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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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143.同人誌即売会

 ロートシュタイン領、大図書館のホールは、独特の熱気に渦巻いていた。普段の静寂とはかけ離れた喧騒の中、大勢の人々が真剣な眼差しで目の前の品々を吟味する。その誰もが目をギラギラと輝かせ、己の趣向に合う一冊との出会いを求めていた。彼らが熱心に手に取っているのは、薄く、しかしどこか強い魅力を放つ本だった。

 株式会社グルメギルド出版のヨハンは、この光景を目の当たりにして、感慨に浸っていた。数週間前、彼はラルフに何気なくこぼしたのだ。


「あーあぁ。ラルフ様のドラゴン討伐を描いた作品、祭りまでに出版したかったんですけどねぇ」


 すると、居酒屋領主館の客席で、すでにベロンベロンに酔い潰れていたラルフが、突如として奇妙な笑い声を上げた。


「じゃあ、なんなら薄い本でも出すかぁ? ヒャッヒャッヒャー!」


 ヨハンは、その言葉をどうしても聞き捨てならなかった。薄い本? 本は、もしかして、薄くていいのか? その瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が全身を駆け抜けた。長年、書籍とは分厚く、重厚であるべきだという固定観念に囚われていた自身の愚かさに、彼は打ちのめされた。


「ラルフ様! 今なんと言いました?! 薄い本?!」


 ヨハンは、酔っ払ってフニャフニャになったラルフの胸倉を両手で掴み、興奮した声で問い詰めた。彼の瞳は、新しい世界の扉が開かれたかのように輝いている。


「ファー? ああ、薄い本。同人誌ってやつだな! 商業作家じゃない素人でも好き勝手に書いて、即売会で売るんだよぉ!」


 薄い本! 同人誌?! 素人でも?! 好き勝手に書いていい?! 即売会?! ヨハンの頭の中で、新しい概念が洪水のように押し寄せ、既存の常識を打ち破っていく。


(何だそれは? 何だそれは?!)


 彼の脳裏には、新しいビジネスモデルの巨大な可能性が広がる。出版業界の常識を覆し、誰もが自由に表現し、それが商品となる。これは革命だ。


「ラルフ様!! あなたはやっぱり天才です!」


 ヨハンは感動に打ち震え、ラルフの手を握りしめた。ラルフは、どこか遠い目をして、得意げに返した。


「うん、知ってるぅー!」


 ヨハンは走った。領主館を飛び出し、そのままグルメギルド出版へと猛然と駆け出した。薄い本! なぜ本は分厚くなければいけないという固定観念があったのだ?! 薄ければ安く売れるではないか?! なんで、なんでそんな簡単な事に気が付かなかったのだ?! 悔しさと、新たな事業への興奮が入り混じり、彼の胸は高鳴るばかりだった。


 そして、株式会社グルメギルド出版は、このロートシュタイン祭で、同人誌即売会を企画した。結果は、大大大盛況だ。大図書館のホールは、開場からわずか数時間で、人の波で埋め尽くされた。

 今、会場の裏手では、写本師たちが鋭意増産中だ。彼らの手は休むことなく、ペンが羊皮紙の上を滑り、インクが新しい物語を紡ぎ出す。今回に限っては、彼らには歩合制が採用され、書けば書くほど報酬が支払われる契約になっていた。彼らの傍らには、ラルフの同級生で錬金薬学のプロ、アルフレッドから提供された回復ポーションがズラリと並んでいる。疲労困憊の写本師たちがそれを飲み干すと、みるみるうちに顔色が良くなり、再びペンを握る。その光景は、まるで錬金術の釜から魔法の力が湧き出しているかのようだった。


「おー! ヨハン。どうよ? 売れ行きは?」


 即売会の会場に、ラルフがふらりと現れた。彼の顔には、まだ酒の気配が残っているが、瞳には好奇心が宿っている。


「ラルフ様! はい。ご覧ください。まさかの、こんなにも来場者が来てくれましたよ!」


 ヨハンは、喜びと興奮を隠しきれない様子で、会場を見渡すように手を広げた。そこには、王国の貴族だけでなく、共和国や帝国の人々の姿も見える。普段は敵対し合う国の者たちが、肩を並べて同じ「薄い本」を手に取り、熱心に読み耽っているのだ。


「どんなのが売れてるの?」


 ラルフが問いかけた。


「今のところ一番は、この『インタビュー・ウィズ・パイレーツ』ですね」


 ヨハンが差し出した薄い本は、燃える赤髪の女傑、メリッサ・ストーン率いる海賊公社の成り立ちを、インタビュー形式でまとめたものだった。その表紙には、精悍な顔立ちのメリッサが描かれている。ラルフは、その意外な人気に感心した。


「ラルフ様の同人誌も、結構人気ですよ?」


 ヨハンがにこやかに付け加えた言葉に、ラルフは首を傾げた。


「はっ? 僕の同人誌? そんなん、なんか手伝ったっけ?」


 ラルフに記憶はない。ヨハンから手渡されたのは、『公爵ラルフ・ドーソンの酔いどれ迷言集』と書かれている。表紙には、妙にデフォルメされたラルフのイラストが描かれており、すでに嫌な予感がした。


「はぁ?! ナニコレ?!」


 ラルフはページをパラパラと捲る。そこに書かれているのは、目を覆いたくなるような黒歴史だった。酔った勢いで口走ったであろう、あるいはそうでないであろう、痛々しい言葉の数々。


"飛ばねぇ公爵は、タダの公爵だ。ぎゃーはっはー!"


"いやー、フレデリックは偉いよ。本当に偉い。第八王子に生まれながら、手に職を付けようと頑張って日々チャーハンを作ってる。僕は、君の気持ちがわかる。八男って、それはないでしょう? って思っただろ? ぎゃーはっはー!"


"我は放つ! 光の白刃! えっ、この赤いハチマキは何かって? そういう流儀なのよぉ。ぎゃーはっはー!"


 ラルフは震えながら、顔を真っ赤にした。言った覚えはない! ないのだが、言いそう……。その自覚が、さらにラルフを打ちのめした。


「誰だ?! この同人誌の著者は?!」


 怒りに震える声で叫ぶラルフに、ヨハンは冷静に指を指す。


「えっ? そこに書いてありますよ?」


「ん?」


 著者:アンナ。


「アンナぁ! オンドゥルルラギッタンディスカー(本当に裏切ったんですかー)?!」


 ラルフの絶叫がホールに響き渡った。それは、毎夜毎晩酔い潰れる主人への、メイドからのささやかな仕返しだった。ラルフは、羞恥と衝撃で息も絶え絶えだ。その様子を見て、周囲の客たちは面白そうに笑っている。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 ラルフは荒い息を繰り返す。


「あと、結構、ドメスティックな内容の作品が支持されてるように思えますねぇ」


 ヨハンは、そんなラルフの様子など気にもせず、売れ筋の傾向を分析し続ける。


「ドメスティックとかいう言葉、どこで知った? 君ら、本当に凄すぎよね?」


 ラルフは、もはや呆れ果てていた。この世界の住人たちの情報収集能力と、それを消化し、表現する速度は、前世の彼が知る常識を遥かに凌駕している。


「例えば、この『刀剣百物語』著者:マティヤス・カーライル騎士爵」


「いや、あのオッサン、何書いてんの? いや、想像通りだわぁ」


 ラルフは、カーライル騎士爵の顔を思い浮かべ、苦笑した。彼の刀剣への異常なまでの愛は、誰もが知るところだった。


「あるいは、この『私の釣魚大全』とか」


「うん。わかった。ヴラドおじさんだな? 書いたの」


 ヴラドおじさん、つまりそれは国王ウラデュウスだ。ラルフは、ため息をついた。王族までが同人誌の世界に足を踏み入れているとは、恐るべしロートシュタイン。


「あとは。この『それからはカレーのことばかり考えて暮らした』」


「いや、もういい。それ、誰が書いたか、何故かわかってしまった」


 ラルフの脳裏には、昨日モーターボートで颯爽と去っていった金髪ドリルツインテールの少女の後ろ姿が浮かぶ。彼女のカレーへの情熱は、もはや狂気と呼べるレベルだ。


「アートコレクション本もかなり人気ですねぇ。ロートシュタインのアートオークションで競り落とされたアート作品の紹介です」


 ヨハンは次々と売れ筋の傾向を語る。ラルフはまたその薄い本のページをパラパラと捲ると、あるアート作品が目に留まった。それは、異様なほど精緻に描かれた仮面だった。


“『豊穣の仮面』作者:ミュリエル”

ロートシュタイン・オルデン芸術拍賣会げいじゅつはくばいかいにて、金貨千七百枚の値がつく。現在、王立美術館にて展示中。


 と、そこに記されている。

 ラルフは、酷い頭痛を覚えた。

(いや、あれかよ? マジで、あれがかよ?)

 あの酔い潰れていたエルフのミュリエルが、これほどの芸術作品を生み出してしまったとは。

 前世の同人即売会といえば、あくまでオタクの聖地だったが、ここは"ロートシュタイン・オタク"の聖地という文化が、まるで生き物のように急速に醸成されつつある。様々な分野の偏愛が、ここで形となり、人々の熱狂を呼んでいるのだ。


「あと、この『モフモフ図鑑』」


 ヨハンは、次なるヒット作を手に、目を輝かせる。しかし、ラルフはもう、それ以上聞く気力もなかった。


「いや、もういい……」


 ロートシュタインの祭りは、彼の想像を遥かに超えた、カオスと熱狂の渦へと変貌していた。


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― 新着の感想 ―
 ギッタンディスカー(ナツカシイー)ッ!?(笑)  ヴラドおじさんに『魚拓』は教えたのだろうか?
魔術師オー○ェン混ざってるーー笑 領主とは良い酒が飲めそうだ
紙の製造方法と活版印刷ぐらいラルフが教えてそうなものですが…
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