163.石造りの迷宮
第一階層の幻想的な白亜の回廊とは打って変わって、第二階層はラルフの抱く「ダンジョン」のイメージそのものだった。陽の光は一切届かず、魔法の灯りのみが頼りとなる漆黒の闇。複雑に入り組んだ石造りの通路は、まるで巨大なパズルが複雑に絡み合った迷宮だ。ラルフは宙に魔法の灯りを浮かべ、一行は決してはぐれないよう、まずはマッピングを優先させた。
しかし、この広大で複雑な迷宮を全て把握するには、かなりの時間を要すると思われた。
ある袋小路に差し掛かったところで、ヒューズから休憩の提案があった。袋小路での休憩は、魔獣に追い詰められる危険性を孕むように思われるが、これほどの少数精鋭のパーティーであれば、挟み撃ちや分断されるリスクを冒すよりも、一方向からの奇襲に備えた方が遥かに効率的だ。ヒューズの冒険者としての優れた判断力が窺える提案だった。
ラルフは、慣れた手つきでマジックバッグから簡易的な屋台を取り出した。そして、迷うことなく料理を始める。その光景を目にした一行は、「なんか……そこまでするか……」という呆れと、「ラルフらしいな」という納得がないまぜになったような表情を浮かべた。いずれにせよ、このような過酷な状況下でも、美味い食事にありつけるらしい。そう考えると、呆れを通り越して、素直に喜ぶべきだろう、と彼らは結論づけた。
「ミラは、塩ラーメンと餃子、あとはなんか欲しい?」
ラルフが問いかけると、ミラの瞳が輝いた。
「ホイコーローって、できますか? さすがに、このような場所では無理ですかね?」
「あるよ」
ラルフは涼しい顔で、マジックバッグから鮮やかな野菜を取り出す。そして、手際よく調理を始めた。
「ラルフさまぁ! なんか、魚とかありませんか? 魚と米が食べたいなぁ、なんて……」
シャーク・ハンターズの砲撃手、フィセが遠慮がちに尋ねた。するとラルフは、
「あるよ。サバの味噌煮とかどう?」
フィセは嬉しそうに首をブンブンと縦に振った。ラルフは片手鍋を魔導コンロにかけた。
「ああ。私も何か手伝おう」
宮廷料理人のサルヴァドルが立ち上がり、助太刀を申し出る。
その様子を見ていたヒューズは、
(こんなに楽なダンジョン攻略はないな!)
と、思い、料理ができるまでその場で寝転ぶことにした。
通常、冒険者が何日もダンジョンに潜る場合、干し肉などの最低限の栄養食を忍ばせ、あとは現地調達で凌ぐのが常識だ。しかし、このパーティーには大魔道士にして美食の伝道師という破天荒なラルフ・ドーソンがいる。さらに宮廷料理人までいるとなれば、もはやこれはダンジョン攻略中の栄養補給ではない。まるで高級ディナーではないか。
やがて、食欲をそそる芳醇な香りが迷宮内に漂い始めた時、ヒューズはおかしな気配を感じた。彼はすぐさま大剣を手に取り、体を起こす。
「おい! なんか、おいでなすったみたいだぜ!」
全員が暗い通路の奥を凝視する。確かに、何やらわめき声のようなものが、狭い通路に反響しながら聞こえてきた。ゴブリンか? オークか? はたまた、未知の魔獣か? しかし、その音が大きくなるにつれて、全員が手にしていた武器をゆっくりと下ろした。そして、暗闇から姿を現したのは──
「いぇー! やっぱりそうだ! 匂いでわかったよねぇ!」
「だな! 絶対そうだと思った!」
そこには、見慣れた顔ぶれ、居酒屋領主館の常連客である冒険者たちがいた。
「いや、勝手に第二階層に下りるなよな……」
ヒューズが思わず呟いた。
「こんないい匂いさせといて! 来るなってのは殺生ですぜ!」
「そうだそうだ! 回廊にいる連中も、いい匂いだけ漂ってくるもんだから、パニックになってますぜ!」
「いや、 地上の屋台で食えばいいだろ?」
ラルフは麺の湯切りをしながら叫んだ。
「屋台なんて、もう品切れですよ!」
冒険者の一人が叫び返す。
するとラルフも、
「いや。こっちだって、そんなに多くの食料を持ってきてるわけじゃないからなぁ」
しかし、その言葉は説得力を持たなかった。ラルフとサルヴァドルの前に並ぶ、出来立ての山のような豪華な料理を見れば、彼らの言い逃れは不可能だった。
「ちょっと待て! お前ら、まさか、匂いだけを辿ってここまで辿り着いたのか?! この迷路を?!」
ヒューズは心底驚いていた。この複雑な迷宮を、匂いだけで踏破してきたという。その事実に、彼の冒険者としての経験すら揺さぶられる。
「ああ。もう……わかったわかった! 皆の分も作るから、何人くらい来るか、それだけ教えてよ!」
ラルフは諦めのため息をついた。しかし、その諦めは、更なる事態の発展を招くことになる。
「いや、今に、全員、第二階層に押し寄せてきますぜ……」
かくして、居酒屋領主館、分店は、未知のダンジョン第二階層で、予想外のオープンを迎えることになったのだった。




