119.モフモフヘッドハンティング
「えっ、あの。もしかして、クレア・バランタイン王妃殿下?」
ヴィヴィアンは戸惑いを隠せない。まさか、突然こんな場所で、領主館の庭で王妃と出会うとは夢にも思わなかったのだ。銀色の瞳が、驚きに大きく見開かれる。
「クレアさま。シャギーは彼女の従魔なのです。魔導契約の基に、さらにそれ以上に彼女との信頼関係は強固なのですよ」
ラルフは、困惑するヴィヴィアンの代わりに答えた。その声は、どこか諦めに似た響きを帯びている。
「それなら私にテイムの魔法を教えて下さい!」
悲痛な叫び声を上げる王妃に、ラルフは思わず「えー」と困惑の声を漏らした。この場の空気は、一瞬にしてカオスに陥った。
「まあ、とにかく。ヴィヴィアン。ウチは居酒屋だ。なんなら、飲んで食べて行ってくれ」
ラルフはそう言って、ヴィヴィアンに酒を勧めた。その声には、旧友への気遣いが滲む。
「すまないが、ラルフ・ドーソン。金がない……」
ヴィヴィアンは申し訳なさそうに、銀髪の頭を下げた。魔導士というエリートの中でも、魔獣を従えるだけの能力は、いまいち金儲けに直結しない。テイマーとは、この世界では不遇職なのだ。
「いや。いいよ。僕の奢りだから、好きなだけ飲んで食べてって」
ラルフは諦めたような表情で、しかしどこか優しさを込めて言った。学生時代からのつきあいだ。とてつもない美人で、テイマーとしての才能は抜群。しかし、万年金欠。いつも、深夜の学食に金欠学生を集めて夜食を振舞っていた時、彼女もその常連だった。あの頃と何も変わっていない。
「かたじけない。ラルフ・ドーソン!」
ヴィヴィアンの表情が、一気に明るくなった。その輝くような笑顔に、周囲の空気が少しだけ和らいだように感じられた。
居酒屋が開店するまでの時間、ヴィヴィアンはレッドフォードの背中に乗って遊覧飛行を楽しんだり、庭でシャギーを枕にして寝転んでクレア王妃と何かを語らったりして過ごした。夕焼け空の下、レッドフォードの赤い巨体が悠然と舞い、その下でシャギーとクレア王妃が寄り添う光景は、絵画のように美しい。
そして、夜の帳が降り、居酒屋領主館が開店すると、その雰囲気は一変した。
「かんぱーい! ギャハハ! これなに?! 鯉?! えっ! こんなに美味しいの? ギャハハ!」
「えっ、誰?」
ラルフが思わず声に出してしまうほど、ヴィヴィアンのキャラクターは激変していた。普段のクールで知的な雰囲気はどこへやら、陽気な笑い声を響かせ、国王ことヴラドおじさんに肩を回し、ダル絡みしている。
「んぐんぐんぐ、ぷはぁーーー! ラルフぅ、こっちにハイボールおかわりぃ」
「はいよー」
ラルフは、トニスの火酒を炭酸で割ったハイボールを差し出した。琥珀色の液体が、グラスの中でシュワシュワと泡立つ。
「ちょっと、この"ウナ巻き"もちょうだい! 変なのぉ! イールをタマゴで包むの、ギャハハ!」
まさかの酒乱キャラかよ?! ラルフは同級生の新たな、そして衝撃的な側面を目の当たりにした。彼女の口からは、先ほどの知的な台詞が嘘のように消え失せている。
そして、その新キャラに、最悪な酔いキャラが合流してしまった。エルフのミュリエルだ。彼女はすでに顔を赤くし、瞳を潤ませている。
「ギャハハ!」
「あーはっはっはっー!」
二人は肩を組み、楽しげに歌い出す。その歌声は、居酒屋中に響き渡り、他の客たちも苦笑いを浮かべている。
「うるせーんだよ! 酒乱どもがぁ!」
ラルフのツッコミが木霊する。だが、人の事を言えるのか?という疑問符が、彼の頭の中をよぎる。
「タダ酒サイコー!」
「タダ酒サイコー!」
ヴィヴィアンとミュリエルは、顔を見合わせて再び叫んだ。その言葉に、さすがのラルフもカウンター越しにイラッとした。
「ヴィヴィアン! お前ほどの魔導士が、なんで全然稼げないんだよ?!」
ラルフは思わず、心の中の疑問を口にしてしまった。
「だってー。テイマーなんて、不遇職だしぃ。冒険者ギルドの依頼受けて、食材になる魔獣をテイムして、可哀想な子たちを、ギルドに……、ギルドの解体所に……、ううううう」
うーわ。めんどくせ。泣き出しちゃったよ。ラルフはそう思い、眉間に皺を寄せた。ヴィヴィアンの大きな瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちている。
「大丈夫だべか? そんなに今の仕事ツライなら、オラんとこで、一緒に味噌と醤油つくるか?」
エルフのミュリエルが、ヴィヴィアンの杯に米酒を注いだ。それ以上飲ませるなよ、とラルフは思った。
すると、優雅に葡萄酒を飲んでいたクレア王妃が、身を乗り出した。その瞳は、真剣な光を帯びている。
「えー! なら王宮で雇うわよ! あなたのような素晴らしい才能はこの王国の為に活かされるべきだわ!」
まさかの、クレア王妃のリクルートだ。
「えっ! 王宮! 私が?! テイマーである。私が?!」
ずっと金を稼げなかったヴィヴィアンにとって、これ以上ない雇い先だろう。彼女の顔には、驚きと喜びが入り混じった表情が浮かんでいる。
「一緒に、王城をモフモフで埋め尽くしましょう!」
という、謎の野望を語るクレア王妃と、ヴィヴィアンは固く握手を交わしていた。二人の間には、不思議な友情が芽生えたようだった。
「ラルフ・ドーソン! ついに就職が決まったぞ! ありがとう! 本当に、本当にこの縁を繋いでくれたことに感謝を述べる!」
ヴィヴィアンは涙と鼻水を拭い、ラルフに向かって深々と頭を下げた。
「あー。はいはい」
ラルフは、早くこの場を切り上げて、自分もゆっくりと酒を飲みたいと思った。
彼の視線の先、窓の外では、居酒屋領主館の庭で、ワイバーンのレッドフォードとオオヤマネコのシャギーが、身を寄せ合い、静かに夜空を見上げていた。
いつもの騒がしく平和な夜は、まだ始まったばかりだ。




