146.外交の夜
その日の夜。ロートシュタイン祭の熱狂が街を包む中、居酒屋領主館はいつもと変わらず暖簾を掲げていた。
ラルフは厨房に立ち、次々と舞い込む注文を捌きながら、店の賑わいに目を細める。従業員の孤児たちは、それぞれが考案したメニューを手に、屋台を引き街へと繰り出し、まるで学園祭を控えた子供たちのように目を輝かせていた。その光景は実に微笑ましく、彼らにとってこれからの人生を生き抜くための、貴重な人生勉強になるだろうとラルフは考えていた。
「ロックバードの唐揚げ追加ぁ!」
「こっちにシトラスビール二つくれぇ!」
客たちの威勢のいい声が飛び交う。街中に屋台が立ち並び、居酒屋の客入りは期待できないかと思いきや、ところがどっこい。他国の重鎮や関係者が「ここに来れば領主ラルフ・ドーソンと直接会話ができる」と聞きつけ、そのまま居座って杯を傾けているのだ。
ふと目をやると、帝国の皇女とクレア王妃が白ワインを片手に優雅に談笑している。
あるいは、共和国の議員と東大陸の貿易商が焼き鳥をつまみながら、ひそひそと商談めいた話を進めている。
また別の場所では、聖教国の司祭とグレン子爵が、どのラーメンが至高か、という実に平和的で他愛もない議論を白熱させていた。
(な、なんというか。……サミット?)
ラルフは心の中でツッコミを入れる。どいつもこいつも、居酒屋で酒を飲みながら話すような内容ではないだろうに! しかし、彼らは実に穏やかな外交合戦、あるいは日頃の鬱憤晴らしとばかりに、飲みにケーションに花を咲かせている。
「どうも、はじめましてラルフ・ドーソン公爵とお見受けします。私、帝国の議会書記長を務めている者でしてぇ」
「ラルフ・ドーソン公爵! あの同人誌即売会というものを、我が国でも開催したいのだが!」
「あのラヌートというモフモフ魔獣の輸出について、少々お時間を頂きたいのですが……」
挨拶や打診の言葉が、カウンター越しに包丁を握るラルフに次々と浴びせかけられる。さらには、東大陸の小国の王子が、料理が趣味という変わり者で、厨房に入りフレデリックからチャーハン作りの手ほどきを受けている始末だ。
「まったく……。これじゃあ迂闊に酒も飲んでいられんわい」
カウンターで米酒とイカゲソを嗜んでいたウラデュウス国王が、一人ごちる。
「いや。飲んでるしな! っていうか、国王様こそちゃんと来賓に挨拶して下さいよ」
「面倒だろ。それに、ここではヴラドおじさんだ」
職務放棄も甚だしい。そう思いつつ、ラルフはキャベツをザクっと切った。
ある程度の大きさにザクザクと切り分け、皿に盛り付ける。その上から塩をぱらりと振りかけ、軽く揉みこむ。さらにごま油をさっと回しかける。このごま油は、共和国の使節団が持ち込んでくれたものだ。これがあれば、居酒屋領主館のメニューはさらに進化するだろうと、ラルフは嬉しくなる。最後に塩昆布を散らして、「パリパリやみつきキャベツ」の完成だ。
ラルフは自らそのおつまみを、何やらテーブルを囲んでひそひそと凄い早口で語り合っているエリカとヴィヴィアンの前に置いた。
「おまちどーさん。……お前ら、なんか仲良くなったな」
「い、いや。そんなことは、別にお馬さんがどうとか、そんなことは、別に、ただちょっと、今日は楽しかったなぁ。みたいな!」
ヴィヴィアンは目を逸らしながら、不自然なほどにどもりながら言った。彼女らしくない、よそよそしい態度に、ラルフは昼間の競馬場での出来事を思い出していた。(こいつ、絶対に大勝ちしやがったな?)
「とにかく、今大事な話してんのよ。アンタはあっち行っててよ。しっしっ!」
そう言って、エリカはパリパリとキャベツを咀嚼し始めた。
「あんまりヴィヴィアンを沼らせるなよ。ギャンブルはほどほどにだぞ!」
ラルフは一応忠告をしたが、立ち去る彼の背後からは、怪しげな企みを語る二人の声がひそひそと聞こえてきた。
「それで、エリカ殿、先ほどの共同馬主? というのは?」
「しっ! 声が大きいわ。いい話があるのよね。あなたも一口乗らない?」
おいおい大丈夫かよぉ、とラルフは深い溜息をついた。
その時、奥のテーブルから声が響いた。
「マスター! こちらにもパリパリキャベツを下さい!」
腹ペコ女騎士、ミラ・カーライルだ。同じテーブルには、海賊公社の女船長メリッサ・ストーンが座っている。
「よう、お前達。もしかして、剣を交えたら意気投合した感じ?」
「まあ、そんなところです。いつもむさ苦しい部下たちに囲まれているものですから。たまには同世代の女性と気兼ねなく語り合うのも新鮮でして」
メリッサがそう語る。確かに、彼女の部下たちは海の男たちばかりだ。
「騎士団も似たようなものですよ!」
ミラも同意する。なるほど、良き友人を得たのなら嬉しいことだ、とラルフは思った。
「二人とも、飲み物のおかわりはいるか?」
「私は林檎酒ハイボールで!」
メリッサが注文する。
「私は白のサングリアで!」
ミラも最近ハマっている果実を漬けた白ワインを再び注文した。
「はいよー、少々お待ちぃー」
ラルフはドリンク係のメイドにオーダーを通す。
「ラルフ・ドーソン様! どうかこのフレーバービールとやらを我が国にも輸出して下さい!」
真っ赤な顔をしたどこかの国の大臣が叫んだ。
「あー、もう。はいはい。……おーい、誰かこの中にフレーバービール造ってる農家はいるかぁ? それか出資してる奴は?」
すると、王国の貴族たちが集まるテーブルから、
「おー! それなら私が話を聞こう! 麦農家への投資をはじめたところなのだ!」
渡りに船とばかりに、デューゼンバーグ伯爵が手を上げた。
「じゃ、そちらで良きようにお願いしますよ」
面倒なことはすべてぶん投げ、ラルフは厨房に戻っていく。
実は、この出来事を機に、王国を含めた各国は、何かしらの政治的解決や外交問題上の解決が必要になった時、とりあえずロートシュタインの居酒屋領主館に行ってみる、という密かな外交通商の場となっていく。ラルフはその気配を察してしまったが、まあ面倒くさいのでなるべく関わらないようにした、というのが後日談である。
そしてまた、領主館の扉が開かれた。
「いやぁ、お腹すいたぁ! ラルフ様ぁ! ハイボールと冷製トマトパスタ下さーい!」
吟遊詩人のソニアが現れた。祭りの期間中、一日に何度もステージをこなしている彼女は、かなり忙しそうだが、実入りが良いようでホクホク顔だ。
「はいよー」
「えっ?! ソニアさん!」
「あ、ウソ! ホンモノだぁ!」
「あ、あの、サイン下さい!」
と、一部の客たちにたちまち囲まれてしまう。
「あ、ふぇ! てっへっへっへっへー!」
ソニアはまんざらでもなさそうだ。
「あっ! ねえ! ラルフ様もいるし、まさか今夜ここで、ラルフ&ソニアが聴けるの?!」
「えー!! 本当に?! こんなに間近で?!」
と、謎の妄想を繰り広げた客たちが興奮しだした。
「えー! どうしますぅ?! 私は構いませんけどぉー! ラルフ様ぁ、どうしましょうかねぇ?!」
そう言いながら、ソニアは既にケースから弦楽器を取り出しつつある。
「はぁ」とラルフはため息をつき、包丁をことりと置いた。店の奥から弦楽器を持ち出してくる。
「じゃあ、ちょっとだけだぞ……」
そう言って、チューニングをはじめた。
「ふぉぉぉおお!」
「きゃー!! きたぁ! これきたぁ! 神対応!」
「うっそー! 来て良かったぁ!」
客席は大盛り上がりだ。
「じゃあ、聴いて下さい。ラルフ&ソニアで、新曲『スターマイン』」
息を合わせて二人の旋律が重なってゆく。
空の駅前広場ぁ、暗闇に回る黄色火ぃ♪
夢見る人は見た、淡く消える光ぃ♪
それは、ロートシュタインの夜空に輝く壮大な花火と、宇宙を巡る運命が交錯するかのような情景が浮かぶ、不思議な曲だった。
その場にいる誰もが、この忘れられない夜に、そして明日からも続くであろう滅茶苦茶な喧騒に、静かに乾杯をした。




