156.立ち呑みと再会
ロートシュタイン祭五日目、真昼の熱気が立ち込める屋台街で、火魔法の名手、パトリツィア・スーノは未知の料理"たこ焼き"と格闘していた。一口頬張れば、いくらなんでも熱すぎる。それでもハフハフと熱気を逃がしながら咀嚼すれば、口いっぱいにじんわりと滲み出す極上の出汁の香りが広がった。かつて同級生だったラルフ・ドーソンが学生時代に作ってくれたアラスープにどこか似ている気がしたが、こちらはもっとトロリとしていて、薬味の香味野菜の風味が鮮烈に主張する。そして極めつけは、コリコリとした独特の食感を残すタコという海生生物の切り身。
レモンを添えたハイボールをぐびりと喉に流し込めば、その絶望的なまでの相性の良さに、思わず、「うわぁぁ!」と、唸り声が漏れる。
太陽が真上に輝く白昼堂々、一介の魔導士がこんな堕落じみた姿を晒して良いものだろうか? ふと、そんな疑問が脳裏をよぎり、周囲を見渡せば、パトリツィアなど比べ物にならないほどの"堕落の極み"を晒す貴族や王族たちの姿が目に入った。
ある者は酩酊して地面に倒れ伏し、ある者は音楽に合わせて狂ったように踊り、またある者は平民や冒険者らしき者たちと、顔を真っ赤にして政治なのか社会情勢なのか、それともただの憂さ晴らしなのか判別のつかない議論を繰り広げていた。
この街では、身分も格式も、昼と夜の境も曖昧になってしまうようだ。
「すまないが、このたこ焼きというのを、あと六つほど貰えないか?」
パトリツィアは、屋台を営むまだ幼い少女に、追加の注文をした。
「はいよー!」
少女は威勢の良い返事と共に、手をかざす。すると、彼女の指先から放たれた目に見えぬ力が、大量のたこ焼きを宙に浮かせ、見事な手つきで調理し始めた。念動力。その流麗な魔力の扱いに、パトリツィアは目を見張る。どうやら、この少女も魔導士らしい。しかも、かなりの腕前。一体どこの所属なのだろう? 不思議に思ったパトリツィアは、問いかけた。
「ねぇ、あなた。魔導士なのよね? どこの所属なの?」
少女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに恥ずかしそうに頬を染め、答えた。
「あっ、いえ。魔導士の卵、とでも言えばいいですかね? 王立魔導学園に在籍してる生徒です」
パトリツィアの顔に、ぱっと明るい色が差した。
「あら! じゃあ、私の後輩じゃない?!」
「えっ?! そうなんですか?!」
予期せぬ出会いに、二人はひとしきり喜び合った。共通の学び舎に集う魔導士という同胞意識が、熱気溢れる祭りの喧騒の中で、二人の間に温かい絆を紡ぎ出す。
「へー! でもあなた、平民なのに学園に入れるなんて。特待生? よほど優秀なのね。まあ、作ってる姿見れば納得だけど」
パトリツィアの言葉に、少女は再び頬を染める。
「あ、いえ! 私は、特待生とかじゃなくて、ラルフ様が私のパトロンというか、そういう感じで推薦して頂きまして……」
大魔導士ラルフ・ドーソン。その名を聞いた途端、パトリツィアの表情から一切の感情が消え去った。かつての同級生の名前が、彼女の脳裏に複雑な記憶を呼び覚ます。
「あっ、ラルフに巻き込まれたのね?」
「えっ?! 巻き込まれた?!」
戸惑う少女に、パトリツィアはにやりと口の端を上げた。それは警告めいた、それでいてどこか諦めを含んだ笑みだった。
「アイツ、無自覚に人使い荒いから、気をつけなさいよ」
学生時代、パトリツィアは割とひもじい思いをしていた。魔法爵家の出ではあったものの、魔導学園に入学できたのはぎりぎり。両親からの援助は最低限で、休日に学食が休業だと知らされた時の絶望感は今でも忘れられない。しかし、そんな時、彼女に、いや、彼女だけでなく、腹をすかせている多くの生徒たちに救いの手を差し伸べてくれたのが、ラルフ・ドーソンだった。夜な夜な、学食の厨房に不法侵入し、魅惑の料理を振る舞った彼の"夜食ソサイエティ"に救われた生徒は数知れない。ミハエル王子までその噂を聞きつけ、顔を出し始めた時は、本当に信じられなかったものだ。
そんな過去の借りを返すため……、なのかは分からないが、花火要員としてパトリツィアはこのロートシュタインに滞在中だ。初日のオープニングセレモニーは、彼女の火魔法による花火が夜空を彩り、大成功を収めた。
そしてラルフからの報酬は、正直、耳を疑うほど破格の好待遇だった。火魔法の名手とは言われているが、それはつまり攻撃魔法に特化しているということ。安定した稼ぎを得るには、冒険者としてダンジョンに潜ることが一番の稼ぎ口だ。
だが、あの夜の花火魔法だけで、ラルフは彼女の稼ぎの一ヶ月分に相当する報酬をくれたのだ。最終日にもう一度大きな見せ場があるらしいが、それまでは「好きに飲んで食って過ごしてくれ!」とラルフから言われている。
「モグモグモグモグ……。いくらでも食えてしまう……。この料理は危険だ……」
夢中になってたこ焼きを頬張りながら、またハイボールをぐいっと飲み干す。
「せっかくのお祭りですから、色々食べてみたらいいと思いますよ?」
屋台の少女が、にこやかにアドバイスをくれた。だが、移動するのも億劫だし、高級宿マリアンヌ・ホテルに戻っても、一人退屈するだけだ。せっかくなら、かつての同級生であるラルフと魔導論文の考察でもしたかったが、あいにく彼は領主として多忙を極めているようだ。
しかし、この街の喧騒を眺めていると、不思議と心が安らぐ。自由奔放で、堅苦しさがなく、美味しい物で溢れている。まさに彼らしい街ではないか、とパトリツィアは感じた。いつか、ラルフがあの真夜中の学食で作ってくれた、素朴なあの、「オニギリ」も、この街のどこかで売っているのだろうか?
そんなことを考えたが、目の前のたこ焼きとハイボールの美味さには抗えない。周囲の破茶滅茶な人間模様を眺めているだけでも、飽きることがない。酒はあまり嗜む方ではなかったが、このような雑多な場所で、立ったまま味わう酒とたこ焼きが、こんなにも心地良いものだとは。意外な発見に、パトリツィアは新たな喜びを見出していた。
その時、何故かびしょ濡れになった、かつての同級生の姿が視界に飛び込んできた。
「あれ?! ねぇ!! ヴィヴィアン! ……ヴィヴィアン・カスター! 久しぶり! どうしたのさぁ?! そんなに濡れて」
嬉しくなって、反射的に声をかけた。
そして、この無表情なテイマーと、このロートシュタインがどれほどユニークで、どれほど心惹かれる場所なのかを、夜が明けるまで語り合った。何故か、あの万年金欠のハズの、ヴィヴィアンが全部奢ってくれたのが気味が悪かったが、これもまた、この街の"わけのわからなさ"の一部なのだろう。
パトリツィアは、そう思うことにした。




