144.競馬場にて
真新しい石畳が陽光を浴びて鈍く輝くロートシュタインの競馬場は、熱狂の坩堝と化していた。ロートシュタイン祭に合わせ開催される「ロートシュタイン記念杯」を目当てに、王都との間を結ぶ大型観光魔導車は満員御礼。共和国、帝国、聖教国はもとより、遠く東大陸の王国貴族や商人に至るまで、色とりどりの民族衣装を纏った人々がひしめき合い、祭りの活気は最高潮に達していた。
ラルフ・ドーソンは、隣に立つ魔導士仲間のヴィヴィアン・カスターが放つ、どこか浮世離れした問いかけに苦笑した。
「馬を走らせて競わせるのですか?」
その瞳は、純粋な好奇心に満ちている。
「そう。来場者は、その勝ち負けに賭けるんだ」
ラルフの言葉に、ヴィヴィアンはふむ、と頷く。
「なるほど。ならば、足の速い魔獣なんかも、競争には向いていると思うが。例えば地竜とか」
彼女は、魔獣を手懐けることに長けたプロのテイマー。その発想は、ラルフの前世の知識では及ばぬものだった。
「なるほどなぁ。それは思いつかなかった」
公営ギャンブルといえば競馬――ラルフの中に凝り固まっていた固定観念が、音を立てて崩れていく。
「あと、スピーダーバードという、とても足の速い飛べない鳥の魔獣もいる」
魔獣生態学者としての顔も持つヴィヴィアンの知識は、どこまでも深淵だ。ラルフは(うん。ダチョウかな?)と心の中で呟き、その姿を思い描いた。
「あっ! だったら、足の速い獣人族を走らせるのも……」
この世界には獣人族がいる。居酒屋領主館で働くハルも、愛らしい猫耳を持つ少女だ。その言葉を聞いたラルフは、突拍子もない想像に囚われた。
(なら、馬の獣人もいるのか? それなら、ウマ獣人の娘を走らせて。さらにアイドルのように歌って踊らせれば……)
「いかんいかん!」
ラルフは頭をブンブンと振った。それは、いくらなんでもやり過ぎだろう。己の妄想に一人ツッコミを入れ、既のところで思い留まる。
二人はビュースタンドのフードコーナーへと足を向けた。甘い香りが漂う中で、大穴ドーナツを手に取ると、熱気を帯びた群衆の中を食べ歩く。傍から見れば、まるでデートのように映るかもしれない。しかし、かつての同級生である二人の間に、そのような浮ついた感情は微塵もない。
ふと、ラルフの視線がフードコーナーの一角に釘付けになった。見慣れた人物が、大盛りのトンカツカレーを黙々と咀嚼している。エリカだ。
「おい! エリカ! やっぱりここにいたか!」
ラルフの声に、エリカはもぐもぐと口を動かしながら顔を上げた。
「何よ? 何か用?」
まるで心底面倒くさそうな声色に、ラルフの眉間に皺が寄る。
「なんなんだ、お前の予想屋エリカちゃんって! 他の貴族たちからすっごい文句言われたんだぞ!」
エリカはふん、と鼻を鳴らした。
「予想はあくまで予想よ。そんな当たるも八卦当たらぬも八卦みたいな占いに大金叩いてすがる奴がバカなのよ」
「ぐぅぅ!」
ラルフは奥歯を強く噛み締めた。彼女の言うことは正論だ。揺るぎないド正論。しかし、どうにも納得できないのはなぜだろうか。
「で、アンタ達も馬券買うの?」
エリカの問いに、ラルフは肩をがっくりと落とした。
「いや、僕はいいや。なんか、ギャンブルは懲りた」
だが、意外にもヴィヴィアンが興味を示した。
「私は、試しに買ってみようかな。しかし、賭けるにしても、何を根拠に勝ち負けを予想すればいいのだ?」
ヴィヴィアンの言葉に、エリカはふんっ! と得意げに胸を張ると、競馬新聞をバサリと開いた。
「競馬はねぇ、データが九割、残りの一割はインスピレーションよ。血統、戦績、体調、天候、右回りか左回りか。パドックでの様子を見ておくのも必須ね。そして、最後の最後は、インスピレーションよ。勝負の神に祈り、その神託を聞くのよ」
ヴィヴィアンは「なるほど……」と感心したように呟いた。
「おーい、ヴィヴィアン。そいつの言うことは話半分に聞いとけよぉ」
ラルフは慌てて忠告する。しかし、ヴィヴィアンはエリカに向き直った。
「それで。エリカ殿はどの馬に賭けたんですか?」
エリカは顔をしかめ、視線を泳がせた。
「私は三連単。……いえ、詳細は言わないでおくわ。ちょっと、ジンクスがあるのよね」
その言葉を聞いたラルフは、盛大に呆れ顔になった。確かに、前世でもこの手のギャンブル狂いたちは、やけに験担ぎが好きだった気がする。
「オッズはどうなってる?」
一応、ラルフは尋ねてみた。
「荒れてるわねぇ。ここまで荒れてるのは、私でもはじめて見たわ。おそらく、他国からの客入りが多いせいね。データを見ずに、直感やら見た目だけで判断する人達が多いからなんじゃないかしら?」
エリカは自信満々に語る。
「で。予想屋エリカちゃんとしての見解は?」
ラルフが煽るように尋ねると、エリカはしたり顔で頷いた。
「そうねぇ。まずはブラッドフォルク。古王朝の騎士団で使われていた血統よ。戦績も悪くない。一着争いに間違いなく絡んでくるわね。そして、このサイレントオラクル。この馬は目が見えないと言われてるの。その分、冷静沈着。後半に伸びてくるその様はなかなかの迫力よ」
「うーわ、マジで詳しいんだけど、こいつ」
ラルフはドン引きしてしまった。エリカはそんなラルフの反応など気にする様子もなく、話を続ける。
「ヴァルメリアカタラクトもまあまあ人気ね。真珠の瞳とも呼ばれる、美しい馬よ」
ヴィヴィアンは「ふむふむ」と熱心にメモを取っている。その真剣な表情に、ラルフは思わず身を乗り出した。
「いや、ヴィヴィアン、ハマるなよ? ギャンブルは、節度を守ってほどほどにな」
かつての同級生の真っ直ぐな瞳が、ギャンブルの魔力に囚われてしまうのではないかと、ラルフは心底心配になった。




