141.女剣士の戦い
「いやぁ、ヒデェ目に遭ったぜ……」
水を滴らせたラルフ・ドーソンが、ぶつぶつと文句を言いながら王族離宮に上がり込んできた。彼の濡れた足跡が、磨き上げられた床に点々と残る。
「だから! 濡れたまま上がってくるなと言っておるだろ!」
ウラデュウス国王の怒鳴り声が、離宮に響き渡った。その場に集まっていた貴族たちは、もはや日常風景と化した国王と領主のやり取りに、苦笑いを浮かべるばかりだ。
「《全自動洗濯乾燥》」
両手を広げたラルフがそう唱えると、彼の周囲に魔法の光とつむじ風が巻き起こった。瞬く間に、彼の身に付けた衣服の汚れと湿り気が吹き飛ばされていく。その鮮やかな魔法使いぶりに、その場の誰もが呆れつつも感嘆のため息を漏らした。
(また妙な魔法つくったな?)
貴族たちの心の中には、共通のツッコミが湧き上がっていた。
「ドーソン公爵よ。おかげさまで儲けさせて頂きましたよ!」
「いやー。まさか、テイマー魔導士があんなにお強いとは」
ヴィヴィアンに賭けて大儲けした貴族たちが、ここぞとばかりに声をかけてきた。彼らの顔には、満足げな笑みが浮かんでいる。
「うん。負けた方に言うことじゃないよね? 割と僕だって傷つくからね? 稼いだなら後で酒でも奢ってくれない?」
ラルフは嫌味を言ってみるが、彼らの反応は素早い。さささっ! と、冷たいお茶が差し出された。なんか色々納得いかないが、とりあえずお茶で喉を潤す。その冷たい感触が、強制水浴びのおかげか、すっかり二日酔いが治まっていることに気づかせてくれた。頭の芯に残っていた重苦しさが、嘘のように消えている。
するとそこへ、グレン子爵が対戦者表を手にやってきた。
「次の対戦者も、なかなかに興味深いぞ!」
ラルフは、子爵の手元に視線を移す。
「ん? んん?! 確かに、これは面白いかも」
ラルフの目に飛び込んできたのは、居酒屋領主館の名物常連客同士の名前だった。
メリッサ・ストーン vs. ミラ・カーライル
海賊公社の女船長メリッサと、腹ペコ女騎士のミラ。メリッサは元共和国海軍の士官だったわけで、その戦闘力は高いはずだ。そして、ミラは「腹ペコ」という不名誉な二つ名こそあれど、腐っても王国騎士団所属。これは結果が読めない。離宮に集まる貴族たちも、ウンウン唸りながら、ああでもないこうでもないと、不毛な予想合戦を繰り広げている。
「ん?」
ふと、ラルフは水上に小舟を浮かべる見慣れた人物を見つけた。彼女は遊覧船の観光客や水上マーケットの人々に自慢のカレーパンを売っているが、そのついでとばかりに、風にはためくのぼりには、こんな文字が書かれていた。
“予想屋エリカちゃん”
カレーパン屋の副業が予想屋とは、貪欲といえば良いのか、したたかというか。とりあえずラルフは、たまらず叫んだ。
「おい! エリカぁ! ちょっとこっち来い! お前の予想聞かせろ!」
エリカの乗った小舟が、スーッと波を立てずに離宮に近づいてきた。その滑らかな動きは、彼女の商売に対する手腕を思わせる。
「まいど。銀貨一枚よ」
エリカはにこやかに、しかし一切の妥協なくそう告げた。
「えっ! 高くね?!」
ラルフは思わず叫んだ。
「どうせアンタだけじゃなくて、ここにいる人達全員聞くんでしょ? それに、ギャンブルなんてねぇ。やるもんじゃないのよ? 普通なら。自分から銭捨てに行ってるクセに他人様から意見を聞こうなんて愚か者からはねぇ、こんくらいとってもバチは当たらないわよ」
エリカの言葉に、ラルフはぐうの音も出ない。出ないのだが!
「どの口が言ってんだ?!」
たまらずラルフは強烈なツッコミを入れた。だが、エリカは涼しい顔だ。
「で、どうするの? 買うの買わないの? あと、カレーパン欲しい人いる?」
ラルフは少しだけ興味が湧いてしまい、ためらいがちに銀貨をエリカに手渡した。
「あっ、儂、カレーパン食べたい」
「エリカちゃん、私にも一つ下さいな!」
貴族や御婦人方の何人かからはカレーパンを所望する声が上がった。エリカはにこやかに「まいどー」と答え、小舟に積んだ保温機から熱々のカレーパンを取り出した。
「で? 女船長と腹ペコ騎士。お前の予想だと勝つのはどっちだ?」
ラルフが問うた。エリカは金髪ドリルツインテールを揺らし、確信に満ちた表情で告げた。
「ふんっ! ズバリ、私の予想は。ミラ・カーライルの勝利ね!」
それを聞いた貴族たちがガヤガヤと話し始めた。ざわめきが湖面に響く。
「その根拠を聞いても?」
ラルフは腕を組み、エリカにさらに問いかける。
「まず。元海軍将校のメリッサ・ストーンは有能な指揮官ではあるのでしょうけど、一介の戦士としての実力は疑問符を付けざるを得ないわね。そして、ミラ・カーライル。彼女は王妃クレア様がロートシュタインに滞在中にはしばしば模擬戦を行い、稽古をつけているわ。王妃直伝の剣筋を会得できているとすれば、彼女の方が圧倒的優位性を確保しているわ」
「なるほどなぁ」
「そりゃあ、そうか」
と、その場にいる貴族たちは納得の声を上げた。エリカの言葉には、説得力があった。
そして、いざ尋常に、勝負!
浮島の上で向かい合う、女剣士二人。メリッサの鋭い眼光と、ミラのどこか飄々とした佇まいが、対照的だ。この名勝負を観ようと、湖面には見物客の貸し舟や遊覧船が集まって来た。湖上は、まるで水面に浮かぶ観客席のようだ。
メリッサとミラは、互いに歩み寄り。
「あっ、どうも。よろしくお願いします」
「あっ、はい。こちらこそ、お互いに頑張りましょう」
なんだかよそよそしいというか、気まずそうというか、そんな平和的な挨拶と握手を交わした。その光景を見ていたラルフは、心の中で呟いた。
(ああ、うん……、なんというか。普通の、一般社会人だな)
確かに、二人は居酒屋領主館の常連ではあるが、あまり接点はなく、顔見知り程度の間柄だった。歳も近いし、同じ女性ということで、何かしらドラマチックな関係性があるような気がしていたが、世の中こんなもんである。もっとこう、
(騎士ミラ・カーライル。得意なのは大食いだけではないと証明してみよ)
(ふっ、海賊公社の女傑、燃える赤髪のメリッサ・ストーン。相手にとって不足なし!)
みたいな、マンガとかアニメっぽい、そういうやり取りを期待していたラルフは、なんだかバカみたいではないか、とため息をついた。
「はじめ!」
ついに勝負が始まった。湖面に集まった観客たちが、一斉に息をのむ。
「キャー! 船長! かっこいい!」
「ミラさーん! 頑張ってぇ!」
意外にも女性ファンが多いようだ。熱狂的な声援が飛び交う。
「ふっ!」
と一息、メリッサが木剣を引き込むようにして突進する。その動きは、まるで熟練の戦士のそれだ。それをミラは受けることなく、素早い摺り足で横に大きく回避する。追い打ちをかけるようにメリッサの強烈な突き。しかし、わずかに届かない。
「おいおい! メリッサ強ぇじゃん!」
ラルフは驚きの声を上げた。彼の予想を上回るメリッサの剣技に、貴族たちも息を飲む。
「むっ! あれは、剣術というより、体術に近い気がするな。剣撃の瞬間まで、得物の軌道を隠していたのだ!」
国王の解説が入った。彼の目は、真剣に二人の戦いを見つめている。
「はぁ!」
ミラが大振りの一撃の構え。メリッサが素早く後退る。しかし、ミラはすぐに攻撃をキャンセルし、恐ろしく低い前屈みの態勢で突進した。まるで猫科の獣が獲物を追いかけるようだ。木剣同士がぶつかり合う。カンッ! という乾いた音が響き渡る。鍔迫り合いを嫌ったメリッサが左足をミラの右ふくらはぎの内側に絡めさせ、投げ飛ばそうとする。ミラは浮島をズサァ! と滑りながら転倒を回避。またもメリッサの強烈な突きが、ミラの頬をかすめる。
「うぉー!」
「スゲェ! 名勝負じゃねーか!」
「なんかヤバいもん観れてる! 来て良かったぁ!」
観客たちは大盛り上がりだ。歓声と興奮が、水上都市全体を包み込む。
「おい! エリカ! 本当に大丈夫なんだろうなぁ?!」
ラルフは不安になってきた。しかし、エリカは小舟の上で腕を組み、不敵な笑みを浮かべるばかりだ。
「せいやぁ!」
ミラの横薙ぎ。それをバックステップでメリッサは紙一重で回避すると、木剣を左手に持ち替え、身体を独楽のように回転させ、ミラの懐に肉薄する。
ゼロ距離の間合いでミラは左肩をメリッサの胸に打撃させ、剣撃の間合いを作る。
メリッサは咄嗟にしゃがみ込み、下方から片手一本突き。ミラは木剣を逆手に持ち替え、メリッサの首筋を狙う一撃を放つ。
そして、二人はピタリと静止した。まるで時間が止まったかのように、静寂が訪れる。
ミラの額には浅い切り傷ができており、血が滲む。そして、彼女の髪の毛が数本ハラリと音もなく落ちた。対するメリッサは、ミラの木剣の切っ先を左手で握りしめていた。その指先からは、血が滴っている。
「勝負、ありましたかね?」
メリッサが、息を弾ませながら聞いた。
「ああ。もしこれが実戦なら、そちらは指を失ったでしょうが。こちらは戦闘継続は不可能だったでしょうね」
二人は息が上がりながら、互いの健闘を称え合った。その表情には、清々しい達成感が浮かんでいる。
「いやー、すげぇ。いいもん観れたぁ」
と誰かの呟きが、湖面を滑る風の中に溶けていった。
「そういえば、水に落ちたら負けなんでしたっけ?」
メリッサがミラに問いかけた。
「ああ! そう言えば、そうでしたね。なーに、騎士は散り際もわきまえているものです」
そう言って、ミラは浮島の縁に立つ。彼女の顔には、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。
「ええっ? こんな感じで終わっちゃっていいんですかね?」
メリッサは戸惑うが、ミラは首を横に振る。
「構いません。やってください」
「はぁ。では、失礼して」
メリッサはそう言って、ミラの背中を軽く押した。ボチャン! とミラは水しぶきを上げて落水し、勝負は決した。
「ふぉー!」
「いぇー!」
「くっそー!」
その名勝負を見届けた観客たちは、歓声を上げたり絶叫したり。興奮なのか、賭けに負けた悔しさなのか、あるいは推しへの尊さなのか、自らドボーン! ドボーン! と水に飛び込み始める連中まで現れた。
「おい! エリカ! どうなってんだよ! お前の予想は?!」
ラルフは叫ぶ。離宮の貴族たちも、小舟に乗った金髪ドリルツインテールの少女の背中を恨めしそうに睨む。すると、エリカは何も言わず、ただ不敵な笑みを浮かべている。そして、
粛々と保温器の蓋を閉め、売上の入った小型金庫も仕舞い込むと、船尾でなにやらゴソゴソとし始めた。そして、スターターロープをブオンと引き上げると、ボボボボッと、魔導エンジンの音が聞こえてきた。
エリカは小舟にしがみつくような態勢を取り、ブォォォォォォン! と白波を立てながら、凄まじい速度で湖面を走り出す小舟。
正面に停泊する遊覧船を避けるため、華麗なるモンキーターンを披露し、エリカの姿は視界からあっという間に消えていった。
「はぁぁぁぁぁぁぁ?! 逃げやがった?! っていうか何あれ?! モーターボート?! 僕あんなの作った覚えないけど!!」
ラルフの絶叫が、水上都市に響き渡った。彼の叫びは、この祭りの混沌と、彼自身の制御不能な状況を象徴しているかのようだった。




