171.炎と力
絶望を切り裂くように、ラルフの手から放たれた《テイマーキャプセル》が、煌めく残像を引きながら宙を舞う。緩やかな放物線を描き、重力に引かれるままに地面へと吸い寄せられていくその光景を、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
円筒形の魔道具が、まるで意思を持ったかのように地面に垂直に着地した刹那――。バシッ! と、耳をつんざくような音と共に、地面に亀裂が走ったかのような錯覚に陥る。同時に、眩い光を放つ魔法陣が、複雑な幾何学模様を描きながら、まるで生き物のように広がっていった。
ゴゴゴゴゴゴッ!
地鳴りのような轟音が響き渡り、大地が激しく揺れ始める。そして、魔法陣の中心から、誰もが見慣れた紅い巨躯が、ゆっくりと、しかし確かな存在感を伴ってせり上がってきた。
その姿は、大魔道士ラルフ・ドーソンが苦心の末にテイムしたワイバーン。かつてダンジョン・スタンピードより生まれ出で、今やロートシュタイン領のマスコットキャラクターとして親しまれる存在。その名は――レッドフォード。
「ギャオオオオオオオオオオ!」
空気をビリビリと震わせる咆哮が、眼前の機械式ヒュドラに向けて放たれる。その声には、並々ならぬ気迫が込められているようだった。
「おー! なんか、気合い入ってるなぁ!」
飼い主であるラルフは、その様子を満足げに眺め、嬉しそうに呟いた。しかし、その悠長な態度に、メリッサ・ストーンが至極真っ当な提案をする。
「ラルフ様! 私達は離れてた方が良いのではないですか?!」
「うむ! その通りだな! ひとまずここは、アイツに任せて、スタコラサッサだ!」
ラルフの謎の号令に、一行は一斉に走り出した。その背後からは、鉄の三つ首竜ゴーレムが威嚇するように、金属音混じりのノイズを発する。
「キシャァァァァァァ! キシャァァァァァァ!」
全力疾走しながら、ヴィヴィアン・カスターが問いかけた。
「なんでレッドフォードを連れて来たんだ?!」
ラルフは苦笑交じりに答える。
「いやー! 何故か、今回に限って、アイツが言うこと聞かずに、どうしても付いてきたそうな様子だったんだよ?!」
それは、ラルフが調査隊として出発する前、まだ夜明け前の静かな朝の出来事だった。
「しばらく帰らないから、アンナとエリカの言うことを聞くんだぞ!」
そう言い聞かせても、レッドフォードは「クゥ~ン……」と喉を鳴らし、大きな体を揺らしながらラルフの後をどこまでもついてこようとする。
「いや! ダメだって! お前の大きさじゃあ、あのダンジョンには入れない……いや、入れなくは、ないんだよなぁ……“あれ”を使えば」
ラルフはレッドフォードの瞳を見上げた。そこには、懇願するような、寂しそうな、そして何よりもラルフから離れたくないという、強い意志が宿っていた。今になって思えば、あれはきっと、魔導生物としての勘が、この先に待ち受ける強大な敵の出現を予知していたのかもしれない。
「レッドフォードさん! 勝てますかね?!」
走りながらフィセが尋ねる。
「わからん! 危なくなったら、僕が助けるさ!」
「えぇぇぇぇぇ?! じゃあ、最初から、ラルフ様が戦えばいいじゃないですかぁ?!!」
「まあ、遠い国の言葉でな。『可愛い子には旅をさせよ』……ってのがあるんだよ!」
「ラルフ様がやってるの! 『可愛い子には死地を踏ませよ』ですからね?!!!」
フィセの的を射たツッコミに、ラルフは苦笑する。その時、上空から殺気立った気配が降り注いだ。
「やば! みんな! 伏せろ!」
ラルフの叫びと共に、周囲に魔導障壁が展開される。
バリバリバリッ!!!
三つ首竜ゴーレムの口から、電撃のような光線が放たれた。それはレッドフォードの巨体に直撃し、周囲の地面にも激しく降り注ぎ、雨あられのような火花が散る。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
フィセの悲鳴が響き渡った。
先手を取られたレッドフォードは、怒りのままに雄叫びを上げる。
「ギャオオオオオオオオォ!」
首をもたげたその口腔内には、まるで煉獄のような灼熱の炎が渦巻いていた。そして――。
――ドラゴン・ブレス。
眩いばかりの炎の塊が、強大な敵へと向かって放たれる。その熱波は、ラルフ達の顔にまで届き、肌を焼く。
「熱っ?! あっつ! いや、レッドフォード。なんか張り切ってるなぁ!」
ラルフは緊迫した状況にもかかわらず、どこか楽しんでいるような声を上げた。
まさに、大怪獣決戦。
両者は互いを睨みつけ、そして、もう一つの共通する機動力――翼を用いた戦いへと移行する兆しを見せた。レッドフォードは自慢の翼を力強く羽ばたかせ、三つ首竜は機械式の巨大な翼からジェット噴射を稼働させる。
戦いは、空へと舞台を移した。このダンジョンによって生成された謎めいた空間では、それさえも可能だったのだ。ラルフ達は、音速を越える大怪獣空中決戦をただ見守ることしかできず、ただ呆然と上空を見上げるしかなかった。
「すっごいな……。なにこれ? 神話級の戦いじゃね?」
ヒューズが呆然とした表情で呟く。
「エリカさんがいたら、どっちに賭けてるでしょうね?」
ヴィヴィアンの場違いな感想に、ラルフは思わず笑ってしまった。
「なんというか……剣とか、馬鹿らしくなってくるな……」
遥か上空で繰り広げられる、業火と雷撃が飛び交う空中戦を眺めながら、騎士爵は複雑な思いで呟いた。刀剣マニアとしては、心中穏やかではいられないのだろう。
空中で、三つ首竜の鋭い爪に捕らえられたレッドフォードは、至近距離から雷撃をモロに食らい、さらには残りの二つの首の鋭い牙が、その首と肩に食い込んだ。
そして、レッドフォードは墜落する。
ズドオオオォン! と、砂煙を巻き上げながら、その巨体が地面に叩きつけられた瞬間、ラルフは初めて焦りの声を上げた。
「レッドフォードぉぉぉぉお?!!!」
その声は、レッドフォードの耳に届いていた。
不甲斐ない姿を見せたくなかった。心配させたくなかった。大好きなご主人様を守るため、わがままを言って、ここまでついてきたのだ。
嫌な予感がした。愛するご主人様がこれから行こうとしている場所は、本当に危険な場所だと、レッドフォードにはわかっていた。だから、何か、力になりたかった。ご主人様は、とてつもなく強い人だということは知っている。でも、それでも……。
ただ、ご主人様の役に立ちたかった。なのに、こんな……。こんな、魔導生物の風上にも置けない、歪なモノに、負けるのか……?!!
レッドフォードは悟った。おそらく、またご主人様が助けてくれるだろう。あの人は、優しいから……。そして、とてつもなく強いから……。
でも、
でも!!!
私が、ご主人様を助けたい!!!
もう、起き上がる力も残されていないままに、レッドフォードはそう強く願った。そんなものは、弱肉強食の世界では、なんの意味も成さないはずなのに。
しかし、その願いに呼応する存在が、この場所にはいた。
“力が欲しいか?”
その言葉は、レッドフォードの耳ではなく、意識に直接問いかけてきた。
地面に横たわったレッドフォードは、薄く目を開ける。その目の前には、小さな魔導生物。いや……、炎の精霊。
「あれ? サラちゃん?」
炎の精霊遣いパトリツィアは、いつの間にか肩の上にいたはずのサラマンダーが、レッドフォードの目の前に移動していたことに呆気に取られた。
“力が欲しいなら……”
レッドフォードにはわかった。同じ、ダンジョンにより生み出された存在だから。そして、この小さくて微かな存在は、自分より格上でありながら、自分と志を同じくする存在。
つまり――、
人間を好きになってしまった同士……。
だから、
だからこそ……。
その答えを出した。
炎の精霊は、その答えを受け入れた。
“力が欲しいなら、くれてやる!!!!”
サラマンダーのサラちゃんは、レッドフォードの口の中に飛び込んだ。
「えええっ?!! ちょっとぉぉぉ! サラちゃぁぁぁん!」
パトリツィアの叫びが、虚しく木霊した。




