166.水辺の休息
第四階層:大瀑布の泉
そこは、息を呑むほどの光景だった。
巨大な岩壁の裂け目から轟々と水が落ち、滝壺へ叩きつけられては白い水飛沫が霧のように巻き上がる。陽光を透かした飛沫がきらめき、半透明の虹がアーチを描いていた。耳をつんざく瀑布の音も、なぜか心地よく感じられる。
ここがダンジョンの一角だという事実を、一瞬忘れそうになる。
滝壺の先には広大な泉が広がり、穏やかな浅瀬には小魚が銀の稲妻のように走っていた。水面は澄みきり、底の小石まで見える。空気にはほんのりと冷たい湿気が混じり、ほのかな水草の匂いが鼻先をかすめる。
「――あっ! ほら、そこ! 魚までいますよ!」
パトリツィアが浅瀬を覗き込み、嬉しそうに指を差す。
「……このダンジョンなんだけどさ、これ、観光地として売り出せるんじゃない?」
ラルフがつい本音を漏らすと、その場にいた者は顔を見合わせ、
「確かに」
「それ、いいかもね!」
と頷き合った。
釣り好きなウラデュウス国王の顔が脳裏に浮かび、全員の背筋を冷たい予感が撫でた。――まさか、この泉のほとりにも、王族の離宮を建てる、なんて言い出さないだろうな?
一方その頃、カーライル親子は景色など見向きもせず、第三階層での討伐劇の武勇談で盛り上がっている。ミラはファントム・スタッグの角を自らの頭に載せてはしゃぎ、父マティヤス騎士爵は腹を抱えて笑っていた。
角は魔剣の素材になると聞き、二人は早速お揃いでオーダーメイドするつもりらしい。父はロングソード、娘はショートソード。銘をどうするかで延々と議論中だ。
ラルフは(まあ、仲良きことは美徳だけどな……今は未知の階層の真っただ中なんだが)と内心でため息をついた。
「ラルフ様、試しに聞くんですが……舟なんて、持ってきてませんよね?」
リーダーのヒューズが探るように聞いてくる。
「それが……、持ってきてるんだなぁ」
ラルフはマジックバッグから木造船を引っ張り出し、豪快にバシャーン! と着水させた。水面が派手に波打ち、虹が一瞬かき消える。
「こういうところって、絶対に水中から魔獣が襲ってくるパターンですよね」
ヒューズが冒険者の経験から呟く。
「それがお約束ってやつだよねー」
ラルフは前世のフィクション知識で返す。
「やっと私の出番ですかね?」
海の冒険者フィセが、愛用のクラーケンバスターを構えた。その瞳は獰猛そのもの。少し前まで王都の商業ギルドの受付嬢だったとは思えない変貌ぶりだ。今では超音衝撃銛砲の虜で、もはやトリガーハッピーの領域にいる。
「ああ、まあ、……いいよ。ここでこそ君の出番だ」
ラルフは諦めたように許可を出した。
――だが、その前に腹ごしらえである。
マジックバッグから屋台を展開すると、カーライル親子とヴィヴィアン、パトリツィアは泉の瀞場で釣りを始めた。
すぐに竿がしなり、虹色に光る魚体が飛沫を散らして上がってくる。
「ここは魚が擦れてないな。簡単に餌に食い付く」
ヴィヴィアンが唸る。釣り好きの国王様がここで釣り糸を垂れる未来は、どうやら遠くなさそうだ。
ラルフは手際よく魚を三枚に卸し、パン粉をまぶして油で揚げる。香ばしい匂いが一気に漂い、滝の水音すら空腹を煽るBGMに変わった。
千切りキャベツと特製ソースを添え、ふかふかのパンに挟めば――ラルフ特製フィッシュバーガーの完成である。
「いただきまーす!」
ミラが満面の笑みでかぶりつく。
「いただきます」
ヴィヴィアンも控えめに口へ運び……次の瞬間、目を見開いた。サクサクの衣、ふわっとほどける身、ソースの酸味と甘み。滝の虹すら二割増しで美しく見える味だ。
「また上の奴らが匂いにつられて、押し寄せてきそうだな……先に解放しておくか?」
ヒューズが、前回の騒動を思い出して眉をひそめる。
「なら、私が上に伝えてきましょうか?」
メリッサが軽やかに提案した。
「一人での行動は許可できん」
ヒューズは即答する。
「では、私も同行しよう」
宮廷料理人サルヴァドルが口を挟む。ヒューズは少し考え、
「……まあ、それなら。だが、危険を感じたら即撤退だ」
と許可した。
「あっ! 三階層まで補給部隊が来てたら、食料と酒を早く持ってきてって伝えて! 特に酒!」
ラルフが叫ぶ。
――ダンジョン攻略の合間に、居酒屋を開くのはどうなのか? 全員が心の中で同じツッコミを入れたが、誰一人口には出さなかった。考えるだけ負けな気がしたのだ。




