155.打上げ花火の下で
「あっはっはっはっはっはっはーっ!」
ミュリエルの豪快な笑い声が、居酒屋領主館に響き渡る。いつもの満員御礼の喧騒に、今夜は祭りの終わりの名残惜しさが混じり合っていた。客たちは、熱気の余韻を持て余すかのように、どこか上滑りする空気を纏い、空騒ぎに興じている。
「ねぇ、お父様! 私、ここで働かせてもらえないかしら?」
王都から来た貴族令嬢が、その突拍子もない願いを父に告げる。ラルフは一瞬、何を考えているのかと眉をひそめたが、すぐに合点がいった。この居酒屋領主館は、今やこの国の王侯貴族のみならず、各国からの重鎮までが出入りする特別な場所。王都の狭い社交界でちまちまとお茶会を開くよりも、ここで働けば、途方もない人脈を得ることも夢ではないだろう。
「どうかな? ドーソン公爵?」
令嬢の父親が、ラルフに問いかける。
「あー、まあ、はい。ウチは割と来る者拒まずですけど、お嬢さん、ロートシュタインに住むの?」
「孤児院で寝泊まりできるって聞きましたわよ?」
その言葉に、ラルフは思わず口ごもる。
「いや、あのぉ、……孤児院って、孤児たちが寝泊まりしてる場所だからね? 君、令嬢よね?」
当たり前のことを確認したつもりだったが、居酒屋領主館で働く孤児の少女たちは、「えー! これから一緒にいられるのぅ?!」と、嬉しそうにきゃっきゃと飛び跳ねる。子供たちの純真な社交性には驚かされるが、これでいいのか、とラルフは頭を抱えたくなる。
「ふんっ! ここで働くってことは、あたしの部下ってことよね?」
エリカが腕を組み、不遜に言い放つ。
「え?! あ、エ、エリカ・デューゼンバーグ! あなた、奴隷なのではなくて?!」
どうやら、彼女はエリカのかつての同級生だったようだ。エリカは胸を張り、偉そうに言い放つ。
「ここは身分など関係ない場所でしてよ! お嬢さーん? ここにはここの、流儀と格式があるのよ!」
(ここに、そんな流儀も格式も作った覚えはない!)
ラルフは心の中で叫んだ。
ロートシュタイン祭の最終日は、ラルフにとっても、領民にとっても、まさに「わけのわからない」一日となった。日がまだ高い内から、帰路につく外国の来賓の馬車を見送る人々。帝国から来た議員が連れてきた子供は、「やだー! 帰りたくない! ここにもっといたいー!!」と、地面にひっくり返って駄々をこねる。共和国の議員の一部は、「もう、議員辞めるわ。ここに住む!」と、とんでもないことを言い放ち、帰国を頑なに拒んでいた。
そんな光景があちこちで繰り広げられ、まるで世界すべてが、この祭りの終わりを拒絶しているかのようだった。悲痛な面持ちで帰路につく者、そして開き直ってロートシュタインに残ることを選択した者たち。残る者たちに、ラルフは心の中でこう呟いた。
(お前ら、ここに衝動的に居残って、明日からの食い扶持どうする気だよ?!)
だが、まあ、なんとかなるのだろう。なにせ、ここはロートシュタインなのだから。
その時、ヒュー、ドーン!! と、魔導士たちが打ち上げる花火の音が、居酒屋領主館の客席にも届いた。
「おー! 外で見ようぜ! なあ、ラルフ様ぁ! 外で飲んでいいよなぁ?!」
冒険者の男が、興奮した声で問いかけてくる。ラルフは手のひらをひらひらとさせ、無言で、好きにしろ! と伝えた。全員が、領主館の外へと飛び出す。
夜空を彩る花火。
ドーン! と、腹の奥底にまで響く、美しい色彩の奔流。人々は夜空を見上げ、歓声を上げる。
「うわぁ!」
「すごーい! やっぱり、私、花火好きぃ!」
ミンネとハルも、無邪気に飛び跳ねて喜んでいる。ラルフは、二人の柔らかなブラウンヘアーにそっと手を乗せ、
「来年も、またやろうな」
と、約束をしてしまう。面倒なことは多々あれど、子供たちが心から楽しんでくれるのなら、それはそれでいいか、とラルフは諦めに似た笑みを浮かべた。それに、祭り自体は嫌いではない。むしろ、前世の日本人としての郷愁が、この花火と賑わう屋台の光景を眺めているだけで、心の奥底から湧き上がってくるのを感じていた。皆が、幸せそうに笑ってくれる。それが、どれほど素晴らしいことか……。
「あーはっはっはっはー! あの花火って、横から見たら平べったいんかなぁ?」
エルフのミュリエルが、突如として走り出した。ラルフは、「はぁ」とため息をつく。
「なんか、その話、懐かしいわ……。打ち上げ花火は、下から見ても横から見ても、丸だよ……」
思わずそう呟いた、その時。ヴィヴィアンが、
「えっ? 平べったいですよ? 今回雇われた魔導士たちが、そう設計しましたから」
と、あっさりと言ってのけた。
(あ、そうだった。この花火、魔法だったわ。魔法ならそれも可能なのか!)
ラルフは、その事実をすっかり失念していたことに気づく。
「あー、はっはっはっはっはー!」
ミュリエルは、小高い丘を駆け登っていく。ラルフは呆れながらも、その後を追う。この酔っ払いエルフが何をしでかすか、理解不能だからこそ心配なのだ。
「ミュリエル! みんなの所に戻って、一緒に飲もうぜぇ! こんな誰もいない場所に来ても楽しくないだろ!」
ラルフが叫ぶと、ミュリエルはドサッと丘の上で仰向けに倒れ込んだ。
「あーはっは、あーあー……」
大の字に草の上に寝転ぶ彼女の隣に、ラルフは腰を下ろした。
「おい ……なに、泣いてんだよ……」
ラルフは、聞いてもよいことなのか分からなかったが、聞かずにはいられなかった。
「いやぁ~! 楽しいなぁって!」
「楽しいなら、泣く必要ねえじゃねーかよ」
夜空には、次々と大輪の花火が咲き誇る。その光が、ミュリエルの頬を濡らす大粒の涙をきらきらと輝かせた。
「いんやぁー。婆さまに言われてたんさ……。人間を好きになるなって……。人間は、すぐにシワシワになって、死んじゃうからって……」
ラルフは気がついた。彼女たちエルフは長命種だ。その命の長さゆえの、深い孤独があるのだろうと。
「……そんじゃあ、僕らが死んだら。また、楽しいこと見つける旅に出ればいいだろ?」
ラルフの言葉に、ミュリエルはしゃくりあげた。
「ひっく……、うえ……、領主さまぁ、そんなの……、そんなこと……。言わねぇで、欲しかったわ……」
そう言って、さらに大粒の涙を流しはじめる。ラルフは無表情のまま、彼女の頭を優しく撫でた。そして、
「楽しいこと、新しい出会い。生きてる限り、いくらでもあるさ。……僕の知ってるエルフの魔導士も、共に戦った勇者の死後に、新たな旅立ちを迎えたんだよ」
「へぇ。そんなエルフの魔導士さまがいたんか?」
「うん、まあ、……物語の中でな。……よく、ミミックに食われてた」
「なんだそれ?! あーはっはっはっはー!」
丘の上、祭りの終わりを告げるかのように、最後の花火が大輪の花を咲かせ、夜空を眩い光で満たした。その光は、二人の間に漂う、静かで温かい空気を優しく包み込んでいた。




