126.領主と少年
ある穏やかな日、またしても領主ラルフ・ドーソンがセスの村を訪れた。彼の視線の先には、いつも納品に使っている荷馬車の古びた車体が映っていた。
「ガタがきてるみたいねぇ。……と、いうことで。いつも納品を頑張ってくれる、そんな君にプレゼントだ!」
セスは、ラルフが持ってきた真新しい機械を見た。それは、荷馬車とは似ても似つかない、角々とした四角いボディを持つ小型の輸送用魔導車:エバーだった。銀色のボディは、夕陽を受けてきらきらと輝いている。セスにはなんだか可愛らしく感じた。
「ズルい! 俺にも運転させろ!」
そこに現れた父親のドッヂが、子供のように喚き散らした。しかし、この魔導車には盗難防止策として、運転者個人の微量な魔力反応によってロックが外れる仕組みが組み込まれており、セスにしか動かせない。ドッヂは諦めるしかなかった。
しかし、父親の嫉妬心は限界だったようで、ある日、彼は新型魔導車:ネクサス4を買ってきてしまった。磨き上げられた白い流線型のボディが輝く隣で、なんだか気取った父親が立っていた。その顔は、自慢げでありながら、どこか引きつっている。
案の定、母に、
「あんたこんなバカみたいな買い物して! いったいいくらだったんだい?!」
と問い詰められると、父はどもりながら見え透いた嘘をついた。
「い、いや。その、意外に安いっ、ていうか。そんなに高いモンじゃないっていうか……その」
「いいから! 領収書みせなさい!」
母の眉間の皺は深まるばかりだ。ウチの家計は大丈夫なのだろうか?と、なんだかだんだん心配になってくるセスだった。だが、父の表情はどこか満足げで、子供のように嬉しそうだ。
魔導田植え機のおかげで、広大な水田もいつの間にかあっという間に田植えが終わり、緑の稲の苗が規則正しく並んだ。
季節が巡り、夏が過ぎ、収穫を迎える頃。稲穂は黄金色に輝き、風が描線を描くように輝く絨毯を滑り抜ける。雄大な景色が、視界いっぱいに広がっていた。
そんな雄大な景色を、偉い人達が見学に来た。
「これは凄いなぁ。何たる壮観な風景であるか」
ヴラドおじさんが、感嘆の声を漏らした。彼の顔には、心からの感動が浮かんでいる。
「米とは、美味いだけでなく、こんなにも美しいのだなぁ」
グレン子爵が、うっとりとした表情で呟いた。その瞳には、黄金色の稲穂が映り込んでいる。
この景色を、居酒屋領主館の常連たちはしばしば見学に訪れた。
ある日は、金髪ドリルツインテールのエリカが、黄金色の稲穂を前にして、満足そうに頷いた。
「ふんっ、カレーはね。米という相棒がいてこそ、完成に至るのよ」
そして、セスの方を向いて、いつもの勝ち誇ったような表情で言った。
「セス、またカレー、食べに来なさいな」
そう言って、魔導小型二輪車:キャブ に跨り、ポッポッポっと魔導原動機の音を響かせた。
ヘルメットからこぼれた金髪ドリルツインテールを風になびかせ、硝子板のゴーグルが夕日をキラリと反射させる。
一度、指をグッと立てると、街道を取って返し、その背中はだんだんと小さくなっていく。
カッコつけているのかもしれないが、セスは反応に困った。
またある日、金色の風景を眺める、美しい三人の女性の姿があった。女騎士、銀髪のテイマー、そしてエルフ族の女性。まるで、宗教絵画に描かれた楽園のようにも見える景色だ。しかし、当の三人の女性は、目の前の米たちが与えてくれるであろう未来の恩恵に、顔がだらしなくなっていた。
「米は良い。米は正義。チャーハン、ラーメンライス、ギョーザと白飯、うへへへへっ」
女騎士が涎を垂らしながら、米料理の数々を思い浮かべている。
「これが米酒になるのですかぁ。美しい。本当に美しい」
銀髪のテイマーが、黄金色の稲穂に魅せられたように呟いた。
「米さ米酒だろ、呑ま呑まイェイ」
エルフ族の女性がわけのわからない言葉を発していたが、おそらく彼女のお国言葉なのだろう、とセスは思った。その言葉は、どこか楽しげな響きを持っていた。
勿論、領主ラルフ・ドーソンも、忙しい公務と居酒屋の経営の合間を縫って、何度もこの場所に足を運んでくれた。セスはこの若き領主様と話をするのが大好きになっていた。彼の言葉は、いつもセスの心を温かくしてくれる。
「凄い景色ですよね。前まではただの森だったのに」
セスは、広がる田園風景を眺めながら、ラルフに語りかけた。
「そうだなぁ。いささか広大すぎたかもな……。爆裂魔法は加減が難しいのだ」
ラルフは苦笑いしながら、頭を掻いた。
「大丈夫なんですか? こんなに大量に作って」
セスの心配そうな声に、ラルフは空を見上げた。
「大丈夫だろ。多分……」
その言葉には、どこか楽天的な響きがあった。
「米余り、……豊作貧乏になったりしませんか?」
セスは、村の大人たちが時々口にする言葉を思い出し、不安を口にした。
「んー。まあ、第一次産業が豊かなのはいいことさ。余ったらなんとでもなる」
ラルフは、どこか達観したように言った。
「そうですか……」
セスは、まだ完全に納得したわけではなかったが、ラルフの言葉には不思議な説得力があった。
「大丈夫さ。人々が元気に働いて、何にも気にせず遊んでいるうちは。誰もがみんな勝手に腹が減る。腹が減ったらメシを食う。……ロートシュタインは大丈夫さ。そのために領主である僕がいるんだ」
ラルフの言葉は、確信に満ちていた。彼の視線の先には、黄金色の稲穂の隙間で、子供たちが追いかけっこをして遊んでいる姿があった。彼らの笑い声が、風に乗って心地よく響く。
セスは思う。また同じような一日を、これからも何度も何度も繰り返し大人になってゆくのだろうと。稲穂のように輝き揺れる日々を。それは、決して退屈な日々ではなく、温かく、そして希望に満ちた日々になるだろうと。このロートシュタインの地で、彼は確かに未来への一歩を踏み出している。




