129.領主さまの楽しい食材調達方法、その①
夜の帳が降りた"虚海"。
二つの満月が照らし出す幻想的な海面を、魔導狩猟漁船"ウル・ヨルン号"は滑るように進んでいた。その名は古の言葉で「深海の槍」あるいは「獣喰らいの月光」を意味する。
船首に立つラルフ・ドーソンは、凍えるような海風を受けながら、じっと深淵を覗き込んでいた。
ウル・ヨルン号は、ジョン・ポール商会が海の冒険者クラン「シャーク・ハンターズ」のために極秘裏に建造した、まさにこの世界に二つとないオーバーテクノロジーの結晶だった。
全長:約28メートル(船首にバリスタランスを装備)
船体材質: 魔導防水処理済みの「黒檀鋼」+「古鯨骨」強化構造
航行方式: 魔導炉駆動式螺旋推進 (スクリュー+浮遊補助符による加速制御)
主兵装: 爆式魔銛砲《バリスタランスMk-II》+補助水上衝撃弾×4基
副装備: 音波攪乱装置「セイレーン・サプレッサー」、浮遊式探知珠「ルーンアイ」×3
ラルフとジョン・ポール商会の技術者、そしてドワーフの鍛冶屋が、一切の自重なく理想を追い求めた結果がこの化け物じみた船だった。
その性能を目の当たりにしたウラデュウス国王が、「お前、王国どころか、世界征服でもするつもりなのか?」と諦めたように呟いたという逸話は、もはや国中の語り草となっている。
ラルフが「てへっ!」と舌を出して応えたという話も含めて。
そして今、ラルフが自らこの危険な海域に身を置いているのは、ただ一つの目的のためだ。ここは太古より生き続ける"旧深魔獣"の巣窟、"虚海"。普通の船乗りが決して近づかない場所。
祭りに向けた、特別な食料調達のために。
「探知珠に反応あり! 真下です! これは、巨大です……、ヤバいですよ、こんなの?!」
探索手が半狂乱で叫ぶ。その声には恐怖が滲んでいた。
「メリッサ! 面舵いっぱーい!」
ラルフは冷静に指示を飛ばす。海賊公社の女傑、メリッサ・ストーンは、この命がけの漁に駆り出されていた。
「オーキードーキー!」
彼女は舵を握り、船体を素早く旋回させる。
「総員! 対ショック姿勢! 来るぞ来るぞぉ!」
漁師の一人が叫んだ。その視線の先、船の右舷の海面が異様なほどに盛り上がり始める。
その光景を見た船員の一人の頭に、古の黙示録の一節がよぎった。
ーーかくして、海の底より現れしは、角七つにして眼十四、 その眼はすべてを憎み、その角は咆哮を纏いぬ。 黙示録 第十三の章、第七の節に曰く、「そして我は見たり、海の面より昇りくるものあり、 その鰭、海を裂きて陸を踏み、 その声、嵐を従え、 その名を知る者、いまだ一人もおらず」 人はその姿に叫びを失い、 船はその影に震えて砕け、 天はひととき、黙したり。
「標的を目視で確認! あれは……"ア・ベイラ”です! 危険等級SSS!」
観測手が絶叫する。
ア・ベイラ。太古より生きながらえてきた、神話級の巨大魔獣。その姿を見た者は、航海図を燃やすとさえ伝えられている海の恐怖そのものだ。
「 うわー!」
「きゃー!!!」
海面に姿を現しただけで、巨大な波がウル・ヨルン号の船体を激しく揺らした。
「チョウチンアンコウの化け物か?!」
ラルフは叫んだ。その顔には、恐怖ではなく、狂気的な笑みが浮かんでいる。
「領主さま! さすがに分が悪いぜ! 尻尾巻こうや!」
「海の男が、何言ってやがる! やってみなきゃわからんだろ?」
「チッ、くっそがぁ! 相変わらず狂ってやがる! ……ああ、いいぜぇ。神話殺しになってやる。俺が、この俺が伝説になってやるぜぇ!!!」
漁師の咆哮が、荒れ狂う海風にかき消された。
「バリスタ・ランス装填! メリッサ、ヤツの横に付けるな! 引き倒されて転覆するぞ!」
「わかってますよ!」
「……圧縮完了。全員、耳を塞げ!」
青白い魔方陣が、船の砲塔に展開される。怪物が咆哮し、海が黒く泡立つ。
「バリスタランス、撃ぇぃ!」
銛が火を噴き、雷鳴とともに発射される。その刹那、空気が凍り、時間が止まったかのように感じた。次の瞬間、海が真っ二つに裂け、巨大な咆哮が空を突き抜けた。
怪物のエラの辺りに血の花が咲き、銛に繋がれたロープの滑車が目まぐるしく回る。
その時だった。
むぉぉぉぉぉぉん!
船上の誰もが不気味な低音を感じた。それは、物理的な衝撃というよりも、魂に直接響くような、圧倒的な不快感だった。
「いかん! 耳を塞げ!」
「がっ、がっ!」
「う、う、うぉえ……」
船員たちは低周波攻撃に晒され、その場にうずくまる。マストに掴まり、倒れそうになるのを必死に堪えていた。ラルフは、古の文献にあったその不可視の攻撃を思い出し、自分の周囲に魔導障壁を張ることに成功していたが、他の船員はそうはいかない。
しかし、その時だった。
ゴーン、ゴーン、ゴーン!
という鐘の音が響いてきた。
ラルフが音の発生源を探すと、操舵席からやっとの思いで立ち上がり、真鍮製の鐘を打ち鳴らすメリッサ・ストーンの姿があった。
「海に生きる者の知恵を甘く見るな! このバケモノが?!」
メリッサの気迫に満ちた叫びが響く。
巨大魔獣は、その音を嫌うように、巨大な尾を海面に叩きつけた。
「マズイ! 潜られるぞ! 雷撃! やいっ!!!」
ラルフはいつの間にか、狂気的な笑みを浮かべていた。それは、前世でテレビの特番で見た、大間のマグロ漁師たちの姿を彷彿とさせるものだった。
「バリスタランス、第二弾装填完了! 領主さま! いつでもいけるぜ!」
「射手は少し待て! メリッサ! ヤツの鼻先に付けろ! 水上衝撃弾をばら撒け!」
「領主さま! 何をする気だ?!」
「長期戦はヤツの思うツボだ! 一瞬でカタをつける。僕の指示で上顎を狙え、できるか?!」
「任せろ!」
ラルフは船尾に駆け足で向かう。
水上衝撃弾がア・ベイラの鼻先で炸裂し、一瞬そのバケモノは前後不覚に陥る。
「よし! いいぞ! バリスタランス、撃えっ!!!」
「うぉりゃ!」
雷撃と同時に放たれた銛が見事に上顎に突き刺さる。
「はははーっ! こりゃあまるで釣りだな!」
「いい腕だ! ……その通り! 釣り上げるぞ。メリッサぁ! 全速前進! ヤツの大口を開かせろ!」
「オーキードーキー!」
魔導炉が唸りを上げ、スクリューが巨大な船体を力強く押し出した。
エラと上顎に銛が刺さったまま、ア・ベイラは船に引き摺られる形となり、その巨大な口を開けた。ラルフはそこに向かって右手を掲げ、魔力を結集させた。
「薬は飲むに限るぜ。ア・ベイラさんよぉ。
……《絶対零度》」
それは、彼のペットであるワイバーンのレッドフォードが、かつてメガロドンを仕留めた時と同じ戦法だった。どんな生物でも、一瞬で内臓を凍らせられれば、ひとたまりもない。
「全舵停止! 魔導炉、落とせ!」
誰もが、波間に浮かぶその巨体を黙って見ていた。
「ひょ、標的は、完全に沈黙しました……」
観測手の男がそう呟くと、静寂を破るように歓声が上がった。
「うぉおおおおおおお!」
「やった、やってやったぜ!」
「俺が、俺が伝説になったぞぉ! うぉおおお!」
「ぐおおおおお、うぅぅぅ……。俺、生きてて良かった。漁師やってて、本当に良かった……」
狂喜乱舞する船員たち。
中には感動と興奮のあまり、泣き出してしまった者さえいる。
ラルフは、ふぅーと額の汗を拭い、腰に手を当ててその様子をただ眺めていた。一仕事終えた安堵と、この偉業を成し遂げた充足感が、彼の心を静かに満たしていた。




