162.白亜の回廊
静謐な海のさざめきを背に、先遣調査隊を乗せた船が岩島へと舳先を向けた。その後方には、漁船や海賊公社の旗を翻した船団が、白波を蹴立てながら続く。新発見のダンジョン、その深奥への扉が開かれるたび、先遣隊が階層を攻略した後に、他の冒険者たちもまた、未知なる財宝と栄光を求めて階層毎に進行を許されるのだ。
しかし、この祭りのような熱狂は、ただ冒険者だけのものではない。最新の攻略情報を耳にしようと集まる野次馬たち、冒険者が獲得したドロップ品や魔獣の素材をいち早く手に入れようとする商人たちもまた、それぞれの思惑を胸に船に揺られる。そして、凄腕の釣り師ヴラドの武勇伝に感化された貴族たちは、きらびやかな釣竿を携え、夢のような大物を夢見ていた。ついには、「人が集まるなら稼げる」とばかりに、屋台の店主たちまでもがこの岩島に押し寄せた。かつては岩と海鳥しか存在しなかった不毛の地が、今や巨大な祭り会場の一部と化していた。
「気をつけて行ってこいよー!」
「さっさと十階層くらい突破しちまえー!」
賑やかな激励の声に見送られ、ラルフたちは地下へと続く石段を降りていった。
第一階層:白亜の回廊
ダンジョンの第一階層は、息をのむような白亜の回廊だった。
広大な円筒形の地下空間に、壁に沿って螺旋を描くように下へと続く回廊は、まるで太古の文明が築き上げた壮大な遺跡を思わせる。頭上からはわずかな陽光が降り注ぎ、壁にはヒカリゴケが淡い燐光を放っていた。所々に絡みつく木の枝や蔓が、その幻想的な光景に一層の神秘性を添えている。一行は、周囲への警戒を怠ることなく、緩やかな傾斜を下へ下へと歩を進めた。
「これは、凄い景色だ……。先遣隊に立候補してなければ、一生このような素晴らしい景色を見ることはなかったでしょうな」
宮廷料理人のサルヴァドルが、心の底からの感嘆を吐き出した。その表情には、純粋な驚きと感動がにじんでいた。
「子や孫に自慢できますぜ。まあ、それも、生きて帰れたら、の話ですけどね」
ヒューズが冒険者らしい、どこか皮肉めいたジョークを飛ばす。しかし、その言葉の裏には、この過酷な道への覚悟が垣間見えた。
「こんなにも長い回廊なら、騎士団の駆け足訓練に使えそうだなぁ!」
カーライル騎士爵が豪快に言い放つ。その言葉に、娘のミラが朗らかな笑い声を上げた。
「確かに、これは地獄ですね! ハッハッハー!」
しかし、ラルフは密かに困惑していた。
(何が面白いんだ?!)
前世の記憶を辿れば、意識の高いスパルタ系部活動の選手たちが、山の上の神社に続く石段を駆け上がる訓練をする光景を、何かのフィクションで見た気がする。しかし、現実として目の前に広がるこの光景は、まさに地獄絵図に他ならない。
「特に危険はないようだな。いるのはグロウ・スライムくらいか……」
ヒューズが壁に目を凝らし、呟いた。
確かに、岩壁のいたるところに、ぷよぷよとした可愛らしい生命体が、まるでかくれんぼをするようにラルフたちの気配から身を隠している。
ヴィヴィアンは、その中の一匹を素早く捕まえ、ミョーンと伸ばしたり、透明な体内を覗き込んだりして熱心に観察していた。
「ヴィヴィアン、何か面白いのか、それ?」
ラルフは呆れたように尋ねた。
「スライムはテイムしたことがなかったので。試しに、一匹くらいしておこうかなぁ、と」
テイマーであり、魔獣生態学者でもある彼女の探究心は尽きないようだ。だが、ラルフは素朴な疑問を口にした。
「スライムって、なんの役に立つの?」
「なんでも食べるし、消化してしまうのだろう?」
(あー。確かに、前世でも、そういう設定がよくあったなぁ)
ラルフの脳裏に、様々なフィクションの記憶がよみがえる。そして、ふと、ある懸念が頭をよぎった。
(ちょっと待てよ! スライムに転生した奴とか、いないよな?!)
ラルフは、思わず周囲をキョロキョロと見渡した。彼のフィクション知識によれば、もしも現代の日本人がスライムに転生したとしたら、それは相当に厄介な事態だ。できることなら、友好的な関係を築きたい。でなければ、大切なロートシュタインが危ない。
「むっ? 何か来るぞ!」
ヒューズの目が鋭く光った。
「えっ?! リムル様?!!」
妄想と思慮の狭間に沈んでいたラルフは、反応が遅れ、意味不明なことを叫んでしまった。
「えっ? いや、誰です? ……何か飛んで来ますよ!」
ヒューズは一瞬呆れ顔になったが、すぐに冒険者としての警戒心を取り戻すという芸当をやってのける。
「せやっ!」
サルヴァドルが、愛用のマゴロク閃光包丁を閃かせた。ギシャー! という不快な鳴き声を上げて、黒い物体が真っ二つに切断され、足元に落ちた。
「むっ、これは、……シャドウ・バットですね。……飛び回るこいつを切り落とせるなんて、A級冒険者並みの腕ですよ」
ヒューズは目を見開き、感嘆の声を漏らした。当の本人であるサルヴァドルは、「ふんっ!」と、得意満面な笑みを浮かべている。
すると、カーライル親子が、その言葉に反応した。
「ほう……、飛んでいるそれを切り落としたら、A級だとな?」
「ならば、父上! 勝負です! どちらが多く切り落とせるか!」
ミラも剣を引き抜き、瞳を輝かせた。
(みんな、楽しそうだなぁ)
ラルフは、そんな呑気なことを考えながら、サルヴァドルの肩をちょんちょんと指でつついた。
「あの、サルヴァドルさん。切った後の決めゼリフとして、またつまらぬものを斬ってしまった……。っていうの、オススメですよ!」
ラルフは、これぞとばかりに進言した。
「えっ? またつまらぬものを……」
サルヴァドルの表情には、戸惑いと同時に興味が浮かんでいた。
「そうそうそう! で! できれば、こう納刀する仕草で、こういう感じでぇ」
ラルフは、身振り手振りで謎の斬新な刀さばきと、謎の身体のこなし、そして所作をレクチャーし始めた。サルヴァドルもそれを真剣に聞き入り、その場で練習を始める。
その様子を見たヒューズは、心の底から思った。
(なんか……、みんな、楽しそうだなぁ……)
と。




