174.ワールド・イズ・マイン
ラルフとの邂逅がよほど嬉しかったのか、ダンジョン・マスターの少女は、興奮冷めやらぬ様子で謎の談義を繰り広げている。言葉は激流のように、途切れることなく紡がれていく。
しかし、ラルフもまた、それに負けじと、時には畳みかけるように捲し立て、時には心に寄り添うかのような優しい声色で、彼女の言葉を受け止めていた。
調査隊の面々は、もはや目の前の光景にどう反応していいのか分からなくなり、呆れ果ててその場に座り込んだ。ラルフがマジックバッグから取り出してくれたホットドッグとビールを手に、彼ら自身の雑談を始める始末だ。二人の会話は、彼らの理解の範疇を遥かに超えていた。
しばらくすると、フィセはすぐ真横に、微かな気配を感じた。
「えっ? うわぁぁぁぁっ?!」
思わず、彼女は声を上げる。いつの間にか、恐るべきダンジョン・マスターが、すぐ目の前で、フィセの手元を覗き込んでいたのだ。その距離は、警戒を解けば触れられそうなほど近い。
「へぇ。ビールまであるんだ?」
少女は、感情の読めない声で呟く。その言葉は、奇妙なほどに場に馴染んでいた。
「お前も、ホットドッグ食べるか?」
ラルフが、いつもの調子で彼女に問いかけた。彼の口調は、まるで旧知の友に話しかけるかのようだ。
ダンジョン・マスターは、表情一つ変えずに答えた。
「食べる。マスタード抜きで……」
その言葉に、ヒューズは呆れたようにジト目でラルフを見やった。彼の顔には、(なにがなんだか……)という疲労の色が色濃く浮かんでいる。
「……やっと、話し合いは終わったんですか?」
「終わった終わった。みんな、食べながらで良いので聞いてくれ! 掻い摘んで、彼女の要望を伝えるぞ」
ラルフは、その場の指揮官のように、朗らかな声で宣言した。前世だとか転生者だとか、そういう込み入った事情は伏せて、ダンジョン・マスターである彼女の望みを皆に伝えることにした。
意外なことに、その望みは、想像していたほど難しいことではなかった。
一つ、冒険者に殺されるのは絶対に嫌だ。
一つ、ダンジョン・コアを破壊したり、持ち去ったりして欲しくない。
一つ、誰にも邪魔されず静かに暮らしたい。
それを聞いたヒューズは、ホットドッグを咀嚼する少女の顔を見ながら、難しい表情で言葉を挟んだ。
「しかし、ダンジョンの存在は明るみに出ちまったしなぁ……。それに、侵入禁止の処置というのも、色々と難しそうだし……」
少女は、もぐもぐとホットドッグを咀嚼している。その姿は、先ほどの圧倒的な存在感とは裏腹に、ごく普通の少女に見えた。
「いや。多分、大丈夫なんじゃないかな?」
ラルフは、自信ありげに言い放つ。
「どういうことです?」
ヒューズの問いに答える代わりに、ラルフはダンジョン・マスターに問いかけた。
「おいっ、ここって、ダンジョンの何階層目にあたる?」
少女は、ごくりとホットドッグを飲み込み、そして答えた。
「この最深部は、第千七百九十八階層目……」
その数字に、ヒューズは愕然とした。
「どうだ? ヒューズ?」
ラルフが勝ち誇ったように問いかける。
「はあぁ?! 千?! 無理無理……。Sランク冒険者となると分からんが……。普通の冒険者が到達できるわけがない!」
ヒューズは額に手を当て、心底参ったような表情を浮かべた。彼ら調査隊は、彼女の転移罠によって偶然にもここに辿り着けた、いや、誘い込まれたに過ぎない。この世界にいる冒険者たちが、自力で千を超える階層を踏破できるはずがない、と彼は悟ったのだ。
「とまあ、そういうことで。ダンジョンとして、ギルドに登録しても構わないか? 比較的浅い階層に限っては、冒険者達がウロウロすることになるが?」
ラルフが、少女の意向を伺うように尋ねる。
「でも……。Sランク冒険者となると、わからないんでしょ?」
ダンジョン・マスターは、不安そうに眉を下げた。その表情には、幼い少女のような純粋な心配が滲んでいた。
ヒューズは(いや、このダンジョン・マスターならS級冒険者でも倒せるんじゃね?)と心の中で思ったが、さすがに口には出さなかった。
「S級冒険者は、ギルドが常に動向を確認している。彼らがこのダンジョンに潜るってなったら、……そん時は個別に対応するさ!」
ラルフは、大言壮語ともとれる言葉を放った。
しかし、少女は小さく呟く。
「……でも……。弱っちい冒険者だと、死んじゃう人も出るよ?」
その言葉には、あきらかな、深い情け心が込められていた。
「まあ、それは冒険者の自己責任ってやつですよ。それが分かってない奴なんて、冒険者やってませんよ」
ヒューズは、冷徹に言い放った。だが、彼の思考は、このダンジョンに挑む者に対する推奨レベルは、かなり高ランクに設定した方がいいだろう、と既に次の段階に進んでいた。
「そういえば、こんなダンジョンの奥地にいて、食べる物とかどうしてたんだ?」
ラルフが、ふと疑問に思ったことを口にした。
「……私、お腹空かないから……」
少女の答えに、ラルフは呆れたようにホットドッグを指さす。彼女のホットドッグは、もう半分ほどになっていた。
「はっ? いや、食ってるじゃん」
「食べることはできる。味も美味しいってわかる。でも、食事を必要としない……」
少し寂しそうに少女は言った。その言葉は、彼女が持つ存在の特異性を改めて浮き彫りにした。
すると、ヴィヴィアン・カスターが、震える声で驚愕の仮説を口にした。
「ラルフ……。もしかしたら、その子、いや! そのお方は、……人間では、ないのでは?」
「た、確かに……。ダンジョン・マスター、なんだもんな? えっ、じゃあ、お前、何者? モンスター?」
ラルフは、流石にたじろいだ。彼の表情には、今更ながらの驚きが浮かんでいた。
「いや。ダンジョンという限られた空間ではあるが、それを生成し、管理する者。つまり、この小さな世界の、創造主……。“神”に近い存在なのでは?」
ヴィヴィアンは、再び超ド級の仮説を打ち立てた。
だが、そこにいる誰もが、その言葉に妙な納得をしてしまった。
空間や自然現象、そして造形物、さらには魔獣やモンスターを生み出す力。それは確かに、神と言われればしっくりきてしまう。
しかし、魔導研究者としてのラルフの目が、その瞬間、輝き出した。"ダンジョン生成技術"。その研究をしてみたい! このような形で、ダンジョン・マスターと巡り合ったからには、それが可能だ。ふと、そういえば! と閃く。
「あのさ……。ダンジョンの生成とか、管理って、どうやってる感じ? まさか、《ステータスオープン》とか、できるみたいな?」
「それに近いことはできる……。だけど、もっと直感的でいて、視覚的に生成できるように、これを作った」
そう言って彼女が持ち上げて見せたのは、ラルフにとっては、またしても懐かしい物体だった。
「おー! タブレットかぁ……。ちょっと触ってみても?」
ラルフの目が、子供のよう輝いた。
「どうぞ……。勝手に設定いじらないでね」
少女の忠告も聞かず、ラルフはそれを受け取ると、ポチポチ、時にはスワイプしながら、様々な管理画面や機能を探索してみる。その指の動きは、慣れたものだった。
ふと、その時、彼は面白い機能を見つけてしまった。ラルフの口が、ニタァ。と三日月のように歪む。その表情には、悪戯を企む者の影が宿っていた。
「おいおい……。キャラメイクができるじゃないかぁ〜」
「あっ?! それは、ダメぇぇぇぇ!」
少女が悲鳴のような声を上げ、ラルフに飛び掛かる。だが、彼女の動きは間に合わない。
「あ、ポチッとな!」
ラルフは、まるでゲームの選択肢を選ぶかのように、
[設定を変更しますか?]→[はい]を選択した。
すると、少女の頭部が眩く発光しだした。その光が収まると、少女の髪形が劇的に変わっていた。
青緑色の、ツインテールに……。
「ぎゃーハッハッハッハッハッハっ! あーハッハッハっ!! 腹痛ぇ、ハッハッハっ!! お前、勘弁してくれよ! あーハッハッハ!」
ラルフは、腹を抱えて笑い転げた。そこにいる誰もが、便利な魔法だなぁ、くらいにしか思わなかったが、ラルフは違ったらしい。涙を浮かべるほどツボに入ったようだ。
一方、少女は、顔を赤らめながら、泣きそうになるのをぐっと堪えている。その表情には、屈辱と怒りが入り混じっていた。
「お前、それ、あきらかに“アレ”じゃねーか?! ほら、歌ってみろ! なんか歌ってみろ!! ……あ、ただし! 著作権には配慮しろよ? わかるな? ……さんはい!」
ラルフは、まるで悪魔のように唆す。
「せ、千本ビットぉ、空に踊れぇ♪」
少女の声は、震えながらも、その歌を紡いだ。
「アッハッハッハッハッハッハッハー! お前、歌、下手くそだなぁ! なんだよそれ?! 音痴過ぎ! ハッハッハぁ!!!」
ラルフは狂ったように笑い続ける。その笑い声は、体育館の薄暗い空間に響き渡った。
しかし、少女は我慢の限界だった。ついに、ブチ切れたのだ。
「笑うなバカ!! 設定勝手に変えるなって言ったし?! なのに、なのに……なのに!! 私のもう一つのコンプレックスを……、よくもぉ! 殺す! やはりお前は殺す! ラルフ・ドーソン! お前を同志と思った私がバカだった! お前は、前世で私をイジメたあいつらと一緒だ! 塵すら残さず、死ね!!」
激昂する少女。その頭上には、再びリング状のデバイスが黄金色に輝き、浮かび上がる。そして、無数のビット兵器が嵐の中の木の葉のように、狂ったように舞い踊り始めた。空間が、緊張と殺意で満たされる。
「ちっ、よくわからんが、余計なことしやがって!!!」
ヒューズ達は、危険を察知し、退避を始めた。せっかく平和的……平和的だったのか? 彼らにはもう分からなかったが、再び戦闘に突入する予兆が目の前にあった。しかし、その瞬間。
「《奪権掌握》」
ラルフが右腕を振ると、空中で狂奔していたビット兵器は、まるで時間が止まったかのように、ピタリと静止した。
「はぁぁぁぁ?! ハッキング?! サイコデバイスも無しに、どうやって?!!」
少女は、驚愕に目を見開いた。その声には、信じられない、という感情が色濃く滲む。
「用心がなさ過ぎだって。呪式工学をもっと勉強しろ。防壁コードも遮断プロトコルも組んでないんだから……。そりゃあ、すぐに乗っ取られるって。せめて、カウンタートラップくらい仕込んでおかないと」
ラルフは、平然と解説する。その言葉は、技術的な専門用語と、どこか呆れたような口調が混じり合っていた。
「あなた……、さては、元プログラマーね?!」
少女の問いに、ラルフは首を傾げる。
「いや……。普通の、サラリーマンだった」
「クソ! クソッ!! ズルい!!! ……この、チート野郎がぁぁぁぁぁ!!!」
二人が言っていることは、相変わらず意味不明だ。その絶叫を聞きながら、本当に大丈夫なのか? と。なんだか、調査隊全員が、深い不安に包まれていくのだった。




