140.魔導士の戦い
ラルフは、中央広場の噴水の縁で目を覚ました。朝の光が目に突き刺さり、二日酔いの頭がズキリと痛む。
(えっ、ナニコレ?)
状況を把握しようとするが、思考がまとまらない。マジックバッグからポーションを取り出し、グビリと飲み干す。喉の奥で薬液が熱く流れ込み、じわじわと痛みが引いていく。だいぶマシにはなったが、腹の底に吹き溜まる憂鬱さは消えない。
「というか、公爵が道端で酔い潰れてていいんか?」
という声が聞こえてきそうだが、見渡せば、文字通り死屍累々といった状況だった。朝の日差しの中、本来爽やかなはずの風には、酔っ払い特有のすえた臭いが混じっている。あちらこちらに、昨夜の宴の残骸のように、酔い潰れた者たちが普通に路上に転がっていた。貴族らしき豪華な衣装をまとった者から、泥だらけの冒険者まで、身分も関係なく同じように伸びている。
「やっと、お目覚めですか?」
メイドのアンナが、いつからか傍らにしゃがんでいた。その声は、いつもと変わらぬ穏やかさだが、どこか冷ややかさを帯びている。
「アンナ、すまないなぁ。迷惑ばかりかけて……」
ラルフは、弱々しく謝罪の言葉を口にした。
「そう思うなら、もう少し自重して下さい!」
珍しく感情をあらわにするアンナ。その声には、怒りにも似た強い感情が込められていた。彼女がこのように烈火のごとく憤怒する表情は滅多に見られない。ラルフは、ただただ平謝りするしかなかった。
「あー、いやー。なんか、色々、上手くいったねぇ! はじまり良ければ、すべて良し! なんて……」
どうにか現状を肯定しようと、ラルフは乾いた笑いを漏らした。しかし、アンナの冷たい視線が彼を射抜く。
「一度。領主館に戻り、湯浴みでもなさったらどうですか? それが嫌なら、今からその噴水の泉に蹴落として差し上げますが?」
(めちゃくちゃ怒ってるやん?!)
ラルフはもう何も言えなくなった。確かに、昨晩はオープニングセレモニーが成功し、その後で共和国の参事会議員や、高級ホテルオーナーに成り上がったマリアンヌさんといった面々と、歌えや踊れの大騒ぎをしたという薄っすらとした記憶はある。だが、何がどうなったのか、最早覚えていない。脳裏に浮かぶのは、ただただ楽しかったという漠然とした感情だけだ。
とりあえず、領主館で身だしなみを整え、ラルフは水上都市へ向かった。途中、道端にエルフのミュリエルが酔い潰れて高いびきをかいているのを見た気がするが、深く考えないようにした。今はそれどころではない。
水上都市の人工湖に設けられた浮島では、剣技大会が催されていた。地元の子供たちや、腕自慢の冒険者たちが、木剣を手に戦っている。ルールはシンプルで、水に落ちたら負け。湖面には、時折、大きな水飛沫が上がっていた。
ラルフは、王族の水上離宮に上がり込んだ。国王ウラデュウスが、優雅に茶を嗜んでいる。
「む? そなたの出番は、すぐではないのか?」
国王の言葉に、ラルフは二日酔いの重い頭を抱えたまま、対戦者表を見た。そこには、目を疑うような文字が記されていた。
ヴィヴィアン・カスター vs. ラルフ・ドーソン
「えぇ。いや、マジで無理ですわぁ。相性悪いんですよぉ。一対一だと、本当に厄介なんすよぉ!」
ラルフは、心の底から嫌そうな顔をして訴えた。その場にいる誰もが、ラルフの言葉が信じられなかった。大魔導士であるラルフが圧倒的に有利ではないのか? それに引き換え、ヴィヴィアンはテイマーという、この世界では不遇職とされているのだ。そのラルフの発言を聞いた者たちが、ざわめき始め、賭けの対象をヴィヴィアンへと切り替えた。
浮島の上に、かつての同級生である二人が相対した。ラルフと、冷徹な表情を浮かべるヴィヴィアンだ。
「へっ、お手柔らかに」
ラルフは乾いた笑いを浮かべて言った。ヴィヴィアンは、真っ直ぐにラルフを見据える。
「すまんが、ラルフ・ドーソン。全力で、いかせてもらう。でなければ、貴方ほどの魔導士は、倒せない」
ヴィヴィアンの言葉には、一切の迷いがなかった。ラルフは、彼女の実力を知っている。もし、小さな毒虫をテイムして、今まさに服の下に潜り込ませられたら終わりだ。さらには、強大な魔獣を大量にけしかければ、ラルフといえども勝ち目はない。この世界では不遇職だろうと、目の前の敵は決して侮れないのだ。
ラルフは、身体強化の魔法を全身に纏わせた。その肉体が、わずかに輝きを放つ。すると、バシャ! と、人工湖の水面から突如として無数の黒い触手が湧き上がった。それは、ラルフの身体を瞬く間に搦め捕り、彼の自由を奪った。
「ギャー! なにこれ! なんだこれ!」
ラルフは浮島の地面にしがみつくが、触手の力は想像を絶するものだった。
「それは、テンタクルス。遠洋に棲まう魔獣だ。三日前から淡水に徐々に慣らして、この湖に密かに棲まわせていたのだ!」
ヴィヴィアンの声が、冷ややかに響き渡る。その言葉に、観客たちはどよめいた。まさか、そこまで周到な準備をしていたとは。
「そこまでするかぁ?!」
ラルフは叫んだ。しかし、彼の声は途中で途切れる。無情にも、彼は湖へと引き摺り込まれた。
ラルフ・ドーソン、敗北。
観客たちにとって、それはまさかの、そして衝撃的な結果だった。水面には、大きな波紋だけが残されていた。




