139.パレード
はじまりは、漆黒の闇だった。
ロートシュタイン中央広場に集いし何万という観衆のざわめきが、どよめきへと変わる。すべての魔導灯の火が落とされ、広場を包み込むのは、ただひたすらの暗闇。人々は、自分たちの鼓動が、これからはじまるであろう未知の騒動への期待で、狂おしいほどに高鳴っているのを感じていた。一人一人の息遣いが、その場の張り詰めた緊張感をさらに膨張させてゆく。誰もが舞台が設置された方向へと目を凝らし、これから起こるであろう奇跡を予感していた。
その刹那、力強く、伸びやかなラッパの音色が、静寂を切り裂いた。
丁寧に、そしてゆっくりと音階を登りゆくメロディー。それは、まさに天から降り注ぐ福音のようだった。ラルフの拡声魔法によって、その音色はロートシュタインの街全体に、いや、この世界の隅々にまで届くかのように鳴り響く。
そして、次の瞬間、爆発とも錯覚するほどのファンファーレが、人々の身体を、魂の奥底までをも貫いた。宮廷楽団の、全員による、心臓を鷲掴みにするような全力の音の一撃。
「うぉおおお!」
「キャー!!!」
「なんだこれ?! なんだこれ?!」
観客たちの興奮は、もはや制御不能だった。度肝を抜かれた人々は、叫び、跳ね、その感動を全身で表現する。魔道具による照明が、赤、黄色、緑の鮮やかな光を放ち、まるで音そのものが具現化したかのように、空間を駆け巡る。
太鼓の音が、ゆっくりと、しかし確実にリズムを刻みながら、そのテンポを落としてゆく。そして、再びあのラッパのシンプルな上昇旋律。
舞台の袖で指揮棒を振るう楽団長のオルランドは、このたった短い時間の中で、すでに大量の汗をかいていた。彼の顔には、狂気的なまでの笑みが浮かんでいる。
(なんだ?! なんなのだ?! この高揚感は、なんなのだこの楽曲は?! やはり、あの若き大魔導士は天才だ! いや、音楽の女神、ミューズが遣わされた使徒なのではなかろうか?!)
ラルフがこのロートシュタイン祭のオープニングセレモニーの開幕に選んだ楽曲は、前世で幾度となく人々の心を震わせてきた、あの有名な、
『ツァラトゥストラはかく語りき』だった。
その壮大な旋律は、まるで宇宙を駆ける惑星運動を描いたかのようであり、聴く者の魂を遥かな高みへと誘う迫力に満ちていた。前世でも、このような大一番の場面では何かと便利な楽曲だったと、ラルフは密かにほくそ笑む。
再び、強烈なファンファーレが轟く。
「うぉー!」
「いぇー!」
そして、この楽曲の最大の盛り上がりであるセクション。舞台裏で待機していた魔導士たちが、満を持して魔術を夜空へと打ち上げる。それは、ラルフが開発した爆裂魔法の応用、《速射連発花火》。夜空に咲き乱れる無数の光の花が、人々を歓喜の渦へと引きずり込む。
色鮮やかな照明と魔力花火の明滅により、それまで闇に包まれていた舞台の上空が、突如として照らし出された。
すると、そこには。
威風堂々とした立ち姿の、赤色の巨大なワイバーンがそびえ立っていた。その皮膚は鱗に覆われ、魔導光に反射して鈍く光る。
「ギャオオオオオオ!」
ワイバーンは夜空に向かって咆哮し、特大のブレスを放った。火炎の奔流が夜の闇を切り裂き、その熱気が観客席にまで届く。
「うわぁぁぁぁ!」
「わ。わ、ワイバーンだぁ!」
観客たちはもはやパニックだった。恐怖と興奮が入り混じった叫び声が広場に木霊する。しかし、誰もがその圧倒的な光景から目を離すことができなかった。
そして、ワイバーンの巨大な体の後ろには、王国の旗と、誇らしげなロートシュタインの旗が、夜風にはためいていた。
そして、またも唐突な暗転。
観客たちは訳がわからないまま、キョロキョロと辺りを見渡す。今、自分たちが目にしたすべてが、まるで幻だったかのように、暗闇と静寂が広場を支配していた。一体、何が起こったのか。興奮の余韻だけが、人々の胸に強く残っていた。
すると。
ポロロンっ、
と、弦楽器を爪弾く優しい音が、静かに響き渡った。その音色は、先の喧騒とはまるで対照的で、聴く者の心を穏やかに撫でる。
街道をゆく〜♪
山脈をこえてぇ〜♪
舞台上にピンスポットライトが淡く浮かび上がり始める。その光の中に、弦楽器を持って立つ、二人の姿が浮かび上がった。
「きゃああああ!! ラルフさまぁ!」
「ソニアさーん! ソニアさんだぁ!」
「うっそだろ! いきなりここでラルフ&ソニアの出番かよ?!」
女性たちの悲鳴にも似た歓声が、広場を揺らした。街道整備記念式典以来、ラルフとソニアは王都では、ちょっとした大人気フォークデュオのような存在になってしまっていたのだ。その人気と熱気は凄まじく、観客の中には、興奮のあまりバタリ、バタリと何人か卒倒し、医務室送りになるほどの者までいた。
鳥達は東へ♪ 僕は街へ♪
ソニアの伸びやかで透き通るような歌声と、ラルフの飄々としていながらも、その奥に確かな芯を感じさせる歌声が重なり合う。
そこに、静かに静かに、宮廷楽団のオーケストレーションが加わってくる。弦楽器の音色が、二人の歌声に深みと広がりを与え、聴く者の心を温かく包み込んだ。
君は待っているかい♪
旅の終わりにぃ♪
南風に言の葉を預けるように僕は歌う♪
ヒラヒラと舞い落ちる花びらの影ぇ♪
街道をゆく♪ 山脈をこえてぇ♪
この世界で古くから愛され、詠み人知らずのまま歌い継がれてきた名曲。ラルフは、遠い異国からここロートシュタインにやってくる人々を饗すのに、この曲が最も相応しいと思ったのだ。
曲が終わると、痛いほどの静寂が訪れた。誰もが舞台を見上げる。中には、とめどなく涙を流し、号泣している者もいた。その感動は、言葉では表現しきれないほどだった。
「ご来場の皆様。お待たせ致しました。ロートシュタイン祭! ……はーじまーるよっ!」
と、ラルフのなんだか締まらない、間抜けな挨拶に、何人かがズッコケた。しかし、それはそれで彼らしいと、人々は苦笑いをしながら酒を飲む。彼の奔放さが、この祭の自由な雰囲気を象徴しているかのようだった。
すると、またも壮大でいて、今度は軽快なファンファーレが「ダダダンダダダン!」と鳴り響く。
次の楽曲は『ラデツキー行進曲』だった。
ラルフは、これらの前世の楽曲を、なんとかこの世界で再現できないかと試行錯誤した。さすがの彼も譜面は書けなかったが、この世界のギターに似た弦楽器を爪弾きながらメロディーを宮廷楽団に聴かせたら、楽団のメンバーたちはあーだこーだと編曲を話し合いはじめ、みるみるうちに楽曲が組み上がってしまったのだ。
(さすが、プロは違うなぁ)
と、ラルフは感動すらしてしまった。
「あっ! あそこを見ろ!」
観客の一人が、歓声を上げて指差した。目抜き通りの向こうから、きらめく灯りを揺らして行進してくる人々の波。
そう、パレードだ。
「あっ! ポンコツラーメンの三人娘!」
「えっ! あっ、王都のネギたっぷり麺も来てるぞ!」
「おいおい! 串焼きのジーニーもいるぞ!」
突如として始まった行進は、なんと屋台の店主たちのパレードだった。それぞれが自慢の屋台を魔導車に改造し、キッチンカーのように走行できるようにしていたのだ。これもまた、ラルフの企みの一つだった。ロートシュタインと言えば、美食の街、そして食べ歩きの街。ならば、この祭の真の主役に相応しいのは、貴族でも、ましてや王族たちでもなく……。そう、屋台の店主たちなのだ。
「おー! パメラぁ! 頑張れよ!」
「ジュリ殿ぉ! 儂の推しぃ! はー! 尊い!!」
「セキレイのスパイスラーメンこそ究極!」
「トルティーヤ! トルティーヤぁ!」
「おい! ボブ! テメェ、出世したなぁ!」
「ペニーちゃん! ニニィちゃん! 陽だまりラーメン食堂、バンザイ!」
貴族も冒険者も、平民も農民も商人も関係なく、誰もが自分の"推し"の屋台に対して、熱のこもった応援の叫びを送る。
目抜き通りには、何十、いや何百もの屋台が煌びやかに装飾され、行進を繰り広げていた。皆、店主や従業員たちは、その声援に応えるべく、満面の笑みで手を振る。
その中には、魔導小型二輪車:キャブに跨り、後ろにリヤカーを括り付け、保温器にカレーパンを満載させたエリカの姿もあった。ハンドルを握るエリカは、いつもの不敵な笑みを浮かべてはいるが、どこか少し恥ずかしそうでもあった。顔に当たる風が、彼女の金髪ドリルツインテールをそよがせる。
「エリカぁ!」
「エリカちゃーん!」
「カレーこそ最強だろぉ?!」
意外にもエリカファンは多い。その多くが、居酒屋領主館の常連たちだ。
しかし、王都から訪れた貴族令嬢たちの中には驚愕の声も交じっていた。
「えっ? ウソ! あれ、エリカ・デューゼンバーグよね?!」
「ええっ?! 追放されて、奴隷落ちしたんじゃなかったの?!」
エリカのかつての同級生たちの雑音など、どこ吹く風だ。確かに、奴隷という最低な身分ではある。だが、普通の貴族令嬢とは違う。好きに生き、好きなものを食べる。そんな自由を与えてくれたのが、ここロートシュタインと、ラルフ・ドーソンという男だ。王都のお行儀のよい貴族令嬢たちの評判など、クソ喰らえ! 私はここにいるぞ! と、エリカは胸を張る。競馬に賭ける元手を稼ぐ為に……。
曲が変わる。今度は、陽気な『聖者の行進』だ。
来客者たちは、手拍子を叩きながら、酒を飲み、歌い出す者もいる。広場は、まさに狂乱の宴へと変わっていた。
そこへ、拡声魔法に乗ったラルフの声が、高らかに響く。
「この祭では、屋台コンテストを開催します! 各部門を設け、それぞれ、投票や売上に応じて部門賞と、金一封、そして記念品を贈呈します! 投票と審査は今夜から五日後の朝まで。六日目に結果発表だぁ! 皆様、食って飲んで! 推しの屋台を応援しろよ!」
「ひゅー!」
「おー!」
「食うぞぉ! 飲むぞぉ! その為にダンジョンに潜って稼いだんだぁ!」
これこそ、本当のお祭り騒ぎ。
ロートシュタイン祭の第一夜は、こうして盛大に戦いの火蓋が切られたのだ。




