106.ラルフの嫁②
ラルフは、もうこんなバカ騒ぎに付き合うなら、飲むに限る! とばかりに、手元のビールジョッキを傾け始めた。琥珀色の液体が喉を滑り落ちるたび、彼の顔には諦めと、わずかな解放感が浮かぶ。
「さぁ、お次は! この人だぁ!」
ギルマスのバルドルの高らかな声が、再び居酒屋領主館に響き渡る。ラルフは、もはや半ば諦め顔で、次に現れる候補者を見据えた。
「わ、私は、特に異存はないぞぉー! マスターに嫁げるなら、剣を捨てる気はないが……。毎日、旦那様のラーメンが食べられるのなら!」
そこに座ったのは、ミラ・カーライルだった。彼女は、普段の勇ましさとは裏腹に、頬を赤らめてモジモジしている。その言葉に、ラルフは思わず呆れた。
この女騎士は何を言っているのだ?! と。しかし、その父親であるカーライル騎士爵は、当然だろう! とばかりに力強く頷いている。
(花より男子よりラーメンの女騎士か……)
ラルフは、内心でそう呟いた。確かに、一部の常連客には、彼女の豊満な胸部装甲(巨乳)を評価する声はラルフも知ってはいる。悲しい男の性なのだが、それはそれとして。
「確かに、現実的かもねぇ。まあ。でも、保留で!」
ラルフは、酔いの回った頭で、なんとかそう答えた。その声は、どこか投げやりだ。ミラの顔には、その言葉を聞いた途端、絶望感漂う表情が浮かんだ。彼女のラーメンへの愛は、ラルフの無関心によって打ち砕かれたようだ。
次に対面したのが、ポンコツラーメン三人組娘、パメラ、マジィ、ジュリだった。三人揃ってラルフの前に座ると、互いに顔を見合わせ、そして、どこか遠慮がちに口を開いた。
「わ、私は。妾でいいというか……」
「正妻とは言いません」
「そうなったら、安泰っすー!」
彼女たちの言葉に、ラルフはげんなりとした。この世界の婚姻であったり、愛の形であったりに、彼は改めて辟易する。もう少し、こう。ドラマチックな、というか、ストーリー性があって、惹かれ合う男女がどうしようもなく堕ちていくもの、という憧れがラルフにはあった。だが、確かに、この世界の貴族社会というのは、こういうものかもしれない。利害と打算が絡み合い、愛は二の次。それが現実なのだと、彼は改めて思い知らされた。
次に座ったのは、まさかのクレア王妃だった。彼女はにこやかにラルフを見つめている。
「ややこし過ぎるので、やめて下さい」
ラルフの一言で、クレア王妃はあっけなく退場していった。その場にいた者たちは、一瞬呆気に取られたが、すぐに笑い声が上がった。ラルフと王妃の関係は、もはや誰もが知る「特別なもの」なのだ。
次に対面したのが、エルフのミュリエルだった。彼女はすでに顔を真っ赤にして、かなり酔っ払っていた。
「はー! オラが領主さまと結婚すんだかぁ! おもっしぇなぁー!」
ミュリエルは、豪快な笑い声を上げながら、ラルフに抱きつこうとする。その無邪気な酔いっぷりに、ラルフはただ苦笑するしかなかった。
そして、最後に。
メイドのアンナが、静かにラルフの目の前の席についた。
常連客たちの悪ノリに乗せられて、仕方なくとのことだった。彼女の顔には、いつも通りの無表情が貼り付いている。
すると。ラルフは、すでに呂律が回らない口調で、しかしはっきりと、言った。
「やだよ……アンナは……」
その言葉が放たれた瞬間、居酒屋の中は、それまでの喧騒が嘘のように、静まり返った。誰もが、息を呑んでラルフとアンナを見つめている。
アンナは、無表情のまま、ラルフの言葉を受け止めた。その瞳の奥には、わずかな揺らぎが見えたような、見えないような。
「……ですよね。私は、あくまでも、旦那様のメイドですから」
アンナは、静かに、そしてどこか諦めたようにそう答えた。その声は、感情を押し殺しているかのようだ。
ラルフは、もう酔い過ぎていた。ぶどう酒も飲み、火酒も飲み、完全に出来上がっていたのだ。彼の意識は、朦朧としている。心にも無い。でも、真実を口にしてしまう。酔いが、彼の本音を剥き出しにした。
「ううん? まあ、たしかに君が一番いいかも。かな? ちょっと。なんか、……嫌だけどね」
もう酔い潰れてフニャフニャになりそうな主人の姿。アンナの胸には、愛おしくて愛おしくてたまらない感情が込み上げる。その細い身体を、力いっぱい
抱きしめたい衝動に駆られる。
でも。それはできない。
(私は。最もラルフさまに煩わしく思われて、でも、最も彼の大いなる存在になりたい)
アンナの心の中で、複雑な感情が渦巻く。彼の傍にいること。彼に必要とされること。それが、彼女の最大の喜びであり、同時に、彼女の秘めたる欲望だ。しかし、その欲望を彼に期待している自分は、悪辣なメイドなのかもしれない。でも、今はそれでいい。
「さすがに、飲み過ぎですよ」
アンナは、そう言って、優しく主人の身体を支えた。その手は、温かく、そして確かな愛情に満ちている。
それでいいのだ。彼女は、彼の傍にいる。それだけで、十分だった。




