175.誰も知らない
ゼェ……ゼェ……ゼェ、と、ダンジョン・マスターの少女は荒い息を吐き続けていた。先ほどの激昂は鳴りを潜め、武装は解かれ、髪型も元の漆黒のショートボブに戻っている。その姿は、まるで嵐が去った後の静寂を宿していた。
「そういえば。お前、名前は?」
ラルフは、今更ながらに尋ねた。その言葉は、奇妙なほどに場に馴染んでいる。
「……大森……鈴」
少女は、途切れ途切れに自分の名を告げた。
「じゃあ、スズちゃん!」
ラルフは、躊躇いなくその名を呼びかけた。
「気安く呼ぶなぁ!!」
キャンキャンと、まるで仔犬のように吠える鈴の姿は、ラルフの脳裏に一人の少女を彷彿とさせた。それは、ロートシュタインの名物娘。カレーをこよなく愛し、スパイス・クイーンの異名を持つエリカの姿だ。
(ちょっと、キャラ……被ってるかも?)
ラルフは、一瞬そんなことを思った。だが、片や黒髪ショートボブ、片や金髪ドリルツインテール。見た目はかなり違う。それに、ダンジョン・マスターである彼女は、極度の引きこもりらしく、誰とも会わずとも寂しいとは感じないし、ダンジョンの最奥でひたすら趣味全開のゴーレム、いや、ロボットを生成して過ごしていれば、それだけで幸せだという。
あまり健全健康とは言えないが、彼女は人間ではないという。ダンジョン・マスターという存在が亜神であるならば、それは当てはまらないだろう。
無理に連れ出すつもりもラルフにはないので、恐らくスズとエリカが顔を合わせる機会はないだろう。
そう思っていた……。
「じゃあ、僕たちは帰るから、後の事は任せろ。絶対に悪いようにはしないから」
ラルフは、事後処理を約束するように告げた。
「絶対だぞ! 約束だぞ! もし裏切ったら、スタンピードを起こしてあなたの領を滅茶苦茶にしてやる! たとえこの身が滅びようとも、自立式機械兵団を解き放ち、殺戮の限りを尽くしてやるんだから!!」
鈴は、先ほどのラルフの悪戯を相当根に持っているらしく、物騒な言葉を捲し立てた。その眼差しは、真剣そのものだ。
「わかったわかった。こちとら王族とも仲良しだから、上手いことやっといてやるよ」
ラルフは、軽く手をヒラヒラさせて答えた。その余裕は、彼女の脅しをどこ吹く風と受け流すかのようだ。
「絶対だぞ! そしたら、こちらもなるべく冒険者たちを死なせないように、配慮はする」
鈴は、まだ半信半疑といった表情で念を押す。
「そりゃあありがたい……。あー! あと、ドロップ品に銃火器はやめてくれよな。ちょっと思うところがあってな。この世界に普及させたくないんだ」
ラルフは、唐突に要望を出した。その言葉には、彼なりの強い意志が込められている。
「いいけど……。でも。いつかは誰かが開発すると思うけどな……」
鈴は、わずかに首を傾げながら答えた。その通りだろう、とラルフも内心では理解していた。
「それならそれで仕方がない。……けど、不自然な形での技術革新は望まないんだ。すまんが、これは僕の気持ちの問題なんだ……」
ラルフが言う「不自然な形」とは、彼ら前世の技術を、この世界に意図的に持ち込むことだった。もし、この世界の人間たちが自力で技術を発達させ、それらを生み出すならば仕方がない。
それはある意味で、ラルフのわがままとも言えた。しかし、彼にとっては譲れない一線なのだろう。
「わかった。ドロップ品から外しておく。……じゃあ、転移陣で第一階層まで送る」
鈴は、あっさりと承諾した。その素直さに、ラルフは思わず拍子抜けする。
「おう! 悪ぃな! よっしゃ! 今度こそ帰ろ帰ろ。……じゃあな! スズちゃん!」
ラルフは、皆を促すように告げた。そして、調査隊一行は、再び眩い光に包まれた。
ダンジョンから出ると、岩島は、いよいよ祭りの様相を呈していた。たった数日前まで、岩と海鳥しか見るもののない荒涼とした島だったはずが、今や人々が押し寄せ、屋台まで立ち並んでいる。その変貌ぶりに、ラルフ達は目を丸くした。
多くの上陸者は、巨大な釣竿を担ぎ、船でやってきた魚好きの貴族や冒険者たちだ。彼らは、思い思いの磯に陣取り、釣り糸を垂らしている。
その中に、ラルフ達はある人物を見つけた。それは、とてつもなく好都合な人物、国王様だ。
彼は、巨大な糸巻きのついた釣竿を握りしめ、再び大物を狙っている。ラルフ達がダンジョンに潜っている数日間、ずっとそうしていたのか、随分と日焼けをしていた。そして、ドワーフの鍛冶師が使うようなゴーグルをどこからか仕入れたようで、それをサングラス代わりにかけ、真剣な顔で海を見つめている。
なんだか呆れてしまうが、とりあえず声をかけることにした。
「ただいま戻りましたぜぇ、ヴラドおじ!」
ラルフは、親しげに声をかけながら磯を降りていく。
「むっ! 意外に早かったな。で、どうだった?」
国王は、釣竿から目を離さずに問いかけた。
「良いニュースと、悪いニュース、どちらから聞きたい?」
ラルフは、いたずらっぽく尋ねた。
「どっちでもいいわい! どうせ、お前のことだ。また厄介事と面白い事を同時に連れてくるのはわかっておる。もう諦めておるわ!」
国王の言葉には、ラルフと関わってきた時間による諦念と、どこか深い信頼が滲んでいた。
ヒューズとも相談し、冒険者ギルドの幹部と、国王様、そしてラルフをはじめとした調査隊のメンバー、馴染みの貴族たちで、今後の事を領主館の執務室で話し合うことにした。さすがに、居酒屋でやるわけにはいかない話だ。ダンジョンの最奥で出会った少女。その厄介な存在を、特権階級パワーでもって秘匿する約束をしてしまったのだから。
その日付けで、ヒューズはギルマス代行から、正式に冒険者ギルドのギルドマスターへと昇進することが決まった。
元々、冒険者達からの信頼も厚く、反対する人間は一人もいなかった。
そして、この新発見の岩島ダンジョンは、ついに開放されることになった。
しかし、蓋を開けてみれば、「推奨レベルが高い癖にあまり実入りが良くないダンジョン」という評判が多くを占めた。
ただ、第一階層の白亜の回廊と、第四階層の大瀑布は、「一見の価値あり」と、一種の観光資源になったのは言うまでもない。その神秘的な光景は、人々の好奇心を刺激した。
そして、岩島は徐々に、釣り人の聖地として民間主導で開発が進められていった。ただ、国王様が足繁く通う場所なのに、完全に民間主導というのも、ちょっと怪しいものだが……。
とある商魂たくましい船屋が、木材をせっせと運び、"釣り人小屋"という小さな宿屋まで建ててからは、さらに観光地化が加速した。
魔導浄水装置が設置され、真水が湧いていないという問題も解決されたことで、滞在する者も増えていった。
またある日、とある冒険者が、岩島ダンジョンの第六階層で、"変形機構が施された巨大な赤い鎌"のような武器をドロップ品として手に入れた! と、居酒屋領主館の客席で自慢げに見せびらかした。それをカウンター越しに見たラルフは、「あちゃぁ……」と頭を抱えた。
確かに、銃火器としての機能はないようだが……。
しかし、なぜかその変形機構に謎のロマンを感じてしまった冒険者は後を絶たず、岩島へ向かう者が増えていった。
土が運搬され、防風林も植えられ、その島で暮らす者まで現れ始めた。
冒険者と釣り人で賑わう、岩島。
しかし、その地下奥深くには、重度の引きこもり少女が、今日もニヤニヤと、趣味全開のロボット作りに勤しんでいるのを、誰も知らない。




