妻のために
「ロラン」
沈黙の後、シャルロットは普段通りの甘ったるい声でロランに声をかけた。
(なんなんだ?)
ロランは内心驚いた。先ほどまで蒼白だったシャルロットの変貌に戸惑う。だが、戸惑いを見せぬよう平静を装い冷めた視線をシャルロットに送る。
(シャルロットを断罪することは一筋縄に行かないとある程度は予想していたが、これほどまでに自分本位な性格だとは思わなかったな)
ロランはうんざりする表情を隠さず唇を結ぶ。
シャルロットは心臓を突き刺すようなロランの冷たい視線に圧倒されながらも、言葉を続ける。
「ロラン、愛しているわ」
「……」
ロランは何も答えない。ただその冷ややかな視線が軽蔑の眼差しに変わる。
しかしシャルロットは諦めない。もう一度縋るような表情を浮かべ、ロランに言う。
「ロラン、きっと誤解があったと思うの。でも私達なら乗り越えられるわ」
ロランはその言葉を聞いて口角をあげた。
「シャルロット、誤解……誤解と言った?……そうだな、確かに誤解があった。その誤解のせいで遠回りをし、皆がよってたかって私の愛する白百合を……傷つけた」
ロランはそう言ってシャルロットに背を向け歩き出した。
王室の薔薇と例えられているシャルロットを白百合と例える人間はいない。
(まさか……まさかあの女のことを言っているの?愛の誓約があるから白百合に例えて!?)
シャルロットはロランの言葉に目を見開く。ドス黒い感情が胸中に渦巻き焦げ付くほどの嫉妬の炎が燃え広がる。全身の血が逆流するほどの衝撃と、プライドをへし折られた衝撃で目の前が霞んだ。
「ところで……妻のジゼルが額を怪我をしたんだが、詳細を知っている者はいないか?」
ロランはシャルロットの周りに集まっている貴族達を見回し言った。
その言葉に貴族達は息を呑む。
ロランはジゼルを妻と呼んだ。
その言葉にシャルロットの息が止まる。想像だにしないロランの言葉の数々に立っていられないほどの衝撃が襲う。ふらつくシャルロットを侍女のマリアンヌが支える。シャルロットが持っていた扇子が再び床に落ちたが、それを拾う者は誰もいない。
そして、その姿を見た貴族は気まずそうにシャルロットから目を逸らした。
『ロランが白百合と呼んでいたのはジゼルのことだった!!』
会場の貴族達がロランの気持ちを知った瞬間、ベルトランは笑みを浮かべ、リカルドはシャルロットを見て口角を上げ、ロランの両親とジュベール一族は身動きできず立ち尽くした。
そして、その言葉を聞いた一部の貴族たちに戦慄が走る。
ロランがジゼルを傷つけた人間を探している。ロランが会場に戻ってきた理由、それはまさしく、白百合を傷つけた人間への復讐だ。
ロランが歩くたびに揺れる戦闘用のローブ。その柔らかな動きからは想像できないほどの圧がロランから溢れ、息ができないほどの圧迫感が会場内を支配する
ロランのローブがゆらゆらと揺れるたびに会場にいる貴族たちは現実感を失いつつあった。
ロランは大規模な魔法を使ってでもその真相を知ろうとしている。シャルロットと共にジゼルを取り囲んだ貴族達は雷に打たれたような衝撃に身体を固くする。
「妻が怪我をしたんだ。見ていただろ?」
誰一人ロランの問いに答えることが出来ない。
ジゼルを見せしめにした者たちは皆貝のように口を固く閉ざし、中には泣き出すものも出始めた。
シャルロットは屈辱に顔を真っ赤にし、羞恥心に体を震わせている。だが、それでも信じ切っていたロランの変貌が信じられない気持ちもある。それに、ジゼルを陥れた証拠は隠してある。必ず挽回の機会があると信じシャルロットは唇を結んだ。
ロランはそんなシャルロットを見て全てを悟ったようにニヤリと笑い、ゆっくりと貴族達の周りを歩き出した。皆身体を硬直させ、ロランと目が合わないように俯く。その中に人影に隠れようとしていたアルマン・ニコラの姿を見つけた。アルマンは卑怯にも背後からジゼルを蹴った男。ジゼルに直接手を下した憎き男だ。
ロランは顎を上げ、隠れようとしたアルマンの隣にいる女の手を掴んだ。アルマンは自分が捕まると思っていたらしくホッとした表情を浮かべた。そんなアルマンを横目に、ロランは微笑みを浮かべその女に挨拶をした。
「美しい令嬢、私はロラン・ジュベール、あなたは?」
ロランは美しい笑みを浮かべる。
令嬢はロランに手を掴まれ身を固めたが、ロランの麗しい微笑みに力を抜く。皆の憧れ、あのカパネル王国の薔薇と例えられるシャルロットを射止めたロラン・ジュベールが自分だけに笑顔を見せてくれる。優越感と共に喜びが湧き上がり令嬢は恭しくロランに答える。
「初めましてロラン様私は……」
「こんな女死ねばいい?」
ロランはそう言って首を傾け女に微笑みかける。女は目を見開き動きを止める。
ジゼルに放った言葉をロランが知っている。
冷や水をかけられたように一気に体の熱が引き、戸惑いと恐怖に体を震わせる女。ロランは冷ややかな視線を向け、その女の耳元で愛を囁くように言った。
「そう。こんな女死ねばいい」
ロランが言い終わるとその女は突然意識を失い倒れ、そのまま蒸発するように跡形もなく消えた。
その瞬間会場内は凍りついた空間に変わった。ロランを怒らせてしまった。その引き金を引いた人間は殺されてしまう。切迫した空気の中、ロランの胸元の白百合は優しい芳香を放った。
ロランは胸元の白百合を見つめため息を吐く。
(ジゼルが持ってきた花はジゼルのオーラを纏っている。私の気持ちを穏やかにしてくれる)
凍りついた空間が崩れる。ジゼルの花がこんな形で役立つとは誰一人知る由もなかった。
一方で、蒸発した女の隣に立っていたアルマンは声にならない声をあげる。逃げられないと知るとその恐ろしさに足元をガクガクと揺らし、大量の汗をかき、涙を浮かべロランを見ている。
ロランはアルマンを見る。その瞬間ジゼルの泣き顔を思い出し、ロランの怒りは再燃する。
ロランと目が合ったアルマンは体を硬直させ息遣いが荒くなる。ロランはその様子を見つめながら笑顔を浮かべアルマンに話しかけた。
「アルマン・ニコラ。君のことは知っている。言葉にする価値もないような三流新聞のオーナーで、今は亡きニコラ伯爵の愚鈍なご子息」
ロランは見下すようにアルマンを見る。
アルマンはロランの言葉に動揺し、震える唇を開いた。
「ロラン様? ど、どういう……」
ロランはアルマンの言葉に驚きの表情を浮かべた。
「どういう? どういう意味か、と、聞いているのか? ……全てその言葉どおりだ。ところで……どうだった? お前がその汚い足で我妻ジゼルを蹴り倒した時の感触、その詳細な感想を夫である私に聞かせてくれないか?」
ロランは胸元の白百合に触れながらアルマンを見た。




