142.モフモフ動物園
「ちょっと疑惑というか、審議の必要があるように思えますなぁ」
ロートシュタインの広場に設えられた特設舞台。その前に立つ商業ギルドのギルドマスター、バルドルが、したり顔で問いかけた。舞台の上では、長机を挟んで、ラルフ・ドーソンが座っている。その隣には、常に冷静沈着なメイドのアンナ、そして王国を統べる国王ウラデュウスと、グレン子爵、デューゼンバーグ伯爵が控えめな表情で並んでいた。まるで前世でよく見た、テレビ越しの謝罪会見のようだ。いや、まさに、これは謝罪会見そのものだった。
ラルフは、不貞腐れたように、拡声魔法を刻んだ杖を口元に近づけた。
「えー、何が疑惑なのか全く存じ上げませんが。勝負は、公正公明に行われたと認識しておりますが?」
言い訳がましく、だがどこか投げやりな調子でラルフが応えると、広場を埋め尽くす民衆から、たちまち野次が飛んだ。
「うそだー!」
「不正を認めろー!」
その声は、広場の熱気と混じり合い、まるで巨大な生き物の唸り声のようだった。バルドルは、そんな喧騒をものともせず、鋭い視線をラルフに向け、詰問を続ける。その言葉には、熟練のジャーナリストのような、相手の隙を逃さない確かな技術が感じられた。
「こちらには確たる証言を得ておりますよぉ! 離宮での、ヴィヴィアン・カスター様との対戦を前に、公爵様ご自身が勝敗を決めつけたかのような発言をなさいましたでしょう? それによって、賭けのオッズが不当に変動し、少なからぬ者が損害を被ったと、記録が残ってんですよぉ!」
バルドルの追求は容赦がない。その言葉の端々からは、日々の激務で鬱積したであろうストレスを、この場で晴らしているかのような、どこか楽しげな感情さえ滲み出ていた。ラルフは、その苛立ちを隠せない。
すっと、不意に立ち上がり、そして――。
「誠に申し訳ございませんでした」
無表情で、深々と頭を下げた。そのあまりにも唐突で、そしてどこか事務的な謝罪の仕方に、何人かの民衆が堪えきれずに噴き出すのが見えた。
「それで損した連中も多いんですよ。為政者として、そういうのは、どうなんですかねぇ? このロートシュタイン領に対する不信感にも繋がる。せっかく各国からの来賓を迎え入れているこの時期に、そういう不正じみたことをされるとねぇ。こっちも困るんですよ!」
バルドルの追撃は続く。その声は、一段と熱を帯びていく。
「だから、申し訳ないと。頭を下げたでしょう?」
ラルフのイライラは、もはや頂点に達していた。なんだこの茶番は?! 彼の内側で、理性という名の綱が、今にも切れんばかりに軋む音が聞こえた。
「頭を下げるとか、そういうことじゃないんですよ。それが民衆に対する王侯貴族様の態度ですかね? 誠意ある対応をしないとね、そういうとこなんですよ。我々は……」
バルドルの、もはや説教じみた発言を遮るように、ラルフは目の前の長机を、文字通りひっくり返した。ドガシャ! と鈍い音を立てて木製の残骸が広場に散らばる。そして、ツカツカと客席へ歩みを進めると、驚きに固まるバルドルの襟首を掴み、そのままプロレス技のような体勢に持ち込んだ。
「痛い! 痛い! このような横暴が許されるのですか?! 権力以前の問題だ! 暴力だ! ロートシュタインはこのような粗暴な領主を許していいのかぁ!」
バルドルは、断末魔のような悲鳴を上げ、四肢をばたつかせた。壇上のアンナも、国王ウラデュウスも、その表情はぴくりとも動かない。しかし、対照的に客席からは、割れんばかりの爆笑の嵐が巻き起こっていた。それは、理不尽なまでの権力への鬱憤が、この一幕で昇華されたかのような、爽やかな笑い声にも聞こえた。
祭り三日目の午前。謝罪会見という名の、とんでもない「バカ騒ぎ」のイベントに駆り出されたラルフは、やれやれと肩をすくめながら、愛用の魔導車:ロードスターを運転し、街外れの農園へと向かった。目指すは、冒険者ギルドと、クレア王妃が共同で主催するモフモフ動物園だ。
麗らかな日差しが降り注ぐ中、目的地に到着すると、芝生の上には確かに、様々な種類のモフモフした魔獣たちが、のんびりと放し飼いになっていた。「ヌー、ヌー」と間抜けな鳴き声を上げる、毛玉のような魔獣がラルフの足元にすり寄ってきた。
「あら、ドーソン公爵。ご苦労ですね」
優雅な声と共に、クレア王妃が姿を現した。その隣には、数人の護衛が控えている。
「あ、ああ。クレアさま。あのー、こいつは?」
ラルフは、足元にいる白い毛玉を指さした。
「それは、ラヌートという魔獣の幼体ですよ。かわいいでしょう!」
クレア王妃は、微笑みを浮かべて答える。ラルフは、(いや、ただの毛玉だ)と思ったが、流石に口には出さなかった。
「で、どうですか? 売れ行きは?」
「入場料はいただいていないのですが、飲食だけで全然黒字になりそうなんですよー」
クレア王妃の言葉に、ラルフは納得した。確か、このモフモフ動物園は、ヘンリエッタ・カフェがコラボしており、園内でカフェメニューが注文できるようになっていたはずだ。前世でいうところの"猫カフェ"のようなものだろう、とラルフは頭の中で整理した。
見渡してみれば、なるほど、その賑わいには目を見張るものがあった。あちこちで、ヤマネコのような魔獣に抱き着いて「スーハー、スーハー」と恍惚とした表情を浮かべる共和国や帝国の御婦人方が見受けられる。彼女たちの表情は、まさに至福そのものだった。
ラルフは、再び足元にすり寄ってきたラヌートを抱き上げた。
「ヌー、ヌー」
と、相変わらず間抜けな鳴き声を上げる。ただの白い毛玉。まあ、可愛い、のか?
いや、どうだろう? しかし、このモフモフ動物園は、国を跨いだモフモフ愛好家たちの新たな社交場として、見事に機能しているようだった。ラルフは、その光景を前に、何も言わなかった。彼の心には、また一つ、このロートシュタインが築き上げた、奇妙で、だが確かに人々の心を癒す場所が加わったという、静かな満足感が広がっていた。




