロートシュタインの気風に当てられて、伸び伸びと逞しく育っている証拠かもしれない。と、ラルフは色々諦めた。
来客のピークを過ぎ、孤児たちと共にブンタにも賄いを食べさせた時は、思わずラルフも笑ってしまった。
今夜の賄いは、助六寿司だ。
つまり、いなり寿司と巻き寿司のセット。手掴みで巻き寿司を口に放り込んだブンタは、目を見開いて、初めての美食に驚愕したようだ。
その隣に座るエリカはというと、
「これ、何? 黒い紙? これ、はぎ取って食べればいいの?」
巻き寿司の海苔に戸惑っている。
「いや、それは海藻を乾燥させたものだから、そのまま食べられる」
ラルフが伝えると、エリカは半信半疑、端っこをかじってみた。
海苔作りも、割と大変だった。何せ、この世界の人々にとっては未知の食材。その概念や、用途さえも未知だったのだ。それをラルフの前世の記憶から、海のプロフェッショナルである漁師たちにどうにかこうにか伝えても、彼らはちんぷんかんぷんな様子だった。しかし、ある漁師の奥さんが、
「あー。つまり、海藻の干物を作りたいんですか?」
と、まるでその食材の本質に立ち還るかのような、鋭い言語化能力を発揮してくれた。
さらには、干し昆布作りも始まり、ロートシュタインを中心に出汁の概念が広まりつつある中で、諸外国から来た観光客の土産物として大いに受けた。
漁師の奥様方を中心とした事業に発展し、商業ギルドのバルドルはその忙しさから、遂に失踪するという騒ぎを起こし、怒りが頂点に達した商業ギルドの職員たちが安全帽とゲバ棒で武装し、領主館に突入してくるという事態にまで発展した。
またも、「ロートシュタイン海苔騒動」という、不可解で不名誉な名称が、王国史に刻まれてしまったのだった。
はじめて活動報告を書かせて頂きました。




